世界を釣り歩く茂木陽一の気まぐれな日記です。
タヒチ・ウアフカ島のGT

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タヒチ(フランス領ポリネシア)は広い。タヒチ島のあるソサイエティ諸島、ランギロア環礁のあるツアモツ諸島、ムルロア環礁のあるガンビア諸島、そしてマルケサス諸島、オーストラル諸島の5つの諸島からなる。

その海洋面積はヨーロッパがすっぽり入ってしまうくらい広い。ただし陸地面積は埼玉県ほどしかない。タヒチに人が住み始めたのは紀元後300年頃のマルケサス諸島から始まる。ポリネシア人のルーツはモンゴロイドである。東南アジアを南下してカヌーを使って南太平洋の島々に移り住んでいった。サモア、トンガには紀元前1000年頃から住み始めた。アウトリガー付きのカヌーを発明したことによりポリネシア人は南太平洋の島々を次々と発見して移住していった。
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マルケサスに移住したあとさらにイースター島(400年頃)、ハワイ(500年頃)、ソサイエティ諸島(600年頃)、ニュージーランド(800年頃)と移動していった。ニュージーランドのマオリもハワイアンも祖先は同じなのである。共通していることは体が大きいことである。とても日本人と同じモンゴロイドを祖先とする民族とは思えない。

そして16世紀になってスペインに発見されるとタヒチの文化、宗教、暮らしが大きく変わっていった。18世紀にはフランスとイギリスが大きな影響力を持つようになり、長く続いた伝統文化もほとんど消えていく。各地で戦闘も勃発し多くの現地人が犠牲となった。また白人が持ち込んだ病気に免疫のないタヒチの人々は次々と感染して多くの人が命を失った。
19世紀にフランスの植民地となり、20世紀にようやく自治権を与えられた。

我々が今回訪れたのはマルケサス諸島のウアフカ島である。数あるタヒチの島々の中で一番古くから人が住み始めた島らしい。島には小さな博物館があり、その歴史の一部を見ることができる。この島も最盛期には6000人以上が住んでいたらしい(マルケサス諸島全体で6万人も住んでいた)。今ではウアフカ島は500人くらいしか住んでいない。マルケサス諸島全体でも8000人くらいである。
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島の暮らしは見た目には悪くない。道路も島の一部しか開通してないのに自動車の所有率はかなり高い。しかも日本製の新車が目立つ。産業と言えばコプラとノニくらいしかないように見えたのだが。リーフが少なく切り立った断崖ばかりの形状からして観光開発はまずありえないし、観光客もほとんど訪れていない。パペーテに戻り、現地ツアー会社に勤める人に聞いたら「タヒチの人は見栄っ張りで車にお金をかけるんですよ」という返事だった。そういえば400万以上するの車に乗っているのに我々の釣り道具の値段を聞いてかなり驚いていた。趣味や遊びには回すお金はほとんどないのだろう。物価が高いのにも驚いた。空港で缶ビールが1本600パシフィックフラン(約720円)。ウアフカの民宿での食事は3食で約8000円(アルコールは含まず)だった。南太平洋の島の中ではかなり高所得だが、物価がやたらと高いので人々の生活は楽ではないらしい。また貯金はほとんどやらないで収入はすぐに使い切ってしまうそうだ。これは南国の島はすべて共通かもしれない。
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ウアフカは小さな島なので島民が一つの家族のようにも感じた。船は午前午後と2回に分けて出したのだが、船長はコロコロ変わった。あるときは島の山羊撃ちの名人。あるときは博物館の職員だった。宿での送迎も交代制なのか毎日別の人が迎えに来た。陽気で親切な人ばかりで大きな問題はないのだが船と船長に関しては最低基準にも達してない。釣り客も来ないし、魚は港の目の前で釣れるので今後も進展はないだろう。
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釣りあげた魚は原則的にほとんどキープである。そして持ち帰った魚は港ですぐに捌いていた。その日の船長に所有権があるらしく、それが船長がコロコロ変わる理由なのだろう。ようするに魚が欲しい人が船長をするのである。捌いた魚の頭や内臓はその場で海に放り投げるのだが、それを狙って小型のサメが大群で集まってくる。島民はそれを手釣りで簡単に釣っていた。もちろん食用でその場で手際良く一瞬で解体されていた。

