2011/02/17

トルコ一人旅・その3

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早くもトルコ最終日が来た。言葉通じないけど、毎日がほんとに楽しい。

さて今日はレンタカーで黒海へ釣りである。

朝7時にレンタカー屋に到着

スタッフA「まあ、お茶でも」

俺「腹も減ってるんだ」(朝飯食わずに来たから)

紅茶とパンが出た。
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お互いが苦手な英語で話し続けた。

スタッフBが真剣にパソコンを見ている。
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何じゃこれ!
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アルファベットで「Nyotaimori」
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次にスタッフCがほざいた。

スタッフC「俺の叔父さんはボスポラスで一番の漁師さ」

そして叔父さんが新聞に載った自慢の写真を見せてくれた。

2メートルもないサメだった。

続いて俺のホームページを見せてやった。
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全員しばらく無言だった。


俺が黒海に行く道を知りたいので地図を貸してくれと言うと、

めっちゃアバウトな地図をくれた。

都内の一般道を首都高しか載ってない地図で走るようなもんである。

俺「えっ、もっと詳細な地図ないの?」

スタッフA、B、C「ない!」

でも小さなカーナビ貸してくれた。

行き先と帰りをセットしてもらって出発。

まず空港周囲の道が新しくなっているので、空港を3周した(爆)


しばらく走ると高速道路になった。

料金所があるけど、全部無人機なので無視して通過(爆)

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1時間ほど走る。

出口に来た。さすがに金払わないと逮捕され鞭打ちの刑かも・・・

右側にいたオジサンに

俺「レンタカーなんだよ。金払い方がわからねんだよ」(全部日本語)

オジサンが指で指示した。

「そのまま出ろ」と言ってると解釈。

高速代が無料になった(^^)

しかし抜ける直前に青ランプがオレンジになって警報機がけたたましく鳴った(^^;


さらに1時間ほど走ると沼地に出た。小さな貸しボートらしいのが3艇あった。

少年に5TL(300円)渡して沼で釣り開始。
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あっちゃこっちゃ漕いで回ってくれたけど

小さなワームに引っかかった1匹で終わった。
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さらに黒海へ向けて10分ほど走ると本格的な釣り人を発見。

タックルボックスを覗くと

ルアーがいっぱいである。
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しかしとってもくつろいでいた。ロッドは立てたままで一度も投げることも触ることもなかった。
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ヒマワリの種をご馳走になり、しばらく釣り談義となった。

「今日はお腹がいっぱいなので釣れないのさ」

どこの国も言うことは同じなんだ(^^)


トコトコと、どこからともなく親子が近づいてきた。

デブ親父が俺のタックルに興味ありありだった。
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その後10分くらいキャストを繰り返していた。軽くてよく飛ぶと感心していた。

最後に「何で日本人なのにロッドはガルシアなんだ?」と聞かれた。

理由は九州の某釣具屋親父しか知らないのだ・・・


さらに20分ほど走って黒海に面した小さな町「Yalikoy」に着いた。
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とうとう黒海に来た。
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水は透明度が高くてきれいだった。
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しかし釣り人も魚も発見できなかった。

後から調べてわかったことだが、1990年代に漁業資源はほとんど壊滅したそうだ。

あるサイトから抜粋。
「かって漁業資源の宝庫で風光明美な海であった黒海は1990年には深刻な環境問題に直面していた。
それに先立つ30年の間に、環境、水質、漁業資源等の総てが劣化してしまった。漁業資源はほとんど壊滅し、黒海は汚染物資のゴミ捨て場になってしまった。
黒海周辺の17カ国すべてが汚染に関係あるが、その影響を最も受けたのがブルガリア、ジョージア、ルーマニア、ロシア、トルコ、ウクライナの沿岸6カ国である。
1992年に黒海の重要性、汚染の深刻化に直面した6カ国は、汚染から黒海を守るブカレスト会議を開き、黒海汚染防止議定書に署名した。そしてその実施機関として黒海を汚染から守る委員会が設置されたが(1996年)未だ一部の国が拠出金を支払っていないため、その活動は遅れている。」
http://www.todayszaman.com/news-224535-black-sea-contamination-still-at-alarming-levels.html

でも海はきれいだった。いつか魚が増えて昔の黒海に戻ってくれるかもしれない。


Yalikoyは黒海が豊かな頃は繁栄していたことを感じさせる街並みだった。

今はビーチに面したレストランはほとんど閉店していて廃墟といってもいいような風景になっている。

町の中心部に小さな食堂を発見して入った。
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ハムを挟んでパンを軽く焼いた料理が出た。

それとコーラを3缶買った。8TL(約500円)だった。

お金を払って出ようとすると店の主人が止めた。

向かいの店に紅茶を頼んだから飲んでいきなさいと・・・

いい親父だった。
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先ほどヒマワリの種をご馳走になった二人組にコーラをお返しと思って戻ったが、すでに帰ったあとだった。


