2010/03/24

トカラ列島

手前から口之島、中ノ島、諏訪瀬島。
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初めてトカラを訪れたのは1991年で場所は最南端の横当島だった。無人島で硫黄の臭いが強烈な島である。ここの沖に停泊して2日間か3日間の釣りをしたのだが、深夜に船のアンカーが外れて大騒ぎしたことを今でも鮮明に覚えている。すでに船長が寝た後で、俺一人深夜まで釣りをしていた。ムロアジを餌にしてバラムツや大きなカマスを何匹か釣ったころ、島がどんどん近づいているのに気が付いた。よく見るとアンカーロープが反対側へ向いている。慌てて船長を起こして船を沖側へと移動した。あと数分遅かったら島に激突していただろう。全員船室で寝ていたので船が転覆したら助からなかったかもしれない。俺も寝ていたらと思うとゾッとする。

横当島
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それ以来、トカラも50回くらい行っただろう。1994年からはワールドマリン1号で行ったのだが、この船はトカラまで行く許可を取ってなかった。早い話、潜りで行ったのである。俺はそれを詳しく知らなかった。その後、ワールドマリン5号が就航するとトカラまでの許可が降りて堂々と行くことができた。そして2008年に奄美に所属するほとんどの釣り船がトカラに行けるようになった。その理由は2009年7月22日の皆既日食である。多くの研究者や報道陣が行くことになったが、奄美や鹿児島のほとんどの船がトカラに行けないことに学者たちが気づいた。それはかなり古い航行区域を限定していた規則だった。それは船舶安全法施行規則というものらしい。限界水域には限定沿海と限定近海がある。奄美や鹿児島からトカラに行く場合、限定近海の許可を取らなければならない。しかしほとんどの船が構造上の問題で取ることができなかった。ところが皆既日食の2年位前にこの古い規則が見直され、奄美の多くの釣り船に近海の許可が降りてトカラまで行けるようになった。見直しとなったのは船舶の安全性の向上である。この規則が適用された頃(戦後まもなく)とは船の速度が大幅に向上していることとトカラの港も拡張工事が大幅に進んだことである。

地理学上はトカラ列島で行政上は十島村となる。

十島村は最北の口之島から最南の横当島までで、その距離は直線で約160km。全国で最も長い村である。各島に平家の落人伝説がある。豊かな自然と独自の文化、天然の温泉は人々を魅了し年間を通してダイバーや釣り人、観光客が絶えない。しかし近年は人口が急激に減少している。

人口の推移
http://www.aruzou.com/tokara/jinkou.htm

1955年は2658人。2010年2月の人口は626人である。このままでは30~40年後には多くの島が無人島になるかもしれない。

今回は悪石島と口之島を訪れた。

トカラ列島の島を簡単に紹介。

口之島 13.3km2(125人) 最高点は前岳の628m。
十島村で最も北に位置し、十島村の玄関口である。人口は中之島に次いで多い。日本最古の野生化牛(純血種・口之島牛)が野山に群れをなしており、島民と共存している。なお純血種は口之島を含めて全国で2箇所しか生息しておらず、かつ野生は口之島のみである。島民にとって牛は友であり、かけがえのない財産である。
※口之島牛(くちのしまうし)は、日本で唯一の野生(化)牛の品種。西洋種の影響を受けていない日本の在来牛は、口之島牛と見島牛の2種類しか残っていない。鹿児島県鹿児島郡十島村、トカラ列島北端の口之島に棲息する。トカラ牛の俗称を持つ。
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中之島 34.5km2(155人) 最高点は御岳(トカラ富士)の979m。
諏訪之瀬島 27.8km2(63人) 最高点は御岳の799m。
悪石島 7.5km2(77人) 最高点は御岳の584m。
2009年7月22日の日食では悪石島が皆既帯の中心線付近に位置しており、皆既日食が6分25秒も継続することから島の人口の5倍以上となる約400人の観測者が殺到した。
島にある5軒の民宿には合わせても66名の収容能力しかなく水の確保なども懸念された。島では宿泊場所として学校の体育館やテントの利用、飲料水はJTの協力を得て島外からミネラルウォーターなどを持ち込むなどの対応を行った。


平島 2.1km2(78人)最高点は御岳の243m。
小宝島 1km2(49人)最高点は竹の山の103m。
宝島 7.1km2(128人)最高点はイマキラ岳の292m。
臥蛇島 4.1km2(0人)最高点は御岳の497m。
小臥蛇島 0.5km2(0人)
小島 0.36km2(0人)
上之根島 0.54km2(0人)
横当島 2.76km2(0人) 最高点は東峰の495m。

