2012/06/30

最強軍団?が行く大連観光その2

釣れる魚は関東、東北とほぼ同じ。
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白玉山は市内を一望できる
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この塔の高さは66.8メートル


エレベーターがあると信じて入場券を買う。


階段だった(-_-;) しかもかなり急である。
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でも上にスカート姿の若い女性がいたので頑張ったヽ(^。^)ノ


旅順港を見下ろす。あの狭い港の入口に日露戦争のとき広瀬中佐が突っ込んできたのである。港の入り口に船を沈めて閉鎖する作戦だったが、ロシアに発見されて目標地点に到達する前にことごとく撃沈、また自沈した。広瀬中佐は2回目の作戦の時に戦死。
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今でも旅順は海軍の重要な港となっている。
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たくさんの軍艦が停泊
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潜水艦も6隻確認
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続いて本命の釣りです。

ガイドに「船を探して」と前日から言っておきましたが

連れてこられたのは

海面から高さが30メートル以上もある高台でした(爆)
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ヒットしてから上げるまでが長いです。ほとんど途中で落ちてしまいます。しかも根掛かり多発。
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釣れないので地元のオッサンの魚借りてます。
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この高さです。世界で一番効率の悪い釣り方かも。でも30センチを超したら大物です。英雄になれますよ。
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地元の市場を見学

これはタチウオ
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これはヒラメ
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そしてソイ
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カエルも売ってます。
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白玉山でお土産を

薬きょうで作った飾り物がいっぱい並んでた。

俺「プラスチック製だろうな?」

実は本物の薬きょうだった。



続いて迫撃砲弾の飾り物が

俺「これ凄い。本物みたいだぞ」「しかも重い」

俺「はうまっち」

中国人店員「380元」

俺「飛行機大丈夫?」

中国人店員「大丈夫。爆発しない」

3人が購入



ところが!!!

大連空港で大事件に(-_-;)

レントゲンで見つかって、3個すべて取り上げられた。
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JALのカウンターのおばさんに「ここは中国ですよ!」「危ないものは買ってはいけません!」

怒ると色っぽいおばさんでした(^O^)


警察がどんどん集まってきた。SWATという制服を着た警官も。そして立ち入りできないように半径10メートルのところにテープを張られた。

パスポートを取り上げられて立ち尽くす日本人3人。

回りの警官はみんな凄い形相しています。

そんな緊迫の中で

俺「オモチャだから大丈夫!」

と言って2個を両手に1個ずつ持って「カーン」とぶつけた。

警察官A、B、C「危ない!こいつは自爆犯だ!取り押さえろ!」

力づくで取り押さえられて身動きできなくなってしまった(爆)

※中国語は俺の推測



同行者に写真撮っておいてと言って撮ってもらうとカメラ没収されそうに

撮った写真を削除して、なんとか没収は免れた。

それからは気付かれないようにカメラをぶら下げたままシャッターを押しましたけど・・・何か。
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そのあとカメラは同行者に預けた。取り上げられてデータを調べられたらマジで死刑になるだろうから・・・

望遠レンズで撮った軍艦の写真、潜水艦の写真、大連の夜・・・etc

いつのまにかテレビカメラも来ているし(これで有名人だな)



ここからは携帯で撮影っす。


空港内の派出所に連れて行かれて反省のふりをする俺とカブトムシ隊長
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しばらくして警察署に連行されることに

護送車を待ってます。
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そして警察署に監禁された。

このまま死刑になるのか・・・
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主犯の俺「こんなこと俺も初めてだよ」

共犯A「そんなときに同行できて光栄です」

共犯B「釈放してくれたらみんなから預かった金で豪遊しようよ」
※別れ際に賄賂用にと同行者から100万円以上を渡された。

3人そろって全然反省してません(爆)


これは携帯で隠し撮りです(笑)
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そして1日遅れで帰国しました。


取り調べが終わって釈放されるとき

警察(日本語の話せる人)「捜査にご協力感謝します」

俺「爆弾返してくれないの?」

警察「検査の結果、本物でした!」(核爆)

※ただし信管は抜いてありました。なので爆発はしないそうだ。


あのまま日本に持ち帰ったら成田で逮捕だったか・・・


本物をオモチャと言って売るとは!


恐るべし中国商法!