黒海での釣りを諦めて、反対側(地中海側)のマルマラ海へ向かった。

道路にはいろんな者が現れる。どれも共通しているのはどいてくれないことだ。まあ、のんびり走れと言う事だろう。
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2時間ほど走ってマルマラ海に出た。

いつのまにかカーナビも使えるようになっていた。

ここは夕日が見えるので人気のあるレストランだそうだ。
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うん小魚はいっぱいいる。
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釣り人もいた。
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しかし、すぐに宴会となった。

大きなビンに入ったジュース?を出された。

俺「○○中だから」

親父A「○杯くらい平気さ」
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親父A「あとで写真を俺の住所に送ってくれるか」

俺「メールで送るよ。メールアドレス教えて」

親父が教えてくれたのは手書きの自宅住所だった。トルコ文字なのでチンプンカンプンである。
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親父B「もう釣れないから落ち着いて○めよ」
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さらに親父が増えて4人になっていた。

辺りは完全にナイトである。
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空港に着いたのは夜の8時を過ぎていた。
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あっという間の一人旅だったが、ほんとに楽しく、そしてトルコの人々の親切に会えて嬉しかった。

また行きたいな・・・



さて親父への手紙だが、この住所に送るのである。

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そのままコピーして封筒に貼り付けて出したが、届くだろうか?
2011/02/17

トルコ一人旅・その2

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トロイの木馬は子供のころから知っていた。ほとんど神話(ホメロス作のイーリアスとオデュッセイア)の世界だと思われていたが、19世紀にドイツのシュリーマンという人が実在したと信じて長い年数をかけてついにトロイの遺跡を発見した。
神話にはアキレスも出てくる。足首(アキレス腱)を弓で打たれて死ぬ話は有名だ。そして最近は映画にもなった。
そんな神話の世界と思われていたトロイを発掘したシュリーマンは凄いね。でも出鱈目に無計画に発掘したので、いま調査が大変難しくなってるらしい。また発掘された出土品はシュリーマンの母国ドイツに送られてしまってほとんど残ってないとか。シュリーマンも後のことは考えず、自分の手柄しか考えてなかったのかも。

イスタンブールからトロイ(トロイヤ)は遠いので朝の6時半にホテルを出発。
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13時半にエシェバットに着きフェリーに乗る。
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ヨーロッパ側は第一次世界大戦で激戦地となった。
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あっという間にアジア側のチャナッカレに到着。桟橋にはたくさんの釣り人が。
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ヨーロッパ側がすぐ近くに見える。ダーダネルス海峡の幅はこれしかない。
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トロイ観光ツアーのバス
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ツアー客は俺一人だった。
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30分でトロイに到着。これがトロイの木馬の複製。2階の窓から俺が顔出してます。
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木馬の中です。
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紀元前1250年ごろのトロイ。
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この団体は日本人でした。
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紀元前3000年くらいから紀元前300年頃まで何度も繁栄と衰退を繰り返し、遺跡は9つの層になっている。有名なトロイの戦争があったのは紀元前1275年から1240年にかけての第7層と言われている。
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ここは生贄の儀式が行われた場所
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アテネの影響が強かった時代の遺跡
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世界最古の水道らしい。
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トロイからエーゲ海を望む。昔は海はずっと近かったそうだ。この方向からギリシャ連合軍が攻めてきた。
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この丘はアキレスの墓と言われている。歴史上ではアレキサンダー大王もここを訪れて裸になって墓の回りを3周したそうだ。アレキサンダー大王はアキレスの子孫と信じていたらしい。
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時間がないので足早に見て回り、1時間半後にはチャナッカレに戻った。

チャナッカレには映画で使われた木馬の現物が展示されている。
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さあエーゲ海で釣りだ!

桟橋に走って行き釣りを開始。回りの人がどんどん俺のそばに集まってきた。
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15分では釣れず。そうしたらこのおじさんが魚を撮影用に貸してくれた。「これで釣ったことにしなよ」(笑)
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日本語勉強中のガイドさん。俺一人なのに一生懸命説明してくれた。最高のガイドです。
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帰りは大型バスで7時間でイスタンブール到着。ホテルに戻ったのは夜の11時だった。
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腹へって眠れないので昨日と同じレストランへ
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これも美味しかったです。トルコ料理は基本的に日本人にあいます。
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さあ明日は最終日。7時からレンタカーで黒海へ釣りに行きます。


PS.エクアドルのキトでアップしました。あと6時間後にアマゾン川上流へ向かいます。
2011/02/17

トルコ一人旅・その1

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ずっと昔から行きたかった国巡り第5弾です。1回目がイタリア、2回目がスイス、3回目がオーストリア、4回目が中国、そして今回のトルコです。すべて貯まったマイルで行ってます。現地のホテルはリーズナブル限定。レンタカーは小型乗用車限定です。今回はホテルは1泊4200円。レンタカーは1日8000円(保険込)でした。