トカラの詳しい情報は以下を参照
秘境トカラ
http://www.aruzou.com/tokara/top.htm



現在、トカラ列島のGTゲームは世界中が知ることとなった。毎年多くの巨大GTがキャッチされていることは世界のGTアングラーの多くが知っている。2006年5月には諏訪瀬島の堤防で72.8キロのオールタックル部門の世界記録も出ている。
このトカラGTゲームの第一人者が福井健三郎である。俺と福井が初めて会ったのは1996年である。ワールドマリン1号で宝島の港に入り、工藤船長の紹介で福井と会った。会った瞬間にその風貌から只者ではないと感じた。野生そのものの男で都会の臭いは皆無。しかし聞けば横浜出身だった。7年前からトカラに住んでいるそうである。本業はダイビングのガイドだが、ほとんど客は来ないので一番の収入は民家のトイレの汲み取りらしい。数年前から堤防からのGTゲームにはまり、40キロオーバーを当時で10本以上キャッチしていた。総数は200本以上である。当時40キロオーバーを10本以上もキャッチしているアングラー(ルアー)は日本中で一人もいなかった。おそらく世界中探してもいなかっただろう。俺なんか当時まで1匹も釣っていなかった。

1997年ごろの福井健三郎。
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1997年に俺は宝島に行き、1週間福井と一緒に釣りをした。そこで一緒に磯に行き、キャスティングをして飛距離に驚いた。俺より常に10メートル以上遠くに飛んでいた。いろんなGTアングラーと釣りをしたことがあるが、福井の飛距離は桁違いだった。

1998年にワールドマリンに就職。そしてビデオ「GT爆連」に小西、平松、鈴木斉と共演した。このビデオが福井のデビュー作と言っていいだろう。ビデオの主役は福井であり、その実力は誰もが疑わなかった。

その後、メキメキと頭角を現し、GTのIGFA世界記録4部門を達成。2005年に独立、現在に至る。

福井健三郎のGT世界記録
8ポンドクラス 25.20キロ 2003年8月
12ポンドクラス 37.20キロ 2002年8月
20ポンドクラス 43.40キロ 1999年5月
30ポンドクラス 51.50キロ 2001年3月

申請しなかったが、2008年3月に50ポンドクラスで56キロも釣っている。これも申請すれば世界記録だった。
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2005年に独立後、毎年200匹以上のGTを釣らせている。その数は年々増えて昨年(2009年)は320匹を達成した。総匹数の中で40キロオーバーのGTが占める割合は世界一と言える比率である。カーペンターの小西健滋とは特に仲が良く、ルアーの開発の良きアドバイザーでもある。


ビッグディッパー
http://bigdipper-amami.com/



PS.今回の釣り報告

悪天候に泣かされた3泊4日でした。

1日目はほとんど移動時間だったが、出港してすぐに安田さんが21キロをキャッチ。
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安田さんは昨年GTだけで25回も遠征している。いま世界で一番GTにはまっている男かも。同じ京都出身には阿慈知さんという元気な還暦もいます(笑)。阿慈知さんもGT歴3年で200匹達成しています。京都人は壊れやすいのか?

1日目は悪石島の浜辺荘に泊まった。
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2日目は川原君が初GT24キロをキャッチ。1月には初クロマグロ190キロも釣っている。ニックネーム(鬼引き)どおり運の強さは世界一かも。
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2日目は午後から風が強くなり、早上がり。口之島の松元荘に泊まった。

3日目は出船中止で島内観光。

島内地図
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GTにはまりすぎて近々ここに勤務することになるかも。ドクターコトーならず、ドクターイトー診療所か(爆)
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坊主の皆さん(笑)
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島の最南部にあるセランマ温泉で。
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温泉タマゴも作った。
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山登りは疲れやす。

かわしま君のマッサージ最高!
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4日目は奄美に戻りながらの釣りだったが、いろいろと条件が悪くGTはキャッチできず。

平島もやったが・・・
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セイルもたくさんいたけど、活性が低くほとんど反応せず。
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俺がちょこっとやった胴の間ジギングだけ好調でした。
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バラハタ5.5キロ!


前日の強風で大陸から黄砂が大量に飛んできた。
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トカラは世界のGTアングラーの聖地です。

これからもビシバシ行きます!




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2010/03/17

マグロの国際問題

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最近のメディアや政治家のマグロ、クジラに関する話を聞いていると考えが偏っているとしか受け取れない。というか日本の政治家はレベル低すぎ。政治と金の問題なんて俺が政治に感心を持ち始めた40年くらい昔から討議されているけど、必死に叫んでいるフリしているだけで少しも進展していない。日本の政治家に自浄作用は期待できない。今後も進展しない。鳩山邦夫なんて何回離党すれば気が済むのか(笑)。君なんていなくなっても日本は少しも困らない。

マグロの国際問題だけど、日本人は「マグロが食べられなくなる」とか「マグロが高くなる(特に主婦)」程度しか考えてないようだ。国際取引禁止案が提出されるまでの経緯、シーシェパードやグリンピースがどうしてあのような行動に出るのかなど、そうなった経緯をもう少し考えてみるべきだ。だからと言ってシーシェパードの人命に関わるような過激な行動は決して許されるべきではない。

数年前に境の大きな巻き網会社が負債114億円を抱えて倒産した。ところが境漁港の「このままでは消費者に安いマグロが届けられなくなる」の懇願を受けて国が援助して再生してしまった。この巻き網会社が倒産した理由は「マグロが獲れなくなった」からである。マグロの市場価格は10年以上上がってない。その間に燃料代は高騰している。今後マグロはさらに獲れなくなるだろう。ということはこの会社が再び倒産するのは明白である。

そんなことより、マグロの漁獲規制を早く作ることである。年々減少しているのは境漁港の水揚げを見てもあきらかである。トン数は減っていなくても1匹あたりの平均重量が年々小さくなっている。マグロがさらに減少して獲れなくなったら境漁港はどうするのか?

