2009/06/22

ショアから巨大GTを釣る!

ショアGT8

もともと磯釣り師だった俺は磯の上が大好きである。

6月17日、久しぶりに磯の上にたった。場所はトカラ列島宝島。
(船着場のすぐ隣の磯です。浜坂荘の主人ナオヤさんの話では根ずれが多いので誰もやらない場所だそうです)

同行の者にGTがヒットしたが3秒でラインブレイク

しばらくして俺のルアーに強烈な当たり!

目の前に岩があり、それに一直線で走った。

このままでは切られる

ドラグガチガチに締めても全然止まらない。

ハンドドラグで強引な勝負に出る

15メートルくらい走って相手は止まった。ドラグ18キロ(ロッドを立てた状態)+ハンドドラグだ。

思いっきりロッドをあおって魚の頭を反転させて主導権をつかむ。

力任せのポンピング
ショアGT1

10メートルくらい寄せたところで再び反転して走った。

「止まれ~!」「この野郎!」

島全体に響くような大声だったらしい(汗)

そのあと止まったが、全然動かない。

左手でスプールを力いっぱいおさえて、右手でロッドを握って体は後ろに倒れるくらいふんぞりかえっていた。右手が辛いが、左手を離せば、また相手は走るので耐えるしかない。

そんな状態が1分以上続いた。

ようやく動き出した。

手を抜くと走られるので渾身の力でポンピング

7年前に諏訪の瀬島の堤防で巨大GTをかけて手前まで寄せたところで油断して根ずれで切られた思い出がよぎる。

20年前、小笠原の磯でスタンディンングで2時間ファイトして、手前の根に回られて切られた思い出がよぎる。

最後まで気が抜けない。それがショアだ。

手前で切られないために離れた所で一気に強引に浮かせる。


4分後、白い大きなものが見えた。
ショアGT2


ショアGT3


ショアGT4




滝沢船長とナオヤさんが落としダモに入れるものの重くて上げられない。
ショアGT5



ナオヤさんが海に飛び込んだ。泳いで船まで引っ張っていく。
ショアGT6


船上に上げる。


量りは60キロぴったりで止まった。
ショアGT7


板の重さ3キロを差し引いて57キロ。波のないところでの計量なので正確である。


「勝った!」
ショアGT8

ロッド:カーペンターDJ83MH
リール:ステラ18000HG
ライン:サンライン・PEジガー8HG8号
リーダー:サンライン・ビッグゲームショックリーダー180ポンド
先端:フロロ80号を70センチ(マンユウ)
ルアー:FCllabo 堤防バイブ
ファイティングタイム:4~5分



55歳にして磯から巨大GTが釣れるなんて、夢にも思ってなかった。


何が起こるかわからない。


だから面白いのだ。


これからも挑戦を続けます。
2009/06/15

日本の城巡り1

お城に興味を持ち出したのは小学生の頃だ。姫路城のプロモデルを作ったり、自分でお城の設計図なんかを書いて遊んでた。

ここ30年は釣りばかりで、お城に行くことなど一度もなかった。しばし忘れていたお城のこと。

数年前から海外へ釣りに行ったとき史跡や博物館に寄ることが多くなった。

エジプトのピラミッド&カイロ博物館、ニュージーランドのオークランド博物館、そして昨年は始めて釣竿を持たないで海外へ行った。行ったところは昔から行きたかったローマとバチカン。釣竿を持たないで行くのが凄く新鮮に感じた旅だった。



城を久しぶりにしみじみ見たのは2年前の2月、姫路の友人の居酒屋へ行ったときだ。宿泊したホテルの窓から姫路城が見えた。現在の城は池田輝政によって1601年に大改築が始まり9年後に天守などが完成した。
姫路城1

夜もまた素晴らしい。姫路城は国宝、日本3名城のほかに世界遺産でもある。
姫路城2

翌年の5月は友人と姫路城のお祭りを見学。
姫路城3



今年に入ってからは釣りの遠征先で城を訪ねることが増えた。悪天候で船が出ないときは決まってお城見学である。同行の者も無理やり連れていかれてます。


まず2月に唐津の名護屋城。全国統一を成し遂げた豊臣秀吉によって1592年3月に完成。工事が始まってわずか8ヶ月で大阪城に次ぐ規模の巨城が完成した。その後朝鮮出兵のために全国から30万近い軍勢が集められた(そのうち17万が朝鮮半島に渡った)。10年後の1602年に唐津城築城のときに解体された。

大手門から見たところ。
名護屋城1

ここに天守があった。
名護屋城2

傘下には全国から大名、武士が集められた。突然の大都市が出来たのだが、水不足で争いが絶えなかったらしい。
名護屋城3

当時を復元した模型
名護屋城4

こんな城だったがわずか10年で解体された。
名護屋城5



次に対馬にある日本最古の城の一つ金田城。今では建物は残っていない。石垣だけが山の急斜面に点在して残っている。667年天智天皇が新羅、唐の連合軍の攻撃に備えて建てた。その4年前に日本は百済を応援するために大軍を朝鮮半島に派遣して白村江の戦いで大敗して半島から撤退した。

急な山道を1時間以上歩く。
金田城1

ここが一の城戸。
金田城2

1300年以上も昔に積み上げられた石垣。この急斜面にこんなに大きな石垣を築いたことに驚くばかり。歩くだけでも苦しくて死にそうだった。
金田城3



続いて唐津藩・唐津城。1608年に寺沢広高によって建てられた。建築材料には名護屋城を解体して使った。
唐津城1

1871年に廃藩置県により廃城となり、払い下げにより建造物が解体された。

現在の天守閣は1966年に建てられたものである。
唐津城2



続いて肥後・熊本城。1607年に加藤清正によって建てられた。広大な敷地面積と石垣は見ごたえ充分だ。西郷隆盛が西南戦争のときに攻めきれなかった城である。あとで西郷は「熊本城に負けた」と言ってたそうだ。
熊本城1

熊本城の石垣は高い。その積み方は極秘で積むときは幕で隠したそうだ。

また御殿には昭君の間がある。これは豊臣秀吉の子飼いの家臣であった清正が徳川家との戦が避けられなくなった際には、秀頼を熊本へ迎え、天下一のこの城で徹底的に徳川軍と戦うつもりであった...数々の武勇で名をはせた猛将・加藤清正にふさわしい伝説だと思います。

この部屋は、「昭君」ではなく実は「将軍の間」であったという説があります。
「将軍」とはもちろん、清正が忠誠を誓っていた豊臣家の若君、秀頼のことです。

1809年に原因不明の出火で全焼。現在の天守閣は1960年に建てられた。
熊本城2

加藤氏のあとを引き継いだ細川氏のときに宮本武蔵が招かれた。日本3名城の一つ。
熊本城3



そして信州は松本藩・松本城。石川数正、康長親子によって1593年から1594年頃に完成した。熊本城はこの松本城がモデルになったそうだ。
松本城1

明治時代になって旧物破壊思想のもと、松本城天守も売却・破壊の運命にさらされたが、有志の努力により、幾多の困難を乗り越えて現代まで保存されている。
松本城2

現存12天守の一つ。国宝。
松本城3



現存12天守
弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城

日本3大名城
名古屋城、姫路城、熊本城


さて次はどの城へ行こうかな?