そしてトルコ航空に乗りました。サービスの良さでは定評の航空会社です。確かに良かったです。トルコにとって日本は最大の友好国です。教科書にこんなことが載っているそうです。
「1890年に和歌山沖で事故にあったトルコの軍艦(エルトールル号)を日本の人々が懸命に救助して生存者をトルコに送り届けてあげた」
そうです。トルコ人ガイドやレンタカー会社のスタッフに教科書のこと聞きました。嬉しい話だね。

この話には続きがあって、95年経った1985年、イランイラク戦争のときイランに取り残された日本人214名をトルコが救出してくれた。
日本がトルコに窮状を伝えるとトルコ大使はこう答えた。
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」


今回泊まったホテルロイヤル。
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4200円でこの広さ。温水シャワーもたっぷり出ました。
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覚えたトルコ語は「サーオル」(ありがとう)と「メルハバ」(こんにちは)の2言葉だけです(笑)
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ホテルに到着したのは夜の10時過ぎ。フロントで現地ツアー会社のFAXを受け取る。
FAXの内容は「人数が少ないので日本語ガイドのツアーは中止にされました。でも2倍払えばOKです。」
すぐに電話して「2倍は払わない。キャンセル」と伝えた。
明日の朝出発のツアーを前日の夜に伝えられても困るよ。

ということで、初日と2日目はガイド無しの一人歩きとなった。

地図で確認すると宮殿や博物館、モスクはすぐ近くにあった。

リュックにカメラを入れてガイドブックを持って出発。

とっても歴史のあるグランバザール。中東一の大きさとか。でもドバイにも大きなのがあったな・・・
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スルタンアフメット・モスク 。別名「ブルーモスク」オスマントルコの時代に建てられた。
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アヤソフィア博物館。東ローマ帝国時代にコンスタンチヌス大帝が建てて、6世紀にコスチニアヌス帝が再建した。最初はキリスト教の大聖堂として建てられたが、オスマントルコの時代はモスクとして利用され、現在は博物館。
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地下宮殿。東ローマ帝国時代に築かれた巨大な地下貯水池。
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トプカプ宮殿。オスマントルコ時代の皇帝の住居。
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ハーレム。まあ凄い歴史です。女奴隷があちこちからたくさん集められて、酒池肉林の毎日。でも女奴隷から皇太后(皇帝の母)になることもあったそうだ。近くには鳥かごと呼ばれる「皇子の間」があった。オスマントルコ帝国の初期は皇帝になれなかった皇子はすべて殺されたそうです。何代か続いた後に殺さずに狭い部屋に監禁することになった。皇帝が若くして亡くなり、後継ぎがいないときは皇子の間から出されて皇帝にされた。しかしすでに気が狂っていたとか・・・哀れだね。皇帝の子供はいっぱいいたけど、ほとんどが殺されたり、閉じ込められたり。普通の庶民の子供に生まれた方が良かっただろうな。
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トプカプ宮殿のすぐ隣にある考古学博物館の一番の目玉は「アレクサンダー大王の棺」でも棺の主は違う人なんだそうだ。大王の部下の一人だったらしい。そういえば大王と呼ばれる人の墓って、どれも見つかってないらしい。アレクサンダー、チンギスハン・・・
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でも博物館は見ごたえあった。紀元前3000年ころからのメソポタミア、トロイなど、貴重な歴史的展示物がたくさんあった。

市内を走るトラム(都電)。市内の文化遺産観光するにはかなり便利。
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昼食はトウモロコシ
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足らなかったので。回転焼肉。
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回転焼肉入りのハンバーグ。パリッとして美味かった。
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ガラタ橋。
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凄い数の釣り人。
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おっ大漁だ。
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橋の両側はワカサギみたいな魚が多く、真ん中に近づくと小アジが多かった。

知らない親父に挨拶して5TL(約300円)でタックルを借りて釣り開始。

すぐ釣れた。

トルコで初めての魚「歴史は偉大だけど、魚は小さい」
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2日目はトラムに乗って桟橋まで行ってボスポラスクルージングと決めた。

自動販売機に2TLを入れて3か所のボタンをすべて押したら釣り銭が出てこなかった。損害は15円。
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20分くらいで桟橋に到着。
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船に乗った。往復で25TL(約1500円)。所要時間は6時間。
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アジアとヨーロッパを結ぶボスポラス大橋。
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これは通称第2ボスポラス大橋(正式名ファーティフ・スルタン・メフメト橋)。日本のODAで建てられたそうだ。
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海峡の両側はあちこちに砦や城、要塞などなど。これはルメリ・ヒサル、1452年に建てられた。
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1時間半ほどでヨロス城が見えてきた。これは東ローマ帝国時代に建てられた。
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ヨロス城に登り、黒海を望む。
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ボスポラスは魚の宝庫でもある。レストランにはシーバス、タイ、大にべみたいな魚が並んでた。
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昼飯はこのレストランで食べたが、メニュー見てもさっぱりわからず、適当に頼んだら不味くて高かった。