ちなみに警察に賄賂は払ってません。要求もされませんでした。


警察の話では爆弾を売った店は営業停止となるそうです。


終わり
2012/06/30

最強軍団?が行く大連観光その1

凄い建設ラッシュ。あと5年後は予想もつかない。
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中国の大連に行ってきた。グルーパーボーイズ内の最強軍団???カブトムシ隊の団体旅行です(笑)

大連空港に到着するなりカモになってます。

左側のお兄さんは100元でタクシー探してくれます。
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乗車完了。お兄さんはご満悦。
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右手には100元が。ちなみにタクシーの運ちゃんに40元渡します。60元がお兄さんに残ります。
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正規料金は28~30元です(笑)

カブトムシ隊はお金の価値を知りませんから(爆)


交通マナーは最悪です。日本人は絶対に運転できません。

ナンバープレートの無い車もときおり見かけます。
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でも大連市内は建設ラッシュです。こんなに高いビルをたくさん建てて需要があるのか?
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こんな人もあちこちにいます。時代が急激に変化してるので、起こる現象です(笑)
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市電ですね。ギュウギュウ積めでした。まあ東京も同じか。
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交差点はどこもこうなってます。信号が赤になっても隙間があれば入ってきます。あげくに動けなくなります。
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怪しい親父たちが市内観光へ出発。
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日清戦争、日露戦争の激戦地となった旅順を回りました。


東鶏冠山北堡塁史跡にて。
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ロシアが旅順に作った永久三大要塞の一つ。とにかく大量のセメントでガチガチに作られている。


日本軍の猛攻の後。
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ロシア軍の大砲
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屑が屑退治してやんす。


激しい戦いの跡が当時のままで残っている。
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ここが最大の激戦地となった203高地。
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203高地は203メートルの小さな山である。もとは206メートルだったが、日本の激しい攻撃で3メートル低くなったとか。


徒歩で登る。
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山頂にある「爾霊山」記念碑。ニレイザンと読む。203高地から取って乃木希典大将が名付けた。
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乃木大将はこの203高地の戦闘で2人の息子を失った。


280ミリ榴弾砲。もともとは対艦用に日本の沿岸各地に配備されていたものだが、強固なロシア要塞を破壊するために18門を解体して旅順に運んだ。
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この大砲が投入されてまもなく203高地を奪取。そのあとは旅順港に停泊していたロシアの旅順艦隊をほぼ撲滅させた。

今なら空からの爆撃と地上からのミサイル攻撃で簡単に落とせるだろうけど、当時は飛行機もミサイルも戦車もなかったからね。203高地を奪取するために15000人以上の日本兵が命を落としました。

でも1894年の日清戦争から1945年の太平洋戦争終結までの日本は残酷な国でした。旅順では日清戦争のあとに無抵抗の住民が3万人も日本軍に惨殺されたそうです。



日俄監獄旧跡
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もともとはロシアが1902年に建てた監獄だが、日露戦争のあとに日本が拡張して使った。青レンガの部分がロシア統治時代に建てられた。赤レンガの部分は日本が建てた。


伊東博文を暗殺した安重根はここに投獄された。
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安重根は日本側からは暗殺者、犯罪者だが、韓国では英雄である。


安重根が投獄されていた部屋。
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どちらかがトイレで、どちらかが水(飲料用)です。間違えそうですね(-_-;)
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拷問の部屋です。熱してドロドロになった鉛を背中にかけられたり、真っ赤な焼きゴテで尻を焼かれたり、鞭で打たれたり・・・
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囚人が病気にならないようにここで太陽を浴びながら運動させたそうです。日光消毒です。
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兵庫の屑が体操を開始。とても似合ってました(^O^)


絞首刑の部屋です。
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一度に3人まで執行できた。


床が開いて首つりになった囚人は2~3分で死ぬそうです。そのあとは下の桶に入れます。
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近くを掘ったら桶が大量に見つかりました。
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700人以上がここで絞首刑になったそうです。


ここでは多数の中国人、朝鮮人が処刑された。訪れる中国、韓国の観光客にとって独立を勝ち取るために犠牲になった多くの英雄を祀る場所でもあります。見学していた韓国人の団体は抗日的な態度でした。ここでは仕方のないことですね。


日本が中国でひどいことをやっていた証拠を展示しているわけだけど、今では日本ではほとんど死刑はない。でも中国では毎年たくさんの人が死刑になっている。
※2007年からは年平均4000人が死刑になっているそうだ。それ以前は毎年1万人以上が死刑になっていたらしい。ただし中国は死刑数を公表してないので正確な数字はわからない。


