雪に降られて縄文杉・その2
屋久杉は育つ環境が良いところでは本物の屋久杉になれない。人間も環境に恵まれすぎると大きな人間になれない?
若いときの苦労は買ってでもせよとは良く言ったもんである。まさしく屋久杉そのものである。屋久杉は大木の中で生まれる。小さいときは大木の影になって太陽の光がほとんど当たらないので育つのが遅い。500年くらいまでは実にゆっくり成長する。そして500年を過ぎたころ、周りの木に並ぶくらい成長したときから太陽の光を浴びて大きく育つ。そして若いときにしっかりと基礎ができたことで2000年以上も生きることができる。普通の杉は寿命500年と言われている。若いときに一気に成長するが、寿命が短く大木にはなれない。
この日は運が悪いことに雪が降ってしまった。

雪に備えてなかったので、滑るし、寒いし、手袋も防水ではないので雪が溶けて浸み込んで超冷たい。
標高約1000メートル付近
翁杉(オキナスギ)。2010年9月10日ころに倒れてしまった。推定樹齢は2000年、幹回りは12.6メートルで枯れ死してない屋久杉の中で縄文杉に次ぐ太さだった。

翁杉から少し登ったところにウイルソン株がある。しかし雪が強く降り出してカメラを取り出せない。
滑りながらも懸命に登る。
登るに連れ、雪がどんどん深くなってきた。

標高1300メートル
ようやく縄文杉に到着。

誰かが作った雪ダルマ。

幹回りはなんと16.3メートル。推定樹齢は2000年から7200年までと広すぎ(笑)

それでも、その大きさには圧倒される。もっと近づきたいが柵を越えるのはダメ。
トップで登り始めて6番目で縄文杉に到着。俺としてはよく頑張った。
でも下りが大変だった。滑るので必要以上の力が足の付け根や膝にかかった。まして背負っている荷物が15キロくらいある。
途中から膝を曲げることができなくなった。
大王杉。推定樹齢3000年。

縄文杉が発見されるまでは屋久島で一番の巨木だった。
さらに雪が深くなり、後から来た人にどんどん追い越される。

ウイルソン株。

伝説では1586年に豊臣秀吉の命令により京都の方向寺建立の為に切ったとされている。米国のウイルソン博士によって世界に知らされたのでこの名がついた。
ウイルソン株の中に入って上を見上げるとハート型だった。

株の中は畳10畳くらいの広さ。
さらに数キロ下る。登山者のほとんどに追い越された。足が痛くて、まさに地獄。
小杉谷小学校の跡。

小杉谷は屋久杉伐採の基地だった。昭和35年ころは540人の人が住んでいた。児童生徒はピーク時(昭和37年)147人まで膨らんだ。昭和45年7月、下屋久営林署の事業所廃止に伴い廃校となった。
小杉谷の歴史。

登るときは真っ暗だった橋。欄干がないのでけっこう怖い。足が痛くて、ヨロヨロ歩きなんでなおさらだった。

終バスの時間がどんどん迫ってくる。携帯がガンガン鳴る。登山口のスタッフが心配して電話をかけているのだ。でも手がかじかんで携帯を取り出せない。それよりも早く下りることが大事だし・・・
辺りは真っ暗になった。再びヘッドライトを点ける。
やっとゴールが見えてきた。まだバスは待機していた。
往復22キロの山歩きがようやく終了。結局全員に追い越されて最後の登山者となった。
俺以外に誰もいない終バス。

ホテルに戻ってびしょ濡れになった靴をドライヤーで乾かす。

辛かったけど、最後まで一人でやり遂げたので目的は充分に達成できた。
次にどこかの山に挑むときはカメラは1台にしよう。さらにミラーレスなんかが良いかも。雪対策としてアイゼンも絶対に必要だな。そして完全防水の登山靴、手袋などなど。
翌日は実に良い天気だった。