同じコースを通ってイスタンブールの桟橋に戻る。

そこからトラムに乗ってホテルに戻った。

お腹が減ったのでホテルの近くをうろうろ。

やっぱりトルコはこれだね。回転焼肉。
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とっても美味しかったです。
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さて明日はトロイ観光です。早朝6時半出発です。


PS.このブログはアトランタ(アメリカ)で作成しました。あと30分でエクアドルに出発です。
2011/02/14

感謝@世界が認めてくれた(^^)

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なんとIGFAブックに俺がゴッドファーザーと紹介された。スポーツフィッシングの世界で一番権威のある本である。日本人で載ったのは初めてかもしれない。海外へたくさん出かけたことが認めらた理由の一つと思う。
前回のトルコで海外旅行(ほとんど釣り)は173回となった。国数で60カ国に達した。我ながらよく頑張っていると思う。これも多くの仲間の協力のおかげである。仲間に支えられていなかったら絶対にできなかった。今回のIGFAブックは一生大切にしたい宝物みたいなものだ。その宝物を与えてくれたのは仲間である。仲間に心から感謝している。もちろんIGFA、そして間を取り持ったJGFAにも感謝しています。
※昨年の11月にIGFAからJGFAに依頼があり、東常任理事(翻訳家)がお店に取材に来られた。


本文を抜粋。

The Godfather of Jigging:Yoichi Mogi

Yoichi Mogi is widely regarded as the Godfather of vertical jigging. As a shore-based angler until the early 1990s,he became interested in vertical jigging during a time when the tackle was still primitive:thick monofilament,bulky rods,and heavy jigs made the technique cumbersome,if not practically impossible. Considerable drag and stretchy line limited angler to depths of 50 m(150 ft),causing most to believe that anything deeper was a "dead zone."

All that changed one day when Mogi found a challenge while advising a long-range boating operation,World Marine Amami,in southen Japan. The vessel's capten reported a number of big shadows - possibly amberjacks - about 100 m(300 ft)down on the sonar. Fishing that day with a super-braid(called PE fiber in Japan)and a heavier jig,Mogi landed several amberjack from the "dead zone". A new era of deep jigging was born.

Mogi continued to push the boundaries of the new technique. He upgraded from 18 kg (40 lb)to 45 kg (100 lb)super-braid,but found the rigidity of the line put serious strain on the tackle. Hooks straightened,rods snapped in half and reels froze during battle. Tackle manufacturers were made aware of these issues and began sending Mogi prototype reels,rods,braided line and gimbal harnesses to test. His insight and feedback revolutionized tackle for the challenger of deep jigging.

Although he is not credited for inventing them,Mogi is an advocate of the leashed single hooks called "assist hooks"that are now popular with jig fishermen. He asserts that assist hook systems seldom snag fish or the bottom,keep fish hooked well,and are far better for the fish than treble hooks.

Today,Mogi spends 250 days fishing on the water,150 of which are spent abroad. He continually shares Japanese jigging innovations with the world,and returns to Japan with new ideas in angling ethics that he learns from international anglers. And his favorite fish to jig these days? Still the amberjack.


翻訳すると

ジギングのゴッドファーザー:茂木陽一

茂木陽一はジギングのゴッドファーザーである。1990年ごろまではショアアングラーとして活躍したが、原始的なタックルしかなかった時期にジギングに興味を持つようになった。その当時はナイロンラインと長いロッドが主流だった。ドラグ力不足と伸びやすいナイロンラインであるため、50メートルより深いところでは何も釣れないと考えられていた。

以前、茂木は奄美の釣り船「ワールドマリン奄美」のアドバイザーをしていた。そのときに転機が訪れた。船長は100メートルより深いところに大きな魚がたくさんいることを教えた。そして茂木はPEラインと重いジグを使い、たくさんの巨大カンパチを釣り上げた。新しいジギングの時代が始まった。

茂木は新しい釣り技術を発展させて限界を次々と超えていった。茂木は初めのころは40ポンドラインを使っていたが、100ポンドラインまで使うようになった。ところが伸びのない強いライン(強いドラグ)が原因で次々とタックルが壊れた。フックが折れたり、ロッドが折れたり、リールのドラグにもトラブルが続出した。それをメーカーが知り、茂木にテストとしてプロトリール、ロッド、ラインを提供した。茂木の経験と実践と知識がジギングの変革をもたらした。

茂木が考案したのではないが、アシストフックを彼は推奨している。このフックシステムは擦れ掛かりも根掛かりも少なく、トレブルフックに比べて魚へのダメージも少ない。

現在、茂木は一年の内250日以上釣りに行く。その内150日ぐらいが海外である。常に日本のジギング知識を世界中のアングラーに教え、日本に戻るときは海外のアングラーから習ったモラルを日本のアングラーに広めている。今、もっとも好きなターゲットはカンパチだ。
(翻訳:アブデル)


最後のカンパチという部分だけ違うような気がする(笑)