毛沢東は文化大革命と大躍進政策の失敗で3000万人以上の国民の命を奪っている。


でも中国では一番の英雄です。


都合の良いことだけを公開して、都合の悪いことはひた隠す、それが中国です。




その2へ続く
2012/06/29

マグロ漁師見習い・その2

せ~いち船長撮影
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大西洋では産卵期のクロマグロを獲り続けた結果、資源が激減した。ICUNでは絶滅危惧種となっている。
大西洋クロマグロ
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H18/H18/H18%2006.htm

1982年に産卵場であるメキシコ湾を全面禁漁とした結果、1982年より水揚げ(図2)は大幅に減少した。資源量の減少には一応の歯止めが表(図5)を見るとわかるが、回復には向かってない。現在の資源量は1975年の5分の1以下である。この表からはわからないが、1960年ごろの10分の1以下と思われる。

太平洋クロマグロに関して言えば、1981年までの大西洋クロマグロと同じ状態と言える。産卵期のマグロを獲り続けているので資源量が急激に減少している。早く手を打たないと資源回復は不可能となってしまうだろう。
2年前のTV番組で巻き網会社の重役がテレビインタビューで「いまさら規制しても、もう手遅れ」と答えていた。
彼らはマグロを獲るだけ獲って荒稼ぎして、獲れなくなったら国から補助でも受けるつもりなんだろうか?
利権には政治家やヤクザが群がる。日本の水産行政がなんの手も打たないのは、見えないところで圧力がかかっているのかもしれない。
2年前に「産卵期のマグロを禁漁にする」という案が決まりかけたが、いつのまにか消えてしまった。そのとき一本釣りの漁師さんたち(大間、勝本etc)は「巻き網が禁漁を受け入れるのなら、我々も禁漁に賛成する」言っていたのだが。



五郎丸の寝室。今回は移動中以外は一度も寝なかったぜ。
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ジェットフォイルは高速で走るときはジェットで船体を高くする。そのため波の影響をほとんど受けない。
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せ~いちカメラマンですが、何か。
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2日目は外道で終了。
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活性が低かったので、早上がりして壱岐島内観光に。ガイドは五郎丸です。

原の辻遺跡です。弥生時代の遺跡です。
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一支国(いきこく)博物館。原の辻遺跡のすぐ側の丘の上にある。
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ウエブサイト
http://www.iki-haku.jp/


建物も内容も立派な博物館です。壱岐の歴史を3万年前から知ることができます。大陸と日本列島の間にあり、魏志倭人伝にも出てくる一支の国。日本の歴史を知るうえでかかせない島です。元寇、倭寇など、悲惨な歴史もわかります。他にも壱岐には南蛮人(奄美人)、新羅(朝鮮)、女真族(満州)などが襲来している。


壱岐神社(弘安の役で19歳で戦死した少弐資時を祀る神社)でお祈りをする一本釣り漁師です。
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「マグロいっぱい釣らせてください」かな?

俺もお賽銭を入れてお祈りしました(しかもあちこちの神社で)


少弐資時の墓
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少弐資時像。芦辺港にあります。
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男岳神社。凄い数の石猿です。
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芦辺に美味しい店がありました。
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刺身はどれも新鮮で美味しかったです。
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新城の千人塚
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蒙古襲来で命を落とした人々を埋葬した墓。壱岐には千人塚がたくさんあります。蒙古襲来で島民はほぼ全滅したそうです。


城山公園(勝本城跡)。1591年に秀吉が朝鮮出兵のために4か月でつくらせた城。
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大陸との間にある壱岐は攻めるときも攻められるときもいつも大迷惑だったんだね。


城山公園から勝本漁港を見下ろす。
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さあ3日目、漁師見習い最終日です。

あちこちの神社でお祈りしたので釣れるはず?