船は20フィートくらいの木造船で90馬力の船外機が付いていた。魚探もGPSも海図もない。中には山立てで沖のポイントに船を付ける船長もいたが、ほとんどの人はわかっていないらしかった。中には我々に「どこへ行く?」と聞いてくる者もいた。GTは現地ではウルワと呼ぶ。これはハワイと同じである。シイラもマヒマヒと呼んでいた。

マルケサス諸島は寒流の影響が強いためサンゴ礁は少ない。海底の形状はいきなり10メートルくらいになってからなだらかに深くなっていき、100メートルくらいから急激に深くなっているようだった。GTは岩の近くの浅いところがポイントらしいのだがヒットは少なかった。その合間にライトタックルでジギングをすると面白いようにヒットした。カスミアジ、ホシカイワリ、ハタ、センネンダイ、アオチビキが多かった。たまに大型が来るのだがショックリーダー50ポンドでもどうにも止められず、すべて根ずれでラインブレイクした。おそらくGTだろう。表層で群れを作るグルクンなどが見えなかった。おそらくGTはたくさんいるのだが、そのような理由でトップにはなかなか反応しないのだろう。
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そんな島に挑んだのは4人のおじさんだった。オオサンショウウオさん60歳、び〜るだ〜さん57歳、七夕さん57歳、俺がなんと最年少で55歳である。10年くらい前まではGTフィッシングは若者の釣りと思っていた。ところが55歳になった今でもなんの問題もなくチャレンジできる。自分が思っていたよりもはるかに50代は体力があることがわかった。俺自身50歳を過ぎてから次々と自己記録を更新している。オオサンショウウオさんを見ていると70歳くらいまでできるような気になってくる。
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いつかはそのときが訪れるのだろうが、その日までずっと続けたい釣りGTフィッシングである。
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あと何年できるのだろうか?

タヒチでは老人4人でそんな話ばかりしていたような気がします(笑)

PS.GTは全員釣れました。事前に調べた情報では全員坊主も覚悟してましたが。今後も釣果を考慮しない海外遠征を組んでいきます。初めて訪れる島、国、自然、文化に興味がある人だけ参加してください。
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テーマ:フィッシング(釣り) - ジャンル:スポーツ

続:外房ヒラマサキャスティングゲーム
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外房巨大ヒラマサフィーバーが1ヶ月以上続いている。こんなことは俺が知る限り20年以上ない。ベテランの漁師さんもビックリなのである。20キロオーバーなんて1年に1匹出るか出ないかのサイズなのに、この1ヶ月で10匹以上キャッチされているのだ。水深が浅く根ずれなどでバラシたヒラマサはさらに倍以上あるだろう。
そんな外房の11月4日から6日までの3日間を追った。デジタル一眼レフカメラ2台、ビデオカメラ1台を持っての乗船である。左手でビデオ、右手でカメラなので動画はどうしても的から外れてしまいます。カメラは数打ちゃ当たるで連写です。おかげで満足な撮影は出来ませんでした(^^;


まず4日、船は新勝丸です。
鳴海さんが7.4キロをBC-γ60で
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続いて山木さんが9.7キロをロデオで
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続いて5日です。船は山正丸です。

まず石井さんがBC-γ60で10.1キロ
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続いて佐野さんがロデオで9.7キロ
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そしてサッパリ和泉さんがロデオで21.1キロ
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そして6日。この日も山正丸です。

まず岩倉さんがBC-γ60で9.5キロ
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続いておしださんがBC-γ60で16.4キロ
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終了直前に尾上君がダイブベイトで8キロでした。
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このうち数匹がタグ&リリースされました。中にはリリースしたくても鰓から血が流れてしまい出来なかったヒラマサもいました。最近ヒラマサをリリースする人が増えてます。素晴らしいことだと思います。
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5日には新勝丸でも本村さんが16キロと10キロをリリースされてました。
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俺はというと撮影が忙しくて・・・言い訳です。下手糞なんです。