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次にIGFAを知らない人に説明します。

IGFAとは

国際ゲームフィッシュ協会の略称(International Game Fish Association)。釣りの普及・振興や釣魚の研究・保護などを主な目的とする国際組織で、世界110カ国、2000以上の釣りクラブと約3万人が加盟している。本部はアメリカのフロリダにある。釣りを良識と秩序ある健全なスポーツとして発展させるために、釣具、仕掛け、やり取りや取り込みにいたるまで、細かい規定を設けた国際ルールである「IGFAルール」を定め、さらに世界的な規模での釣魚記録の認定、記録データの保存・管理なども行っている。

1939年6月7日、アメリカ自然史博物館で開かれた会議の中で正式に誕生した、プレジャー・フィッシングの普及、振興を唯一の目的とする団体である。

1. ゲーム・フィッシュ・アングリング、及びそれら魚種の生息環境を研究すること。
2. 魚種の保存、及びそれらの天然生息環境の保護のために、政府、業界のあらゆる分野に働きかけること。
3. 魚種の適切な利用、及び保存についての啓蒙促進のために、ゲーム・フィッシュ資料を編集し、全IGFA会員、一般大衆及び政府の科学、法制機関に配布すること。
4. 将来のゲーム・フィッシング愛好者の数、及びスポーツ・フィッシングの盛衰に大きな影響力を持つ競技会に、プレジャー・アングラーを適切な方法で参加せしむること。
5. 本団体の専門知識、資料及び目的が、同じような目的を持つ他の団体にとって役に立つと思われる場合、国内、国際ゲームフィッシュ・ゼミナール、及びシンポジウムを援助し、またそれらに参加すること。
6. ゲーム・フィッシュ・タギング計画、及びその他の科学データ収集活動を実施、支援すること。魚類学、漁業科学、及びそれらの関連テーマにおいて、指導、研究の中心的な立場をとる科学、教育機関を援助すること。
7. 公平、一様、かつ倫理にのっとった国際アングリング規正を維持し、普及につとめること。同時にこれらの規則に基づいて捕獲された釣魚についての、ワールド・レコード・データを編集、維持する。
8. ゲーム・フィッシュのスポーツ・アングリング及びそれらの関連テーマについての国際参考文献を充実し、維持すること。
9. 一般の使用に供し、その利益をはかるために、世界的レベルのでのゲーム・フィッシングの歴史資料を収集し、維持すること。


とまあ、これがIGFAである。ほとんどの国はIGFAルールを基本としている。同じルールで競ってこそ評価されるのである。逆にルール違反の場合は評価は0となる。
IGFA
http://www.igfa.org/

2009年に外房で上がった49.5キロのヒラマサはYellowtail, Californiaのオールタックルワールドレコードとして認定されている。昨年11月に玄界灘で上がった71.15キロのカンパチは申請中で認定されるとAmberjack, greaterのオールタックルワールドレコードとなる。
※オールタックルワールドレコードとはラインクラス(ただし130ポンド以下)を問わず、その魚種で世界最大の記録のこと。

ちなみにIGFAの日本の窓口はJGFA(ジャパンゲームフィッシュ協会)です。入会を希望する方はJGFAへ。
JGFA
http://www.jgfa.or.jp/

俺もIGFAとJGFA会員です。またグルーパーボーイズはJGFA最大の釣りクラブです。


世界へ目を向けてみれば、釣りの世界も大きく広がる。釣り技術に関しては日本は世界で最高レベルと思う。ただしマナーやモラルではまだまだ発展途上国と言わざるをえない。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどに行って釣りをすると、とにかくたくさん釣れることに驚かされる。釣れる理由を調べると。

1. 釣りに関してはレギュレーションがあり、釣り人も釣り船もそれを守っている。
レギュレーション=サイズリミット(キープしてよい大きさ)、バックリミット(キープしてよい匹数)など。
2. 保護のため釣り禁止海域が設けられている。
3. 保護のため釣り禁止期間が設けられている。
4. フックに関しても定められているところがある。
5. それらに違反すると厳しい罰則が適用される。例:船長は罰金、ライセンスの取り消し、さらに船を没収する国もある。

漁業に関しては漁獲制限(TAC)、漁業禁止海域、漁業禁止期間、漁法の制限などが定められている。

そして何よりも国民のモラルが高いことである。一人一人の国民が生態、資源、保護などに強い関心を持っている。

日本は先進国の中では目だって閉鎖的な国である。まず海外の意見に耳を傾けない。何か言われるとすぐに反発をする。江戸時代からの鎖国政策がいまだに残っているように見えて仕方ない。江戸時代末期から明治、大正にかけて偉大な政治家や企業家、軍人が多く出た。海外へ目を向け、多くの若者が海を渡って科学、法律、先端技術などを学び日本へ持ち帰った。そしてその変革の中で多くの若い命が散っていった。今の日本を見ると江戸時代中期と変わらぬように見える。政治に緊張感はなく国家を真剣に考えることを忘れ、党利党略に走り自浄作用はない。海外への留学数も減少している。ますます国際化を目指さなければならない時代なのだが・・・