境港の最近の水揚げ(巻き網)
2009年       864トン
2008年       2200トン 1匹平均37キロ
2007年       1978トン 1匹平均43キロ

1980年代は平均が100キロ以上だった。年々固体は小さくなっている。
このままでは卵を産む親がいなくなる。
1982年       1400トン 1匹平均118キロ

ちなみに2009年から境漁港は1匹平均の重量を公表しなくなった。巻き網に対する反論が強くなることを懸念したのかも。

以下参照
http://coralitem.blog58.fc2.com/blog-entry-643.html

産卵期にマグロは産卵場へ集まる習性がある。それを狙って巻き網が入る。卵を持った親マグロを一網打尽。こんなことをしていたらマグロがいなくなるのは明白だ。

以下参照「産卵期に巻き網で獲られたマグロ」
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/blog/monthlist_html?year=2009&month=7


2008年9月、ブログにこんなことを書いた。読んでない人は是非!
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-date-200809.html
アメリカでは各漁法ごとにタックが決められているが、巻き網よりアマチュア釣り師のほうがタックが多い。日本と違ってアメリカやニュージーランドはアマチュア釣り師の地位が高い。ただしレギュレーションは厳しい。俺が乗った船は釣り上げたマグロのほとんどをリリースしている。アメリカでは友人に「キープできるのは1船、1匹」と言われた。5人乗ってもキープできるのは一人だけなのだ。

アメリカ西海岸に回遊した太平洋マグロにアーカイバルタグを埋め込み、その後の回遊経路がわかる。
http://www.topp.org/species/bluefin_tuna

毎年12月から1月にかけてアメリカ西海岸から日本へ向けて動き始めるマグロがいる。そして約半年後の7月ごろ日本に到着する。
アメリカのマグロに関する研究は凄い。ニュージーランドでも毎年アメリカの学者(ジョージ・シリンガー)が来て40本前後のポップアップタグをクロマグロに打っていまる。ちなみにアーカイバルタグもポップアップタグも1本50万円もする。そして漁船や遊漁船がこの調査に積極的に協力している。はたして日本のマグロ漁船は協力するのだろうか?

太平洋クロマグロにアーカイバルタグを埋め込む動画。その後の回遊経路がわかる。船に上げられてタグを打たれてもマグロはほとんど生きている。



食文化というけど、天然物のクロマグロを毎月食べている人は何パーセントくらいいるのか。俺は2ヶ月に1回くらいである。年に5~6回くらいだ。これを食文化と言えるのか?

「漁業と魚食と海の生物多様性を未来に残せるか。ワシントン条約締約国会議で大西洋クロマグロの禁輸を討議」
http://ow.ly/1kN8g

この中で小松さんと佐々木さんの話が面白い。小松さんは食文化に関しても語っている。佐々木さんは俺にたびたび電話してくる。人生をマグロに賭けてしまったような人だ。今ではマグロの保護活動に専念していて本業のマグロ一本釣りは休業中。

築地の仲買人のブログも面白い。天然クロマグロは年々入荷が少なくなっているようだ。

築地の仲買人のブログ
http://blog.goo.ne.jp/matsuisuisan/

遠洋延縄漁船も巻き網漁船の進出で漁獲が激減、延縄も一本釣りと一緒で巻き網漁の被害者なのだ。

この遠洋延縄船はマグロの漁獲が10分の1に減少して地中海から撤退した。減少した原因は巻き網船の乱獲。
「遠洋延縄漁船のブログ」
http://blog.chokyumaru.com/?eid=937082



以下参照
平成21年11月9日から15日まで、ブラジル・レシフェで大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)年次会合が開催されたと発表。
 今回の年次会合では、東大西洋クロマグロ資源の保存管理措置について話し合われ、2009年の総漁獲可能量(TAC)22,000トンから、2010年は13,500トンに削減(4割減)すること、日本の漁獲枠は、1,871トンから1,148トンに削減すること、2011年以降のTACは、科学委員会の資源評価の後、翌年に設定する。なお、科学委員会が資源崩壊の危機(資源の回復が困難な状況)を認めた場合、2011年は漁業を全面停止する。

