2012/04/07

ありがとう。ほんとにありがとう。

ありがとう。ほんとにありがとう。
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俺が20代のころ、一番親しくしていた友人が死んだ。


俺が破天荒に生きていた(今でもそうかもしれないが)あのころ、俺を弟のように可愛がってくれた友人だった。

まだ59歳だった。

20年くらい前に脳溢血、そして12年前にくも膜下出血と2度生死の境をさまよったが3度目はさまようことなく逝ってしまった。

12年前に慶応病院に見舞いにいったとき、「タバコと酒やめたら」と言ったら「好きなものやめてまで長生きしたくねえよ」と言っていた。面倒見の良い兄貴肌の男だけど、頑固で人の言うことを聞かない性格だった。他人の心配は人一倍するのに自分のことはどうでもいいような奴だった。


20代のころ、俺がギャンブルで借金だらけになり、家賃滞納(電気、ガスも何度も止められた)でアパートから追い出されたとき、自分のアパートに泊めてくれた。ところが1~2か月で出ていくと思っていたのが半年以上も出て行かなかった。しかも頻繁に女を連れ込む、それも複数の女を。アパートに戻ると俺が女を連れ込んでいるので、部屋に入らず、近くの喫茶店で時間をつぶしていた。
そのことは20年以上経ってから周りの人によく話していたそうだ。
立花「俺の部屋なのに、なんで俺が出てなきゃならねんだ」と。

立花のギャンブル好きは半端じゃなかった。アパートに泊まるより、雀荘で徹夜する方が多かった。そして競馬、パチンコなどなど。
会社を経営してからはラスベガスへ何度も行ったそうだ。

立花はギャンブルが大好きだけど、いつも冷静だった。俺はすぐ熱くなって、暴走ばかりしていた。おかげで借金だらけ。
いつの日か、ギャンブルはピタッとやめた。あのまま続けていたら俺は東京湾に身を投げていたかも。


ただギャンブルをやめたあとは釣りに狂ってしまった(爆)


その後、俺は結婚をした。立花はよく俺の家に遊びに来た。


28歳のとき、俺は妻と沖縄へ引っ越した。東京でのサラリーマン生活が嫌になり、沖縄に新天地を求めた。
始めのころはまじめに働いていたが、ある日、堤防で1.8キロのハタを釣って人生が一変した。


2年ほど省略。


3年後には妻から逃げ出して、磯にテントを張って1か月も釣りをする大馬鹿野郎となっていた。


その後も長くなるので省略。


立花と連絡が途絶えてから15年が過ぎ、俺は43歳になっていた。


ふと立花に会いたくなり、昔の住所録から調べて、立花の本庄の実家へ電話した。
お母さんが出て、立花の携帯番号をおしえていただいた。

すぐに電話をする。

俺「茂木だよ」

立花「おめえ生きてたのか!」

その日のうちに渋谷であった。

俺「いま、何してるんだ?」

立花「会社経営してるよ」

立花「おめえは何やってるんだ」

俺「釣りだよ」

立花「漁師になったのか?」


ちょっと省略


そのまま立花のベンツSL600に乗って立花の会社へ行った。

深夜の2時ころである。

会社にはたくさんのパソコンが並んでいた。

俺「凄い会社だね」

立花「パソコン1台上げるよ」

さらに昔の妻のことも言われた。

立花「お前を探して東京まで来たよ。7年くらい前だっかな」

俺「・・・」



そしてすぐに俺のホームページを作ってくれた。

そのホームページ制作者がmたんだった。


15年ぶりに再会してからは都内でよく一緒に飲んだ。
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10年前にプロショップMOGIをオープン。釣りのツアーが一気に増えて、一緒に飲む回数は少なくなった。でもたまに奴の行きつけの居酒屋にヒラマサを送ったりしていた。



そして


4日の夕方、mたんから電話があった。

泣きながら「立花さんが死んじゃったよ」


告別式は6日の11時からだった。

6日の朝、福岡空港を始発で出た。

羽田に到着。渋滞情報を見たら高速が混んだなかったので車で向かった。


10時50分ごろ到着。

会場は立花の実家がある埼玉県本庄市の安養院。


お経が終わってしばらく休憩となった。

立花の会社に長年勤めていて、立花が入院するたびに身の回りの世話をしていた菊ちゃんが俺に近づいてきて言った。

菊ちゃん「もぎりんに見せたいものがあるんだ」

それは立花の自宅の金庫に封印されていたものだそうだ。

家族も社員も見たことがない写真が数枚この箱に入っていた。
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菊ちゃん「箱を開けるからね」


出てきた写真はこれだった。
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立花の20代のころの写真と、俺の家に遊びに来た時の写真だった。

ずっと大切にしまっておいたのだ。

妻の写真は俺も持ってないのに。
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菊ちゃん「立花さんはカラオケなんか絶対に歌わない人だったのに」


※俺の写真は恥ずかしいので・・・(^^;;;
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こみ上げるものにもう耐えられなかった。

人目をはばからず大泣きした。



立花は一生独身だった。30年くらい前に長年付き合っていた女性がいたけど、結婚しなかった。


天国に行っても一人じゃ退屈だろうな。


霊前で棺桶に花を添えるときに、立花が好きだった競馬新聞や日本酒も添えた。

俺「そのうちまたふらっと会いに行くから、また麻雀でもしような」


そして「ありがとう」と何度も繰り返した。





その後、火葬場に行き、再び安養院に戻って、遺族、親族、友人の人たちと食事をした。

菊ちゃんやmたんが言った。立花は昔の話になるといつも俺のことを話していたそうだ。


立花にとってあのころが一番楽しかったんだろうな。

最近、会いに行かなくてごめん・・・




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そしてmたんを乗せて板橋へ向かった。

mたんも昨年の8月にお父さんを亡くした。元気なよくしゃべるお父さんだった。

2000年の2月にmたんがフィジーで結婚式をあげるときはお父さんに親の代理を頼まれた。

でも貧乏だった俺は服など買えず、膝がボロボロのズボンを穿いてmたんとバージンロードを歩いた。椅子に座ろうとしたら「ビリビリ」と膝の部分が裂けてしまった。
mたんが笑いながら言った「もぎりん、mたんとバージンロード歩くんだからズボンくらい買って来てよ」

その後のmたんも波瀾万丈の人生となった。

俺が親代わりになったがために。

俺「mたんごめんな」

mたん「うん全然気にしてないよ。そして誰も恨んでないよ」


mたんはいま、名古屋で働いているそうだ。そしてなんとハーレーダビッドソンに乗ってるそうだ。

俺「ハーレーに乗ってる写真をあとで送って」

mたん「うん!」


お父さんと一緒に住んでいた板橋の住所に送る途中、ボンガキの家が近いので顔を出した。

1年前に亡くなったボンガキのお母さんに線香をあげた。お母さんにも生前いろいろとお世話になった。


そしてなっちゃんを含めて4人でボンガキのお母さんもmたんのお母さんも通っていたという寿司屋で食事した。
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mたん「今年で●●才になるんだよ」

ボンガキは23歳、なっちゃんは20歳。

俺「mたんの子供みたいだな」(笑)

mたん「もうもぎりんたら!」



以下はmたんが壊れるきっかけとなった?アフリカの写真です。1999年に行きました。
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