釣れてますけど(笑)
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ワラサ~
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ワラサで終了でした。

お祈りの時に「マグロ」と言わなかったのかも。


サンライズも暇そうですな。
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3日間の漁師見習い、メチャ楽しかったです。
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帰りに五郎丸宅でお母さんの手料理をごちそうになりました。


次回は冬のマグロシーズンに乗せていただく約束をしました。


いまからメチャ楽しみにしています。


ちなみに俺が帰った後は毎日マグロ釣れたそうです。

遊漁船もマグロバコバコだったとか・・・


俺が貧乏神なのかも(-_-;)
2012/06/23

マグロ漁師見習い・その1

勝本は日本海を代表するマグロの一本釣り基地だ。
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現在インドネシアのジャカルタでこのブログを書いている。数日前、市内を車で移動しているときに友人のJonがマナー最悪、大渋滞の道路を指して「インドネシア、ノーレギュレーション」と言った。
先週、中国の大連にいたときも運転マナーの悪さと大渋滞にあんぐりした。割り込み、譲らない、信号無視、突然の進路変更などなど、路上はまさに戦場である。クラクションはあちこちでけたたましく鳴り、バイクが右から左から次々と割り込んでくる。歩行者はどこからともなく次々と現れて強引に道路を渡って行く。運転は360度を常に神経を張らないといけないと思うのだが、ほとんどの人は前しか向いてないように見受けられる。

ほとんどの東南アジアはこんな状況である。経済成長により多くの国民が車を所有するようになったが、運転マナーに関しては野放し状態である。車が増えた分、道路を拡張、さらに新しく作らなければならないのだが、ほとんど昔のままなのがインドネシアである。渋滞がひどくなれば、さらに運転マナーは悪くなる。悪循環である。運転手に譲るなんて気持ちの余裕は微塵もない。

ようやく地下鉄建設の動きが見え始めたが、完成がいつになるかは政府関係者でもわからない。おそらく20年以上先のことだろう。


海に関して言えば日本でも同じような状況がずっと続いている。

魚を獲る技術は格段に進化した。イカ釣り漁船でいえば電球の明るさが数年で何倍にも明るくなった。明るい電球はすぐに漁獲に結びつく。みんなこぞって明るい電球を買い求めた。2年も経てば、時代遅れの電球になってしまうので、常に最新の電球を付けてないとイカは周囲の船に持っていかれてしまうのだ。

そしてイカは減少した。儲かったのは電球メーカーだったかも。さらに明るすぎる電球は生態系にも悪影響をもたらした。そりゃそうである。夜は暗いというのが地球上の決まりである。それが昼間のように明るくなったら異変が出てくるのは当然だ。地球が誕生して46億年。その間にゆっくりと進化してきた。急激な変化に自然界は付いていけないのでる。

海外の漁業にも大きな進化があった。巻き網は各国が次々と効率の良いものを開発。最近は巻き網の5倍以上の能力がある「虎網」が台湾で開発されて使われるようになった。これもイカと同じように開発競争である。挙句の果てに海の魚は激減した。そうなるとさらに効率の良い巻き網漁船を開発、製造、大型化するのである。ソナー、魚探、GPSなどの進化も凄い。資源の減少は当然さらに加速する。あと数年でマグロもサバもカツオもサンマもいなくなるかもしれない。マイワシなんて数年前まではうじゃうじゃいたが、今では漁師さんでさえ「幻の魚」と言っているのだ。

6月20日からブラジルのリオデジャネイロで「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)が開催されている。そこで中国の温家宝首相が「我が国は発展途上国」と演説した。「先進国は持続不可能な生産・消費モデルを放棄し、途上国の発展を助けるべきだ」と語って、地球環境問題では先進国が特別な責任を果たすべきだとの考えを改めて強調した。
リオデジャネイロで1992年に開かれた地球サミットでは、工業化を進めた先進国に地球環境劣化の責任があり、技術や資金で途上国を支援すべきだとの考え方が打ち出された。だが現在、二酸化炭素排出量では中国が世界一だ。先進国側では、途上国を含むすべての国が環境保全と経済成長を両立させる「グリーン経済」を目指すべきだとの主張が高まっているが、温首相は演説でこれに反対する立場を明確にした。(読売新聞より抜粋)

有人宇宙船を打ち上げ、GDP世界第2位の中国の首相の発言である。

このリオ+20では公海上の水産資源の持続的利用に関する交渉を開始するという案も出されたが、一部の先進国の強い反対にあい、先送りとなった。強い反対国は5か国で、日本も入っていた。海の面積の3分の2が公海である。これを今後も乱獲し続ければどうなるかは素人にも明白にわかると思うのだが。