釣りのマナー、モラルに関しては欧米とは比べ物にならず、同じアジアでもシンガポール人の方が高い。実質経済成長率は日本はアジアで最下位である。
実質経済成長率
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdp_rpch.html

このままでは経済もモラルもアジアの最賓国となってしまうかもしれない。
※経済とモラルは比例して伸びていくと思う。



ここからは過去の釣行の中で特に思い出に残っている遠征を12回選んだ。

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これは2003年の10月にエジプトのレイクナセルへナイルパーチを釣りにいったときのレポート。30キロオーバーを数え切れないほどキャッチしたあとの巨大なパーチ。あまりの大きさにビックリ。
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/egypt03_10a.htm

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これは2004年の9月にアマゾンへ行ったときのレポート。ルアーでは釣れないと言われたピラルクを爆釣した。ガイドも驚いていたのを今でもはっきり覚えている。
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki04_c/amazon04_9a.htm

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コスタリカで巨大ターポンの入れ食い。スポーツフィッシングのターゲットとして大人気のターポン。とにかくタフでジャンプ力があり、最高に楽しめた釣行だった。
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki04_c/cos04_10a.htm

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北にはほとんど行かない俺がはるか北の大地アラスカへ。豊かな海に驚いた。そしてキングもハリバット(中でもホッペ)もほんとに美味いです(^^)
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki05_c/ala05_6a.htm

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初めてフライでボーンに挑んだ。場所はクリスマス島。とにかくきれいな海だった。
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki05_g/x05_10a.htm

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貧乏人限定と言う聞いたこともないツアーを組んで行った。そりゃ貧乏人でなければ味わえない素晴らしい究極の毎日でした(笑)
http://www.grouperboys.com/chokoki06a/bin06/bin06a.htm

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秘境の凄さをまざまざと感じさせられたツアーです。こんなところが世界にはまだまだある。一度体験したら人生は破壊されますけど・・・(^^;
http://www.grouperboys.com/chokoki06g/10marion/ma10a.htm

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世界で一番平均寿命が短いと言われている国に行った。アメリカやフランスの友人でさえ「デンジャラス」と言った国です。でも行ってみたら親切な人ばかりでした。戦争が好きな国民なんていないのです。
http://grouperboys.web.fc2.com/08report_a/sierra0803/ma_1.htm

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言葉はいらない。とにかく凄かったです。結局4年連続行った。釣り船に払った総額は1500万円以上です。
1回目敗北
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-date-20090811.html
2回目勝利
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-date-20090820.html

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俺はもともと磯釣り師である。でも若いときは巨魚にやられっぱなしだった。55歳にして磯からこんなでかいGTを釣るなんて、本人も全然予想してなかった。
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-date-20090622.html

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俺が世界で一番好きな島です。とにかくきれいです。また島民も良い人ばかりです。8年連続で行きました。欠点はシドニーからの国内線がメチャクチャ高いことです。
http://grouperboys.web.fc2.com/08report_e/11lord_a/lo_a.htm

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夢のドラードをついに釣った。1回目はアルゼンチンまで行って坊主でした。諦めないと言う気持ちが大切です。
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-entry-58.html

まだいっぱいあります。興味のある方はここから見てください。
http://www.uminchu-mogi.com/Chokoki.html


さて本題に戻って。


SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)利用に関しても日本は欧米だけでなく、近隣の国とも大きな違いがある。

日本国内のSNS利用者数
mixi 1021万人
twitter 1290万人
Facebook 308万人
(2010年12月調査)

Facebookは日本国内では利用者数は少ないが、世界全体では5億9637万人(2010年12月)。あと少しで6億人を突破する世界最大のSNSである。利用者数の伸び率もずば抜けている。

利用者の1位はアメリカ(1億4659万人)、2位がインドネシア(3392万人)、3位がイギリス(2754万人)、4位がトルコ(2478万人)、5位がフィリピン(2080万人)。

アメリカの人口は3億1500万人である。人口の約半分がFacebookをやっていることになる。日本におけるmixiの比ではない(mixi利用者は人口の10パーセントにも満たない)。先月インドネシアに行ったが、ほとんどの国民が携帯でFacebookをやっているのには驚いた。今月行ったトルコにしても同じである。

ほとんどの国でFacebookは利用者数でローカルSNS(日本で言うmixi)を追い抜いて国内1位になっている。1位(年内に1位になる国を含む)になっていない国は日本、ロシア、ブラジルの3カ国だけである。中国はFacebookが開放されてないのでこの中にあてはまらない。ただし中国の一部である香港(中国の特別行政区)は利用者の人口比率が52パーセントと世界で一番高い。とにかくほとんどの国でFacebookの伸び率は驚異的である。