ワラサの猛攻に遭ってました。

最初の1匹は笑顔でしたが。
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前後のフックにダブルで上がってくるのが4回もありました。
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後ろにはヒラマサがいるのに先にワラサがヒットしちゃいます。

結局最終日午後船は俺1人でワラサ12匹キャッチしました。

最後は顔が引き攣っていたそうです(笑)


外房ジギングの達人もキャスティングでは苦戦してました。
でもジグ落としたら美味しい魚を即釣ってました。
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最後は船長の先輩がやっている居酒屋でサッパリ君にご馳走になりました(^^)
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海外遠征がなければ今週も連荘で行きたいです(涙)
巨大ヒラマサ49.5キロ!


ここ3週間ほど外房がとんでもないことになっている。11日の22.1キロ(ルアーはドラドスライダー)に始まり、20キロオーバーが続々とキャッチされた。その中の25キロオーバーをピックアップすると

山正丸
15日25.1キロ(BC-γ)三輪様
20日26.2キロ(BC-γ)奥津様
21日28.9キロ(BC-γ)岩倉様
24日49.5キロ(自作プラグ・たいやきペンシル)谷脇様

新勝丸
29日25.4キロ(ダイブベイト)野津様

25キロオーバーとなると玄界灘でもめったに釣れないサイズである。それが半月で5本もキャッチされた。ご存知のとおり外房は水深が浅く、根ずれのリスクが高い。難易度は超Aクラスである。以上のヒラマサがヒットしているのは12〜20メートルの浅い根周りである。おそらくこの倍以上はヒットしているだろう。一方的にやられたり、ロッドをへし折られたり、なすすべもなく敗北している数はかなりである。中には30分ファイトして根ずれとか、そして31日はドラグ7キロで2時間半もファイトして上がらなかった魚がいた。ヒラマサならとんでもないサイズだろう。

俺が知っている日本国内の最大は7年位前に御蔵島で餌釣りで釣れた38キロである。

俺自身ニュージーランドに8年前から毎年2〜3回行っているが、25キロオーバーはニュージーランドでも少ない。A級ポイントと言われるランフリーやスリーキングでも30匹に1匹くらいである。そして30キロオーバーは100匹に1匹くらい。さらに40キロオーバーは1000匹に1匹も釣れないだろう。40キロオーバーは俺自身過去に実物は1匹(昨年12月)しか見たことが無い。それが49.5キロとなるとニュージーランドではもちろん、世界中探しても10年以上釣れてないだろう。まさに世界で10年に1匹出るか出ないかの巨大ヒラマサなのである。
※世界記録は1987年にニュージーランドで釣れた52キロ。22年も前の記録である。日本のヒラマサとは学名上も見た目も違う種類。

それが日本で、しかも大都市東京から車で1時間で行けるところで釣れたのだ。日本という国はもともと魚が多い国である。暖流と還流が日本を取り巻くように流れ、水温、地形など、魚にとって最適な自然環境なのである。それだけに日本人は遠い昔から魚を好んで食べた。それが乱獲を生み、ほとんどの魚は90パーセント以上減少した。それでもいまだにGT、カンパチ、ヒラマサなどの世界記録サイズが釣れる国なのである。

25キロオーバー連発しているだけでもビックリする毎日だったが、24日に谷脇さんが釣った49.5キロには目の玉が飛び出すくらい驚いた。20日から29日までニカラグア遠征で、インターネットが接続できたのは27日だった。そこで掲示板の書き込みを見て遠い海外でみんなで大声を出して驚いていた。

カンパチなら80キロ以上、クロマグロなら500キロ以上と同等の価値があるだろう。永井誠一が「そんなの2000年は更新できんわ」と言っていた。多くのアングラーに夢を与えてくれた外房の海と山正丸船長と谷脇さんに心から感謝しています。

