2008/04/19

シエラレオネ

廃墟

アフリカ西海岸のシエラレオネに行ってきた。ずっと内戦が続していた国である。どんな国なのかとネットで検索すると「世界一平均寿命の短い国」と紹介されていた。内戦のこともあるが、マラリア、黄熱病、コレラ、チフス、破傷風、エイズ・・・危険な病気もいっぱいある国だ。

アフリカって二つに分けられる。一つは「2度と行かない」という人。もう一つは「また行きたい」と言う人。俺は後者だった。始めてアフリカに行ったのは1997年のザンビアのタンガニーカ湖とザンベジ川だった。目の前に野生動物をいっぱい見て感動したのを今でも鮮明に覚えている。

その後、ザンビアを3年連続訪れ、タンザニアに行き、エジプトに2回行った。

アフリカはトラブルは当然多い。そんなことは行く前からわかっていることだから、現地で気にはならなかった。というか、ここ数年はトラブルが楽しみの一つになっている。アフリカに限らずアメリカやイギリスでもトラブルは多発する。先進国でのトラブルは少し腹立たしいものがあるが、発展途上国でのトラブルは気にならなくなった。そんなこと気にしていたら楽しい旅もつまらない思い出になりかねない。そんなことを気にするなら行かなければいいのだから。

スリランカ、インドネシア、パプアニューギニアなどでもトラブルは数え切れないほどあった。それが今では楽しい思い出となっている。そして遠征先でそんな昔話を楽しそうに話すことが多くなった。

シエラレオネはどんな危険な国なのか?
行ってみて感じたことは「どの国も平和を願っている」ということ。まして最近まで内戦で苦しんでいた国である。平和を望む気持ちはどの国よりも強く感じた。悪い人はほんの一握りで、その人たちがたまに国をおかしくする。99パーセント以上の人は平和を望んでいるのだ。

荷物持っていると誰となく近づいてきて荷物を持ってくれた。「モーニング」とすれ違うたくさんの人が笑顔で挨拶してくれた。そのちょっと恥ずかしそうな顔をしての挨拶が印象的だった。

そして子供たちは人懐っこく明るかった。どの国でも子供は可愛いけど、この国は特別だった。デジカメやビデオで撮って見せて上げると大喜びだった。歩いているとどこまでも着いてくる子供もいっぱいいた。みんな友達になりたいんだな。お金をせがむ子供は1人もいなかった。観光客の多い発展途上国はお金目当ての子供が多いから。
子供たち


同行した友人が言っていた。「アフリカはかつてはアジアより裕福だったのですよ」。
それが次々と独立していった後、あちこちで内戦が始まった。公務員の不正、職権乱用は目に余るほどひどくなった。これも「国がちゃんと公務員に給料を払わないから」なんだそうだ。内戦は部族争いだったり、権力争いだったり、アフリカには根深い歴史も多いそうだ。それが植民地の時代は抑えつけられていたが、独立してからおかしくなった。

日本は明治時代に大隈重信が「まず公務員にちゃんと給料を払おう」となって、今の日本がある。

国を治める人が私利私欲に走らないでちゃんと国の将来を考える。ということなんだろうな。

平和を願っている人がほとんどなんだから。

頑張れシエラレオネ!
2008/04/17

セイシェル

セイシェル2


2006年12月に続いて2回目のセイシェル諸島は今回もマヘ島から南西に200キロのアミランティス群島に行った。フラッツがまばゆく広大で行き着いただけでも満足できるような美しいところだ。
思い起こせば20年以上も前、石垣島で知り合ったダイバーから「世界で一番美しい海はセイシェル」と聞かされた。それ以来ずっと行ってみたい島だった。そして2年前に行って、噂どおりの美しさに感動した。夜は寝室に入らず、毎晩星の下で寝た。少し冷えたけど、星空の美しさは言葉で伝えられないくらい素晴らしかった。
セイシェル3


今年は参加希望者が多く2回に分けて行った。ヨットは遅いけど実に快適で、ハードな釣りの毎日なのにそんなにしんどいと感じられなかった。
ここ数年は一年の約半分が海外というような生活を続けている。飛行機に乗る回数も増えるばかりである。いつまでこんな生活を続けられるのか?俺も3月で54歳になった。
これからはもっとのんびりとした旅をしたいと思っている。そしてトラブルを楽しむような余裕を持ち続けないといけない。先進国、発展途上国を問わず、海外は日本では考えられないようなトラブルが多発する。そんなことを一々気にするような人は秘境向きとはいえない。何が起きても平常心でいられる強い人間でなくてはならない。そして穏やかに。

さて今日から1人でお留守番である。いつも留守番の店長は22日まで九州遠征です。

仕事大丈夫かな・・・
セイシェル1