ちなみに日本でのクロマグロ消費量は 約4.3万トン(2008年)で、世界全体の約8割を占める。日本で消費されるクロマグロの約4割が大西洋産。


ワシントン条約会議に「大西洋クロマグロの国際取引禁止」という案が出された経緯を検証。

ICCAT(大西洋マグロ類保存国際委員会)は毎年の大西洋クロマグロのタック(漁獲制限)を決めているが、多くの国がそれを守らず違反してるのが実情。それならばワシントン条約会議にかけて国際取引禁止にするぞとなったわけだ。違反している国のバックには必ず日本の水産会社が絡んでいる。蓄養マグロの技術指導、蓄養施設の援助も日本の水産会社がやっている。そして違法操業で水揚げされたマグロのほとんどが日本へ出荷されている。ちなみにクロアチアは2008年に6000トンも違法操業して告発されている。クロアチアのバックには日本の大手水産会社がついている。
ちなみにICCATが決めた2010年のタックは13500トン。ピークは2006年の32000トンで年々減少している。そのうえ、2010年は科学調査委員会が大西洋クロマグロの生態調査をする。そこでさらに減少傾向にあることが判明すれば2011年は全面禁漁となる。
問題はこのタックをICCAT加盟国が守るのか、どうかということなのだ。今後も違反操業が続くようなら大西洋マグロは確実に減少していく。20年後は絶滅しているかもしれない。要は各国が守ることができるかどうかなのだ。守らないからワシントン条約会議に国際取引禁止案として出されたわけなのだ。禁輸が決定すれば違反してまでもマグロを獲らないだろうと提案国が考えたからなのだ。獲っても売れないわけだから。ICCATの決定したタックを各国が守っていればワシントン条約会議への提案もなかっただろう。

すでに日本はそれがワシントン条約で決められても従わないと大臣が話している。こうなると日本はさらに孤立するだろう。特に環境保護団体は強く抗議してくるだろう。一番消費して恩恵を受けている国が何もやってないのが現状。獲るだけ獲って保護に関しては目をつぶってるのが日本の現状。
太平洋クロマグロに関してもアメリカは何年も前からタック(漁獲制限)を作るようにと日本に要請している。ところが日本は無視し続けていた。ようやく昨年の12月に小型マグロに限りタックを作った。ところがその管理が甘い。当面は巻き網業界の自主規制として実施する方針だとか、こんな甘いやり方ではタックは無いのも同然。

巻き返せるかマグロ禁輸案
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/36804.html

クロマグロ規制
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201003140114.html

それなのに何の対策も取ろうとしない日本。国際取引禁止に必死に反対する日本。まずは自国のマグロをちゃんと管理することからやらないと世界からますます相手にされなくなる。一番消費している国なのだからやる義務があるのだ。

太平洋クロマグロの産卵海域はフィリピン北方海域から本州西方海域まで。そして成長後、多くの固体がアメリカ西海岸まで回遊する。そこで数年間成長した後に再び太平洋北西海域に戻ってきて繁殖行為を繰り返す。その後、ニュージーランドやオーストラリアまで回遊することも調査の結果明らかになっている。ようするに太平洋クロマグロは日本だけの魚ではなく、太平洋沿岸諸国の魚なのだ。保護するためには各国が協力し合わなければならない。なのに調査はほとんどアメリカに任せて、日本はほとんど調査もせず獲って食べるだけというのが実情。

まず国内の巻き網を規制すべき。そして太平洋クロマグロのタック(漁獲制限)を早急に決めるべき。

それとこれからはクロマグロの完全養殖にさらに力を入れるべき。クロマグロの養殖に関しては国も数年前に取り組んだけど、難しいということで3年で撤退している。しかし近畿大学の水産研究所は完全養殖に成功した。この完全養殖が軌道に乗れば自然界のクロマグロを獲る必要も少なくなる。牧場で飼育されている牛や豚と同じようになるわけだ。クジラの問題でやっきに日本を攻めている方々も牧場の牛や豚を食べることに関しては何も反対しない。要するに自然界の生き物と人工的に飼育された生き物は別の生き物扱いなのだ。

近大の完全養殖マグロ、過去最大の出荷数に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20091024-OYT1T00711.htm

クロマグロ完全養殖の道
http://www.ecp.kindai.ac.jp/press/435/learning/kumai.htm




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鯨だってほとんどの日本人が食べていない。調査捕鯨で捕獲された毎年1000頭にものぼる鯨は買い手が減り、冷凍庫にたくさん眠っている。売り値も年々安くなっているのが現状。さらに調査捕鯨関係者(公務員)のクジラ肉横領の疑いも出ている(現在裁判審議中)。

それと調査捕鯨ってなんなのか?鯨の生態調査なら毎年1000頭も殺さなくてもできるのでは。俺には販売を目的としか考えられない。そして利権、天下り、横領・・・

調査捕鯨トライアングル
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/t2/whalecircle_html
利権、天下り、横領など、調査捕鯨に関しては疑わしいことだらけ。

商業捕鯨の再開にGOサインがでたからといって、即再開できるような状況には日本にはない。捕鯨禁止になる前の捕鯨漁船のほとんどが廃船になっているし、沖に行って捕鯨に即従事できる人も今では数少なくなってきている。再開だからといって、すぐに船を建造できるものでもない。

クジラを食すのは日本の食文化だという人がいるけど、調査結果では一人0.1グラムしか食べてない。魚介類の800分の1、豚肉の300分の1だ。これで食文化と言えるのか?まして調査捕鯨で捕獲されたマグロは売れずに冷凍庫に大量に眠っている。この冷凍施設も電気代も税金が使われてる。