谷脇さんは誰もが知っている外房の常連。多くの大会で優勝を含め、常に上位に絡んでくる外房屈指のアングラーでもある。
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これがたいやきペンシル。俺も昨年いただいて大切にしています(使えって)
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動画は同船していた新井さんが撮ってくれたものです。谷脇さんと新井さんから了解を得てアップしてあります。
巨大ヒラマサとのファイト動画


アングラー:谷脇  正一さん

釣行日:2009年10月24日
魚種:ヒラマサ
重量:49.5キロ
全長:170センチ
又長:157センチ
胴回り:92センチ
ロッド:Ripplefisher Aquila76
リール:08ステラ10000XG
ライン:よつあみウルトラジグマンX8 4号
リーダー:フィッシャーマンスーパーステルス 80lb
ルアー:自作プラグ(たいやきペンシル)
場所:千葉県外房
船:大原港・山正丸


この歴史に残る巨大ヒラマサは剥製となって来年3月6、7日に開催されるS.F.P.C主催のスポーツフィッシングフェスティバルin東京の会場に展示される予定です。興味のある方は是非ご来場してください。
場所:東京都立産業貿易センター浜松町館(浜松町駅から徒歩5分)
http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/



PS.昨日は22日に外房で20キロオーバーのヒラマサをリリースした本村さんと会いました。「1人でも多くの人に楽しんでもらいたい」と感謝と願いを込めてリリースしたそうです。ニュージーランドで俺はタグが付いたヒラマサを何匹も釣っています。リリース後の生存率が非常に高い魚です。(マグロも生存率は高いです)。本村さんの行為は素晴らしいことなのであえてここで報告しました。
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ニカラグアのターポン
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始めてターポンに挑戦したのはコスタリカで2002年の10月だった。
これはルアーでは1匹も釣れず、餌で1匹キャッチして帰国。
2002年コスタリカ遠征釣行記


2回目は2004年の10月。大型ターポン(80キロ)をルアーで2匹キャッチして大満足で帰国した。
2004年コスタリカ遠征釣行記


3回目は2006年9月。まだシーズンが早かったらしく、ターポンは沖の深場にいてキャスティングは大苦戦、ジギングで仲間は数匹釣るものの俺は坊主で帰国。
2006年コスタリカ遠征釣行記


4回目は2008年3月、何とアフリカのシエラレオネ。イギリスやアメリカの友人が「デンジャラス!」と言った国である。漁師さんは大型のターポンを連日釣っているのだが我々は大苦戦。最終日にやっと増田が65キロのターポンを餌でキャッチした。
往路編

前編

後編

そして今回が5回目となる。行き先はこれまたデンジャラスと言われているニカラグアである。ターポンて危険な国が好きらしい。
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しかしシエラレオネもそうだったが、ニカラグアも長年内戦が続いた国。平和を強く望んでいる国だと感じた。ただいまだに東海岸やホンジュラスとの国境近くは危険らしい。東海岸ならショアからキャスティングでスヌークやターポンがたくさん釣れるらしい。またカリブ海側にある離島(コーンアイランド)ではボーンフィッシュ、そしてマーリンの魚影も濃いそうだ。治安が良くなったら東海岸は是非行ってみたい。気候はインドネシアのバリに似ていて蒸し暑い。民芸品もバリと似ていた。
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ニカラグアも他のラテンアメリカ諸国と同じで悲惨な歴史を持つ。1502年にコロンブスに発見され1520年ごろからスペインの植民地化が急ピッチで進んだ。先住民は奴隷化され、過酷な労働を強いられた。そのうえヨーロッパから天然痘などの疫病が伝播すると、虐殺や奴隷化の対象となった先住民人口は絶滅に近いほど激減した。そしてほぼ絶滅すると、代わりにアフリカ大陸から労働力として黒人奴隷が投入されるのも、他のラテンアメリカ地域と同様であった。
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歴史を調べるたびに感じるのは、日本は過去に中国や韓国、北朝鮮にひどいことをやったが、ヨーロッパのかつての強国であるスペインやポルトガル、イギリスなどはもっとひどいことをやってきているのである。それなのにさほど非難されないのが不思議で仕方ない。