中国など一部の国を除いて、アジアのほとんどの国は日本より英語力が高い。日本人は英語力がとにかく弱い。そして他のアジアの国に比べて閉鎖的である。それがFacebookがなかなか普及しない原因だろう。中国は今でもインターネットの情報規制が敷かれていて、自国に有害となるサイトは覗けない。事実、俺のブログ(FC2)も中国国内では見ることができなかった。中国という国は舵取りがとにかく難しい。少し間違えば大暴動となりかねない。常に緊張感を持たなければならない国である。

俺は2年前からfacebookをやっているが、mixiの3倍以上のスピードで仲間が増えた。その9割以上が外人である。グルーパーボーイズのコミュニティーも登録したが、あと少しで1000人に達する。
Facebookでのyoichi mogiはここ
http://ja-jp.facebook.com/ymogi
世界中の人々と連絡を取る。海外の情報を得る。もしくは海外の友達を増やそうと思うならmixiでは無理である。Facebookの方が圧倒的に強い。


まあいろいろと書いたが、俺も英語はほとんどわからない(^^;
2011/02/03

9年ぶりのバリGT後編

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インドネシアといえば「ビンタン!」である。

若い頃は1日に缶ビールを10本以上飲むのは珍しくなかった。モルジブでは1匹釣ることにビール飲んでたら19匹で立ってられなくなり釣りをストップなんてことも。

今は多くて1日7~8本だ。飲まない日も多くなった。

友人でび~るだ~さんと言う人がいる。2歳年上だけど、いまだに毎日15本以上飲んでいる。健康診断に行くとすべて正常。異常体質としか思えない(笑)

しかし久しぶりのビンタンは美味かった!


アデの船「GT-1」に乗る。
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Adhek Sport Fishing(アデ・スポーツフィッシング)
http://www.adhek.net/index.php


エンジンは中古ではなくておニューの200馬力だった。
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昔は中古の船外機でよく故障した。3日間の釣りが1日で終了なんてこともあった。

この日はインドネシアの超人気番組「マンチングマニア」の撮影も兼ねる。
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視聴率46パーセントを記録したこともある国民的人気番組である。

しかし釣りは1日だけである。

俺は釣るまで投げ続けると出発前に誓った。こんな誓いは俺の釣り人生で初めてである。
インドネシアに日本人の根性を見せたろ・・・えっ大丈夫?

「1日くらい投げ続けたってどうってことないだろ」

とっても甘い考えである。


22ノット前後のスピードで2時間弱でヌサ・ペニダ島の東にある「バトゥ・ガジャ」に到着。
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しかし投げても投げてもGTは出てこない。
アデの話ではここ2日間ずっと釣れてないそうだ。

連日の盛り立て役も、かなりお疲れの様子。
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12時を過ぎてもノーバイト

もう4時間以上休まず投げている。ここまでで俺の1年分は投げたような・・・

昼飯も食わずに・・・


午後2時頃

腹減った

肩が痛い

もう駄目

ギブアップしよう

かな

と・・・


「来たー!!!」
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メチャ嬉しかったよ。
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そんでビンタンが美味かったのだ。
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しかしビール立て続けに飲んでほろ酔い気分になったらカメラに向かって「●×△!」(^^;


覚えている言葉は

「こんな疲れる釣り2度とやらねえ」

自爆しましたが・・・何か
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それから30分後

マッサージ師にGTがヒット!

なかなか上がってこない。
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ズド~ン!

25キロのGTでした。
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あっというまに俺は脇役~

3日天下じゃなくて30分天下・・・トホホ

まっ目出度し、目出度しですね(^^)

撮影はなんとか成功で2週間後に放送されるらしい。
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インドネシアの皆さん、見てね~
マンチングマニア、TRANS7ですよ~

誰もここ見てねえか(爆)



終了して港に戻ると

きれいなお姉さまが待ってました(嘘)
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この方はカーペンターのカスタムロッドを18本も持っているというアラブ人です。
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MCのカスタムロッド2本注文を受けました(久しぶりに仕事したような・・・)


ディナーは全員でチャイニーズレストランへ

かんぱ~い♪
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マッサージ屋の1日早い誕生日も祝いました。
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その日ナイトジガーは

釣りをせずに一人バリ観光してました。

バリののんびりとした風景をどうぞ
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終了~
2011/02/03

9年ぶりのバリGT前編

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この写真は誰???