クジラは一人0.1グラム
http://blogs.yahoo.co.jp/zenshinjuku/10506870.html

鯨の年間捕獲数と消費量
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2705226/5439715

在庫が過去最高に
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/pr20091211oc_html

商業捕鯨がたとえ再開されても誰が食べるのか?
今の子供たちが大人になったとき、食べる人は激減していると思うのだが。商業捕鯨が再開されてもクジラ肉が売れなければ、捕獲も自然に減っていくとは思うが。そんなことにはたして企業が動くのかも疑問。


10年後、20年後を見据えた政策を日本国には期待できないのか。





ぎょねっとさんです。今回は釣りとはほとんど関係ありませんが。
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2010/03/15

20年連続の奄美大島

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俺の奄美大島通いも毎年連続、今年で20年目になる。回数にしたら100回を軽く超えている。多い年は8回も行った。


20年前の奄美の写真を探していたら、もっと古い写真がいっぱい出てきた。昔はカメラを持っていなかったので仲間が撮ってくれた写真だけである。そのほとんどは永井さんが撮ったものだ。古いので色も変色してカビみたいなものも出てしまってるけど俺の荒磯(大物狙いの磯釣り)時代の貴重な写真です。二人とも若いね。しかも俺はろくなもんを食べてなかったからガリガリに痩せてる。永井さんは25年前から全然変わってないです。


1985年に波照間島の磯で1カ月もテント生活したときの写真です。
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周りからは磯コジキと呼ばれてた(^^;


その後も波照間には何度も通った。でも目標の大物は釣れなかった。
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1987年8月に小笠原に初遠征。

永井さんがスタンドアップファイトで51キロのイソマグロを釣った。これは当時日本中が驚いたビッグニュースだった。
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ロッド:がまくえ70改造
リール:ペン・セネター12/0
ライン:130ポンド
ファイティングタイム:12分

ハーネスを付けて当たりを待つ俺です。俺はここでも大物に縁がなかった。
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若い!
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1991年に初めて奄美大島を訪れた。

船はニュービッグオーシャンです。この船は現在外房の大原で活躍中の第1松鶴丸です。
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北村さんも一緒でした。
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当時はナイロンラインでジギングやってました。
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ジギングの釣果です。
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永井さん、松井さん(現・岳洋社社長)も一緒でした。
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1993年7月にワールドマリン奄美がオープン!支配人は工藤さん(現:マリンチャレンジャー船長)でした。
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オープン当時のウッキーです。若い!(^^)
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ワールドマリン1号艇です。PEラインを使ったジギングはここで育ち、急激に普及していきました。
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1996年6月17日に50キロのカンパチを釣った。これも当時日本中が驚いたビッグニュースです。
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ロッド:マニューバースティック70M
リール:アブ8000C
ライン:PE(ディープワン)4号
リーダー:フロロ24号
ジグ:マニューバーダンサー280グラム
ファイティングタイム:1時間10分


ワールドマリンは2004年に閉鎖したけど、多くの船長、そして釣り人を育ててきました。現在、そこで育った多くの船長、アングラーが最前線で活躍しています。


怪物君(ビッグディッパー船長:福井健三郎)は1998年にワールドマリンに入社しました。


サンライズの田代誠一郎船長も2000年に入社。メキメキ成長して今では大人気の船長です。




ところで今回の釣果は・・・

かなり渋かったです。

場所は奄美大島南部です。宿は料理が定評の加計呂間島のペンションRIKIです。
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高級魚ハージン(沖縄名:アカジン)をダブルキャッチ!
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宴会用の魚になりました。
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カンパチは最大が8キロでした。
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まあ100回以上通った中にはこんな釣果も何度かありました。いつも釣れてばかりでは感動も薄くなりますからね(苦笑)


加計呂間島の森は松くい虫が異常繁殖して松はほぼ全滅でした。行政は島民から要請があったのに対策をしなかったそうです。最近は本島まで被害が拡大しています。
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奄美は自分を鍛え、育ててくれた島です。これからもずっと通い続けます。



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2010/03/08

スポーツフィッシングフェスティバル大成功@大感謝

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3月6、7日と東京・浜松町でS.F.P.C主催スポーツフィッシングフェスティバルin東京を開催した。
昨年まではジギングフェスティバルという名称でしたが、今年からスポーツフィッシングフェスティバルと名称変更した。また関西主体だったJ・I・Gから分かれて昨年3月に新しくS.F.P.Cという団体を立ち上げた。

S.F.P.Cの設立主旨です。

S.F.P.CとはSports Fishing Promotion Committee(スポーツフィッシング推進委員会)の略です。
キャスティング、ジギングを中心としたスポーツフィッシングの発展と啓蒙を目的として2009年3月3日に設立されました。メンバー全員がボランティアの非営利団体です。

海の環境、そして資源は年々悪くなる一方です。その中でマナー、モラル、ポリシーなど、スポーツマンにふさわしい精神をもとにスポーツフィッシングの素晴らしさ、楽しさを多くの人に伝える。そして次世代へ繋げていくことを目的として運営、活動を推進していきます。

そのために多くのアングラー、メーカー、ショップ、釣り船様のご理解とご協力が必要です。
メンバー一同一丸となって推進していく次第です。なにとぞ応援よろしくお願いします!