歴史の話はこれくらいにあいておいて本題の釣りに戻る。
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海岸沿いは危険なので釣りはニカラグア湖からカリブ海に注ぐサンジュアン川がポイントとなる。川の基点であるサンカルロス周辺と、そこから40キロ下ったサバロ周辺を今回は狙った。サンジュアン川は河口近くでコロラド川と別れる。コロラド川はコスタリカ領内を流れてカリブ海に注ぐ。そこは世界的に有名なターポンロッジが並び世界中からアングラーが訪れている。俺もコロラド川河口に2回行っている。
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そんなことだからサンジュアン川の河口で釣りをしたくなるのは当然である。でもかなりデンジャラスらしい(マネージャーのフィリッポさんの話では)ので数年は無理だろう。

基本的にはターポンは海水魚である。産卵は海で行われ、幼魚を川で見ることはないらしい。そして汽水域までは入ってくるが、川を上流まで上るのはサンジュアン川だけらしい。これは科学的にまだ謎らしいが、タグ&リリースされたターポンの再捕データからフロリダからニカラグアを通り越してパナマまで回遊することは証明されているようだ。ターポンの生息海域はカリブ海沿岸諸国とアフリカのギニア湾沿岸諸国である。共通しているのはどちらも熱帯雨林気候の国が多い。雨量が多く、広い面積の汽水域があることがターポンの生息に必要なのだろう。
古代魚であるターポンははるか昔からほとんど姿を変えてないらしい。空気呼吸ができるのも古代魚のピラルクと似ている。そして空気を吸いに定期的に水面に上がってくる。ファイト中も何度も水面に顔を出して空気を吸う。そしてそのあとは生き返ったように元気になってしまうのだ。

その華麗なジャンプとずば抜けた持久力は釣りのターゲットとして高い人気を誇る。しかしその数は年々減少しているらしく、ほとんどの国で手厚く扱われている。コスタリカではリリースギャフ(返しの無いギャフ)でランディングして船べりでリリースしている。船上に上げることは数年前から禁止されているようだ。今回訪れたニカラグアはさらに手厚く、ギャフもネットも使わず、完全なハンドランディングだった。そして船べりに寄せると素早くルアーをプライヤーで外してリリースしていた。アングラーにとってちょっと残念だったのは船べりで魚を持ち上げた写真が撮れないことだった。これもこれからの時代では主流となっていくのかもしれない。
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Wikipediaでターポンを検索すると最大は250センチ、161キロが記録されているらしい。とにかく夢を与えてくれる魚である。いつまでも釣れてくれることを願う。そのために今回のニカラグアは多くのことを学んだ釣行だった。ニカラグアがこれからも素晴らしいフィールドとして存続していくことを願う。そして自然も素晴らしかった。隣国コスタリカは国土の30パーセントが自然保護区であり、多くの野生動物、植物が保護されている。ニカラグアも国土の多くが自然保護区に指定されていた。平和で自然の豊かな国を目指しているのだろう。
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外房ヒラマサキャスティングゲーム
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外房と言えば近海ジギングの発祥の海である。俺も14年前に初めて外房のジギングに挑んだ。当時ジギングと言えば、まだナイロンラインが主流でPEラインを使っている人はごく一部だった。そんな中でPEラインをリールに巻いて松鶴丸に乗りこんだ。
前日は潮が速く、ジギングは底が取りにくく根掛かりが続出して釣りにならなかったと船長が言っていた。そういうことなので船長のお勧めで沖にカツオ、キメジを釣りに行くことになった。
沖でカツオ、キメジがそこそこ釣れたので、俺は船長に「帰り際でいいですから1回だけジギングポイントを流してくれませんか」と言った。
潮は速かったがPEラインなので底は確実に取れた。そして1回目の流しでヒット。3キロくらいのヒラマサをキャッチした。これが俺の外房初ヒラマサである。初挑戦でキャッチだった。ジグは3オンス(84グラム)だった。当時3オンスと言えばヘビーの部類だった。