昨日は辛かったけど、縄文杉の生い立ちを少しだけ味わえたような気がした。
レンタカーで観光名所を回った。
千尋の滝。花崗岩の一枚岩から流れ落ちる優雅な滝。

水量が少なくて迫力不足。
コスモス畑。満開でした。

トローキの滝。日本では2ヵ所しかない、直接海に落ちる滝。

終わり
若いときの苦労は買ってでもせよとは良く言ったもんである。まさしく屋久杉そのものである。屋久杉は大木の中で生まれる。小さいときは大木の影になって太陽の光がほとんど当たらないので育つのが遅い。500年くらいまでは実にゆっくり成長する。そして500年を過ぎたころ、周りの木に並ぶくらい成長したときから太陽の光を浴びて大きく育つ。そして若いときにしっかりと基礎ができたことで2000年以上も生きることができる。普通の杉は寿命500年と言われている。若いときに一気に成長するが、寿命が短く大木にはなれない。
この日は運が悪いことに雪が降ってしまった。

雪に備えてなかったので、滑るし、寒いし、手袋も防水ではないので雪が溶けて浸み込んで超冷たい。
標高約1000メートル付近
翁杉(オキナスギ)。2010年9月10日ころに倒れてしまった。推定樹齢は2000年、幹回りは12.6メートルで枯れ死してない屋久杉の中で縄文杉に次ぐ太さだった。

翁杉から少し登ったところにウイルソン株がある。しかし雪が強く降り出してカメラを取り出せない。
滑りながらも懸命に登る。
登るに連れ、雪がどんどん深くなってきた。

標高1300メートル
ようやく縄文杉に到着。

誰かが作った雪ダルマ。

幹回りはなんと16.3メートル。推定樹齢は2000年から7200年までと広すぎ(笑)

それでも、その大きさには圧倒される。もっと近づきたいが柵を越えるのはダメ。
トップで登り始めて6番目で縄文杉に到着。俺としてはよく頑張った。
でも下りが大変だった。滑るので必要以上の力が足の付け根や膝にかかった。まして背負っている荷物が15キロくらいある。
途中から膝を曲げることができなくなった。
大王杉。推定樹齢3000年。

縄文杉が発見されるまでは屋久島で一番の巨木だった。
さらに雪が深くなり、後から来た人にどんどん追い越される。

ウイルソン株。

伝説では1586年に豊臣秀吉の命令により京都の方向寺建立の為に切ったとされている。米国のウイルソン博士によって世界に知らされたのでこの名がついた。
ウイルソン株の中に入って上を見上げるとハート型だった。

株の中は畳10畳くらいの広さ。
さらに数キロ下る。登山者のほとんどに追い越された。足が痛くて、まさに地獄。
小杉谷小学校の跡。

小杉谷は屋久杉伐採の基地だった。昭和35年ころは540人の人が住んでいた。児童生徒はピーク時(昭和37年)147人まで膨らんだ。昭和45年7月、下屋久営林署の事業所廃止に伴い廃校となった。
小杉谷の歴史。

登るときは真っ暗だった橋。欄干がないのでけっこう怖い。足が痛くて、ヨロヨロ歩きなんでなおさらだった。

終バスの時間がどんどん迫ってくる。携帯がガンガン鳴る。登山口のスタッフが心配して電話をかけているのだ。でも手がかじかんで携帯を取り出せない。それよりも早く下りることが大事だし・・・
辺りは真っ暗になった。再びヘッドライトを点ける。
やっとゴールが見えてきた。まだバスは待機していた。
往復22キロの山歩きがようやく終了。結局全員に追い越されて最後の登山者となった。
俺以外に誰もいない終バス。

ホテルに戻ってびしょ濡れになった靴をドライヤーで乾かす。

辛かったけど、最後まで一人でやり遂げたので目的は充分に達成できた。
次にどこかの山に挑むときはカメラは1台にしよう。さらにミラーレスなんかが良いかも。雪対策としてアイゼンも絶対に必要だな。そして完全防水の登山靴、手袋などなど。
翌日は実に良い天気だった。

昨日は辛かったけど、縄文杉の生い立ちを少しだけ味わえたような気がした。
レンタカーで観光名所を回った。
千尋の滝。花崗岩の一枚岩から流れ落ちる優雅な滝。

水量が少なくて迫力不足。
コスモス畑。満開でした。

トローキの滝。日本では2ヵ所しかない、直接海に落ちる滝。

終わり