ジギングフェスティバルと言う名称で関東では4年前に横浜で初めて開催した。まだ知られていなかったイベントだったので来場者は520名でした。しかしほとんどの来場者が満足そうに帰られるのを見て開催して良かった。次回は必ずたくさんの人が来てくれるという手ごたえを感じた。

2回目は2年前に浅草で開催でした。キャスティングメーカーも参入していただき来場者は849名と増えました。


そして2009年3月に設立主旨に賛同できる人を集めてこのS.F.P.Cは誕生しました。立ち上げたときは27名でしたが、その後賛同していただける人が続々と入り現在は38名です。

設立後は毎月のようにミーティング、セミナーを開催してきました。そして一歩ずつではあるけどS.F.P.Cの名前は確実に広まっていきました。運営の中心はJOYクラブです。そして徳永さん、上屋敷さん、荻原さん、林さん、谷川さん、西野さん、椙尾さん、尾上さん、山口(船長)さんといった行動力のある人が積極的にミーティングやセミナーに参加してくれました。忙しい方ばかりなのにいつも出席していただきほんとうに嬉しかったです。

メーカー様には8月上旬にフェスティバルの案内状を送りました。9月末ごろには47社もの出展申し込みがありました。前回が32社だから大幅に増えました。さらに釣り船も過去最高の51船がパネル出展していただけることになった。ショップも定数の5店はすぐに集まった。

今回はメディア関係もたくさん協力していただきました。これもほんとうに嬉しいことでした。


そして1年がかりの大イベント「スポーツフィッシングフェスティバルin東京」の開催となりました。

メンバー、ボランティアの方々は早朝から行動開始です。まずメーカー様の荷物が届いている佐川急便城南営業店に6時に集まりました。ここからワンボックス4台分の荷物を会場へ運びました。
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会場には50名以上が7時前に集まってました。多くはボランティアとして参加してくれた人です。遠くは青森、大分、徳島、広島、富山から応援に駆けつけてくれました。ほんとうに頭が下がります。
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多くの人の協力で搬入、設営は急ピッチで進みました。
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搬入、設営です。
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/set/st.htm

メーカー様の紹介です。
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/maker/mk.htm


そして11時40分に全体朝礼。
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開場の12時が刻々と近づいていた。

ところが来場者が4階の入り口から1階の非常階段まであふれて並んでいると連絡があり、開場を5分切り上げて11時55分に入場開始となった。この時点で200人以上並んでいたようです。

あっという間に会場内は忙しくなりました。
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そして13時に剥製が披露されました。多くの人が剥製の前に集まっていました。昨年10月に日本中をビックリさせた49.5キロのヒラマサです。このニュースは巨大ヒラマサの宝庫ニュージーランドでも大きなニュースとなってました。
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そしてトークショーの人気も凄かったです。60席用意した椅子では全然足らず100人以上の人が立って聞いてました。
こんなにトークを聞きたい人がいたことに俺もビックリしました。


マグロキャスティングセミナーです。佐藤イチローさんと田代船長です。
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プロショップMOGIの隣で巨大クロマグロを釣ったタックルで仮想巨魚体験をしていただいた。これが大人気で次々とチャレンジャーが現れました。最初は男性ばかりだったけど、徐々に女性が増えて、途中からは女性ばかりだったような気がします。最近の女性はほんとに強いですね(笑)
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最強タックルに挑む美人アングラーの皆さんです。
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/woman/wm.htm

1日目の詳細はここを。
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/day1/d1.htm


1日目が終了したあとに親睦会が開催された。場所はすぐ近くのホテルアジュール竹芝の14階「天平の間」です。なんと160名もの人が参加した。伊丹さんの司会の効果もあって凄い盛り上がりでした。帰り際に多くの参加者から「こんなに楽しいパーティは初めてです」と感謝のお言葉をいただきました。
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親睦会の写真集です。
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/party/pt.htm



2日目は9時開場でした。やはり早朝から多くの人が並んでいました。

J・I・Gの佐藤代表も大阪から応援に駆けつけて2日間テーブル講習で頑張っていただいた。さすがにノットの神様だけあって佐藤さんの前にはいつもたくさんの人が座っていました。
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永井誠一さんも2日目の朝早くに京都から駆けつけました。姿を現すなり「何か手伝わんとやばいやろ」と言ってました(笑)
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この日も達人たちのトークショーは大人気です。

近海ジギングセミナーです。野澤さん、荻原さん、吉村君です。
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GTセミナーです。福井さんと小西さんです。
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こんな熱烈な人もいました。
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ヒラマサキャスティングセミナーです。山口船長、林さん、谷脇さんです。
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最後は茂木がしゃべりました。海外遠征、秘境、そしてマグロの国際的な問題、リリース、モラル、スポーツフィッシングとはなどを話しました。


そして忙しいところ駆けつけてくれた20年来の仲間を壇上に呼びました。永井さんとは磯釣り時代からで25年以上の付き合いです。鈴木斉は高校一年のときにグルーパーボーイズに入りました。今では37歳です。中村豪もグルーパーに入会してかれこれ20年になりました。早いもんですね。
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そして閉場1時間前に受付から嬉しい報告が!