そして外房は近海ジギングの人気スポットとして多くのジガーを育ててきた。

アシストフックを発案したのも外房ジガーである。長年日本のジギングに多大な貢献をしてきた。

そんな外房で2年くらい前からキャスティングで狙うヒラマサが人気上昇中だ。

サイズが大きい。そしてヒットの瞬間が見える。スポーツ性の高いこの釣りはまたたくまに多くのジガーを取りこんで大型のヒラマサが次々とキャッチされていった。

キャスティングでヒラマサを釣ることをブームにした一人として佐賀のサンライズの田代誠一郎船長が真っ先に浮かぶ。奄美でGT船のクルーとして長年働いてきた田代はヒラマサにおいても同じ可能性を求めていた。田代の師匠はあの福井健三郎である。ポイント開拓の大好きな師匠の下で働いていたこともあり、積極的にポイントを開拓していった。そして結果が出るまでにそう時間はかからなかった。

その田代船長が外房に初めて現れたのが2008年の2月8日である。ロッド1本、ルアー2個、リーダー5メートルをたばねてコンビニ袋に入れて親交のある山正丸に乗りこんだ。そのときお付き合いしたのが野澤と谷口である。

結果は田代が15.9キロと9.8キロ。野澤が9.3キロだった。田代が初挑戦でオオマサを2本もキャッチしたニュースは瞬く間に外房ジガーに知れ渡った。

あれから1年8カ月が過ぎた。

おりしも数日前からとんでもないサイズが釣れ出していた。10月11日22.1キロ。10月13日25.1キロ。他にも10キロオーバーが続々キャッチされていた。まさにニュージーランドとアベレージサイズは同じかそれ以上だった。

そして外房ジギングトーナメントの前日、多くの仲間と山正丸に乗りこんだ。その中にはあの歴史的な1日である2月8日に田代と一緒に乗り込んだ野澤と谷口もいた。その日は谷口もオオマサを掛けたのだが一方的に遊ばれて完敗だった。

当日は土曜日ということもあり22名も乗りこんでいた。こんなに乗っていてキャスティングができるのかなと思ったが、さすが外房の常連はレベルが高い。日ごろからハイレベルな釣りを求めているだけにキャスティングは素晴らしかった。

そしてまず外房の実力者野澤のBC-γ60にヒラマサが襲いかかった。
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水深は15メートル。外房は日本全国でもトップクラスに難しい海である。

野澤はすぐに主導権を取ると一気に勝負に出た。ほとんど走らせず2分でキャッチ。16.4キロだった。
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ロッド:MCワークスEX704SSR"SOTOBO SP" プロト





続いて小澤にヒット!これもBC-γ60である。

8キロのドラグで1分強でヒラマサは浮いた。
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サイズは12キロ。
ロッド:BC73MLR


二人とも速効勝負だった。外房は走らせて取るか、強引に勝負するかのどちらかに分かれる。強引にやればヒラマサも本気になる。逆に力をかけないファイトをすればヒラマサも本気にならない。どちらを取るかとなる。俺は力勝負しかできないが・・・
ニュージーランドの経験からわかったことは20キロのヒラマサは本気になれば20キロのドラグを引き出すパワーを持っているということだ。そして障害物が目の前にあればよりパワーを出すことも。

しばらく平穏が続いたあと。

今度は谷口のBC-γ60にヒラマサが襲いかかった。
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ロッドはBC79LR、ラインはPE4号、強引なファイトはできない。前者の二人とは対照的なファイトとなった。

船長の操船も素晴らしかった。この浅いところで巧みに根を交わし、確実に距離を詰めていった。

仲間が見守る中、最後はぐるぐると円を描きながら浮いてきた。

そしてネットへ
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1年8か月前の完敗から外房に通い続けること25回。坊主の連続。そして返り討ちにも遭った。

こみ上げてくるものに耐え切れず、ついに涙が・・・
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声を出して泣いた。



おめでとう!
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12キロ、18.2キロ、16.4キロ
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その日の宴会では谷口が主役だった。
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あのダックス会長が小さくなった。
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PS。俺も釣ったのだが、影はほとんどなかったよ。
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