13年前(1998年)の俺です。初めてバリでアデの船に乗ったときです。とってもスマートでした(笑)

インドネシアと俺の歴史を調べてみた。

初めて行ったのは1996年3月、場所はロンボク島だった。ただし現地のローカル船でアデの船ではない。

これは15年前の小西健滋
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これは15年前のカーペンタールアー
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バリで初めて釣りをしたのは1998年10月である。俺とエイジとなまちゃんとガンタ君の4名だった。釣果は大爆釣で50キロのGT、60キロのイソマグロなど、数え切れないほど釣れた。1キャスト1キャッチなんて日もあった。

アデは当時、一族が経営するYOSダイビングセンターで釣り船のキャプテンとして働いていた。
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なまちゃんが50キロをキャッチ!ルアーはシーフロッグ・モギカラー
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右がなまちゃんで左はアデである。

エイジが35キロをキャッチ!
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右がアデである。

ガンタがジギングで60キロのイソマグロをキャッチ!
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一番左がアデである。

以来、インドネシアには19回訪れた。
ロンボク、バリ、コモド、スンバワ、サンギヘ、サバラナ、ジャワ、スンバ、クラカタウ・・・



そして今回が20回目のインドネシアとなった。

バリを訪れるのは9年振りである。

9年前の釣行記
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki/bali02_4.htm


バリのデンパサール空港について驚いたのは新車が多いことだった。ほとんど新車で、そのうち9割が日本製だった。
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とにかく大きく変わっていた。インドネシアはこの数年間4~5パーセントの実質経済成長を遂げている。

世界の実質経済成長率ランキング
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdp_rpch.html
インドネシアは世界で31位、日本は162位。
インドネシアはアジアでは10位、日本は最下位である。

前にも述べたが日本民族は優秀である。
悪い原因は何か?
政治が悪すぎる。こんなに首相がころころ変わる国はほかにない。世界の笑われ者である。
民主党も自民党も真剣にやってくれ。いつまでもくだらん争いはやめてくれ。
国のことを真剣に考えないと日本の未来は真っ暗ですぜ。

日産のゴーンさん、サッカー日本代表の監督ザッケローニのように首相も外人にお願いしたらと真剣に考えてしまうよ。



インドネシアの景気の良さは国民の活気からも感じられた。そしてマナーなど観光客に与える好感度もぐんとアップしていた。


初日の宿はクタにあるリーズナブルなホテル
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ホテルにチェックインした後、サヌールにある鳥毛さんの工房を訪れた。

鳥毛さんは世界的に有名なガラス作家でバリに移り住んで17年目になる。今年で70歳だが、とにかく元気で全身エネルギーの塊みたいな人である。

庭には多くの鳥毛作品が並んでいる。
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ここにも
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持って帰りたい・・・
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近々学校に送られるお猿君。やたらと落ち着きがない。
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学校で数ヶ月間教育を受けるのだそうだ。卒業したときはお行儀良くなってるらしい。

脱サラしてイタリアのミラノで4年間修行。パキスタンで逮捕されて懲役10年、鞭打ち12回の刑を言い渡された話。イランでも逮捕直前。そして数々のヨットレース。とにかく波乱万丈な方だ。
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これは鳥毛さんのヨットで70フィートだそうです。
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最近、平均年齢65歳のチームを結成してタイの国王が主催するヨットの大会で2位に入ったとか。ヨットでニュージーランドのオークランドに行ってきたとか。とにかく元気な方である。

このトイレも驚いた。
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ディナーをいただきながら楽しいお話をたっぷり聞かせていただいた。あっという間に10時を過ぎてました。
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リッツカールトン、インターコンチなど世界の有名ホテルにも鳥毛作品は多く使われてます。


そして1泊してアロールへ出発。
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-entry-116.html


24日にバリへ戻った。

戻る途中でモッコリさんからスケジュールの変更を聞かされた。
ホテルにアデとジョンさんが来ることは最初の予定通りだが、さらにジャカルタから釣り雑誌の編集長が来るとか。さらに翌日の釣りにテレビクルーが乗り込むとか。

なんだか急に忙しくなってきたぞ。

俺「アデの船ではのんびりする予定だったのに」(ボソ)

9年ぶりの再会です。お互い太りました(^^;
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アデからネーム入りのルアーをいただいた。
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ジャカルタからはジョンさんが駆けつけてくれた。
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ジョンさんはコモドで活躍したサーチャー号のオーナーである。

そして「マジャラ・マンチン」のアグース編集長の取材を受けた。

モッコリさんが通訳をしてくれたが、これがやたらと面白いらしく終始笑顔が絶えなかった。俺が語った10倍以上話してましたが(笑)
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15分の予定が2時間を超えてました(爆)

ipadをフルに活用してました。
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地図、海図、グーグルアースなどなど。いろいろと最先端でしたよ。
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アデは日本語がかなり上達してた。アデ「僕の大先生は茂木さんです」。正直嬉しかったです(^^)
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その日のディナーは久しぶりに肉となった。船では魚ばかりだったからね。

日本式の焼肉屋でした。
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食べ過ぎてお腹が破裂直前だった。
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お腹パンパンの状態でバリ通い20年のかっちゃん(バリ人1号)から勧められたマッサージ屋へ行った。
(本物のマッサージですよ)

ここでのナンバー1はディナさんです。マッサージ師の川島君が絶賛するくらいレベルは高かった。
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1時間半で10万ルピア(約900円)です。
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マッサージは上手だったけど、背中を踏まれたときは胃袋の中身が飛び出そうでやんした。


さあ明日は9年振りのバリGTです。


後編へ続く