「1500人を超えました!」

ほんとに嬉しくて近くにいたメンバーと片っ端から握手しました。


そして最終的に1519名の入場者がありました。なんと前回対比で179パーセントの入場です。驚異的な数字ではありませんか!


嬉しくて最後の挨拶では両手でVサインでした。
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これも多くのボランティアの皆さん、メンバーの皆さん、メーカーの皆さん、釣り船の船長さん、ショップの皆さんのおかげです。みんなの協力が素晴らしい結果となったのです。

そして多くの来場していただいた皆さんに心からお礼を申し上げます。

多くの方がきてくれたおかげで我々メンバーの一年の苦労はすべて報われました。

ほんとうにありがとうございました。


2日目の詳細はここを
http://grouperboys.web.fc2.com/event10a/day2/d2.htm




主催
S.F.P.C
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ぎょねっとさんです。ぽちっと協力をお願いします(^^)
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PS.次回は大阪です。主催はJ・I・Gです。S.F.P.Cは後援として協力させていただきます。さらに楽しい内容のあるイベントになるようこれからも頑張っていきます!

2010/03/02

ウルグアイ川のドラード



ドラードという魚は開高健さんの「オーパ!」で知った。そして多くの釣り人が開高さんの影響を受けたように俺も大きな影響を受けた。アラスカでキングサーモンとハリバットを釣り、カナダでチョウザメを釣り、コスタリカでターポンを釣り、アマゾンでピラルク、そしてピーコックバスを釣った。これらの魚は開高さんのオーパを読まなかったら狙わなかっただろう。だいたい俺は海釣り師である。ピラルクもピーコックもチョウザメも川で釣る魚なのだ。

そしてアフリカではナイルパーチとタイガーフィッシュを釣り、アジアでは淡水魚最長と言われるヨーロッパ大ナマズ(名前はヨーロッパだが俺が釣った場所はカザフスタン)を釣った。
あと淡水魚でどうしても釣ってみたい魚はドラードだけになった。ドラードと言えばブラジル南部、ウルグアイ、アルゼンチン、ボリビアなどである。

1回目の挑戦は2007年2月だった。場所はアルゼンチンのイベラー湿原である。友人の情報ではかなりの高確率でドラードが釣れるということだった。しかし結果は撃沈。7名で行ったが3人が坊主という渋さだった。
イベラー湿原のレポートはここ
http://www.grouperboys.com/chokoki07b/ar0702/ar_a.htm

地球の裏側まで行って坊主に終わったのである。このままでは終わりたくない。いつか絶対に釣ってやると誓った。
しかしドラードを釣る良い情報はない。あったとしても予約が取れない。連絡が取れない。そんな情報ばかりだった。

2008年9月のオーストラリア・ジュエルリーフ遠征で一人のブラジル人と知り合う。聞けば世界中のいろんなところに釣りに行ってるらしい。そして彼からウルグアイ川ドラードの話と大きな写真を見せられた。25キロのドラードだった。さらに詳しく聞くと、この場所へは何度も行っていてマネージャーとも親しいらしい。同行に乾物屋さん(本名・増田)という英語ペラペラの友人がいたので会話には苦労しなかった。名前はアンドレ・ボトムさんという方だ。
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アンドレさんが2006年1月に釣ったドラードの世界記録24.1キロ
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そして6日間のジュエルリーフでしっかりと仲良くなり、ウルグアイ川の予約をお願いして別れた。
ジュエルリーフ遠征のレポートはここ
http://grouperboys.web.fc2.com/08report_e/10jewell_a/je_a.htm

帰国して一週間後、アンドレさんからメールが来た。空き状況やキャンセル状況を教えていただき2010年2月にウルグアイ川に行けることが確定した。人気のあるロッジなのでデポジット(予約金)はすぐに振り込んだ。そうしないと別の人にすぐに抑えられてしまうからだ。日本と違って白人圏はデポジットを払わないと予約とはならない。デポジットは総額の50パーセントだった。アメリカやオーストラリア、ニュージーランドは10~30パーセントくらいだが、ヨーロッパは50パーセント以上のところが多い。セイシェルは2回とも100パーセント(全額)だった。基本的にデポジットは返ってこない。もし都合が悪くなりキャンセルした場合、次回分としてデポジットは先方が預かることになる。どうしても行けなくなった場合は預けたままで終わることが多い。ようするに払ったら返ってこないのが常識なのだ。

秘境に行くということはいろいろなことを覚悟しなければならない。行けるのか?釣れるのか?安全なのか?お金を払ったけど騙されているのではないか?ちゃんと空港に迎えは来るのか?荷物は無事に届くのか?病気は大丈夫なのか?
現地の国内線や送迎バス、送迎船などが遅れることは珍しくない、というかほとんど遅れると思ったほうがよい。日本への帰国が1日くらい遅れることも最初から覚悟しておいたほうがよい。黄熱病、マラリア、破傷風、A型肝炎、狂犬病などなど、出発前に予防接種が必要な地域もある。

そして現地で少々のトラブルが起きても動じないことである。あまりギャーギャー騒ぎ立てたり、現地の対応に不満をグチグチ言うことは聞いている回りの人までイライラしてくる。釣れないからと愚痴るのも最低である。そのようなことをいちいち気にする人は秘境へ行くべきではない。
大金を捨てたと思って行く心境が必要なのだ。

今回のメンバーは遠征の常連で、長く俺と付き合っている人ばかりだから、気は楽だった。
メジ1号(本名・伊東):埼玉県在住。グルーパーの中で最初に5大陸で淡水魚メーターオーバーをキャッチした。アラスカ、カナダ、カムチャッカ、シベリア、アマゾン、アルゼンチン(イベラー)、エジプト(レイクナセル)、コスタリカ、モンゴル、カザフスタン、カナリヤ諸島、オーストラリア(モンテベロー、ノーザンテリトリーなど)、ニュージーランドなど海外遠征(特に秘境)のベテラン。
メジ2号(本名・疋田):北海道在住。与那国、トカラの常連。GTとマーリンが好きで遠征は南国がほとんど。最近はマグロも本格的に狙っている。海外遠征ではコスタリカでターポンの実績あり。
博士(本名・椎名):東京都在住。アマゾン8回、アルゼンチン2回、ベネズエラ1回という南米の第一人者。俺とはアフリカのタンガニーカ湖、カザフスタンのイリ湿原、アマゾンのイタパラ川に同行している。GTも大好きでモルジブなどへも出かけている。魚類にやたらと詳しいので博士と言うニックネームが付けられた。

1回目のドラード完全敗北から丸3年が過ぎた2010年2月、ウルグアイ川に向けて出発した。

アメリカのダラス空港で乗り継ぎ、アルゼンチンのブエノスアイレス空港に向かう。


アンデス山脈をチリ側からアルゼンチン側へ抜けるとき朝日が見えた。
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ブエノスアイレスで小型機に乗り換え、ウルグアイ川へ向かう。
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小さな空港に到着。
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送迎の車で15分ほど走ったところにロッジはあった。
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一人一部屋
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快適♪
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秘境大好きアングラー。
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ボート2艇で釣り場へ
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人生初ドラード!
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小さいけどメチャ嬉しかった。

連日の大雨で川は増水して流れも強かった。我々はときおり襲う豪雨に耐えながら釣りを続けた。

予想と違い、トップへの反応が良かった。ガンマやブルーイールが大活躍した。

ボロボロのブルーイール。
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初日と2日目は下流の小物ポイントだったが、3日目から本命の大物ポイントに入った。本命ポイントは一般の釣り人や漁師さんは入れない。ライセンスを取得した4名だけしか入れない。ボートも2艇しか入れない。そうやってポイントを守っているのだ。

本命ポイントに入るなり次々と大物が釣れた。
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4日目から天気が回復した。水位は下がり、釣れていた川岸は干上がって川幅はどんどん狭くなっていった。

トップがパタリと釣れなくなり、大型のドラードはディープダイバー系のミノーにのみヒットするようになった。圧倒的に強かったのはラパラのX-RAPマグナム30だった。

ドラードの口
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ドラードはすべてリリースです。
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5日目、6日目と30ポンドオーバーが続々キャッチされた。

トップが渋くなると俺は大苦戦だった(トップ中心でタックルを用意したので)。



博士は3日得連続で30ポンドオーバーをキャッチ!最大は36ポンドだった。
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メジ1号は順調に20ポンドオーバーをキャッチ。最大は27ポンド。
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メジ2号はしり上がりに良くなり、5日目、6日目は数え切れないほど20ポンドオーバーをキャッチ。最大は35ポンドだった。
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俺は100匹以上釣ったものの最大は24ポンド。まあ多くの時間カメラマンに専念しましたが。
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外道もいろいろ釣れました。

ガンマの90にピラニア
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これはサバロ。鯉に似ているけどカラシンの仲間。ブラジル名はクリマタ。コスタリカではターポンのことをサバロと言います。
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ブルーイールに鎧のような魚が。プレコの仲間らしいです。
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ウルグアイ側では密漁者を発見。どうやら警察に賄賂を払って釣りしているらしいです。どこにも困った人はいるもんですね。
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4人で500匹以上キャッチ!バレが多いのでバイトは3000発以上あったと思います。タイガーフィッシュと同じで8割以上が最初のジャンプでバレます。歯の鋭い魚は総じてフッキング率が低いです。ピーコックやナイルパーチなどベイトを吸い込むタイプの魚はフッキング率が高いです。

最高の釣果だったけど、なぜか日に日に感動が少なくなっていきました。

釣れすぎるのも良くないですね。


スタッフは全員親切でフレンドリーでした。
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ドラードのジャンプはいっぱい撮りました。ここを見てください。
http://grouperboys.web.fc2.com/10report_a/uru_j/uru_a.htm
一番のお気に入りは最初の写真です。

ウルグアイ川周辺の鳥たち、、アンデス山脈上空、日中のお月さんなどの風景写真はここです。
http://grouperboys.web.fc2.com/10report_a/uru_p/uru_a.htm
自分で言うのもなんだけど、きれいです(^^)


貴重な魚なので俺自身のドラード釣りは今回を最後とします。