「ノーレギュレーション」の国は魚が釣れない。釣れないからリリースをまずしない。そしてターゲットはさらに小型化していく。

「レギュレーション」のある国は魚がいっぱい釣れる。いっぱい釣れれば魚をリリースする余裕が出てくる。魚が増えれば釣れるサイズも大型化していく。

いま、世界が取り組まなければならないことは水産資源の世界規模のレギュレーションだと思うのだが。

PS.クロマグロに関して日本は国内が野放し状態である。日本が世界に規制を訴えてもどの国も動かないだろう。「何をバカなことを!」と一笑されて終わり。
世界のクロマグロの8割を買いあさる国がこんな状態なのである。

日本近海のクロマグロ漁業の現状 その3
http://katukawa.com/?p=3526



昔からの夢だった「マグロ漁師さんの船に乗る」ために博多港から壱岐に向かう。


壱岐のパンフレット
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ここで高速船ジェットフォイルのチケットを購入
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ジェットフォイルはほとんど揺れがなく、実に快適。そして速い!
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船ではなくて新幹線に乗っているような感覚だった。


1時間10分で壱岐の郷ノ浦に到着。
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レンタカーで勝本漁港へ。約30分。


壱岐の若手漁師「五郎丸」が出迎えに。
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遠征が続いているので民宿で少し休んだ後に夕食を食べた。


夜8時にマグロの餌にするトビウオを掬いに出発
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港の目の前で船長が次々とトビウオを掬った。
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約1時間で50匹も!
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船長45匹!俺5匹(-_-;)

朝が早いので10時には寝た。


3時起床、3時半出港。

七里に到着すると、すでにたくさんの漁船が。
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この日、釣れている場所はピンポイントだった。ポイントの潮上に船を持って行く。漁船同士の間隔は0.25マイル開けなければならないので船が多いときは3マイルも離れたところに付けることになる。
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この日は潮が遅く、風向きも良くないので流れてポイントに到着するまで2時間くらいかかった。

途中で潮が変わったり、風向きが変わったら、目標のところに船は流れない。

上手くポイントに近づけるかが勝負の分かれ道である。

ほとんどの漁船はルールを守って、順番に潮上から流すが、一部に途中から割り込んでくる船もいる。どの世界にもルールを守らない奴はいるもんだ。

五郎丸は誰もが認める優秀な若手漁師だ。1回目の流しでポイントに着くなり2バイト。でも残念なことにすっぽ抜け。

再び潮上に付けて流す。

ポイントの上には鳥が集まり、トビウオが逃げているのが見えた。

2時間後にポイントに着くと、すぐにミヨシ側の竿が曲がった。
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数秒後にトモ(後部)のリールからラインが飛び出した。
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ダブルヒットである。

俺がトモを担当することになった。ロッドポストにはめたままファイトするなんて初めてなので魚の大きさもわからない。

ミヨシの魚を先に取り込むので、トモのリールはドラグを締めないでファイトをした。巻いても巻いても出て行くドラグである。

先にミヨシのマグロが姿を見せたので、トモの魚はそのままにして、カメラを持ってミヨシに移動した。

落ち着いた取り込みでモリは一発で決まった。
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そしてすぐにトモに戻ったが、ロッドがまっすぐになっていた。竿から離れた直後にばれてしまっていた。漁師の手伝いなんて言えたもんじゃない。これじゃ見習いである。

マグロを船上へ上げた。60キロ以上はありそうだ。
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すぐに鰓と内臓を抜く。尻尾も落とした。
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胃袋からはバライカ(スルメイカの子供)と骨だけになった魚が出てきた。
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そして頭に穴を開けて神経締め。
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勝本漁協に水揚げ。
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内臓、鰓を抜いて58.1キロ。元は65キロ前後だろう。
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箱詰めにされて築地へ送られた。
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その日は町内の居酒屋でマグロ漁師さんと一緒に盛り上がった。

俺のパソコンを覗いてビックリする漁師さん。
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昨年のカナダの動画を見せたのだ。300キロオーバーのマグロが次々と船べりに出てくるのである。七里でも昔はこれに近い光景を見たそうである。今では300キロのマグロなんて七里ではパッタリと見られなくなった。

その動画




そのあとは漁師さんたちのこと。七里に来る遊漁船のこと。マグロの昔と今と未来。いろんなことを話し合った。
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勝本の一本釣りの漁師さんのおかげで我々遊漁はマグロを釣ることができる。それを2年前にある方に教えていただいた。

最近(7~8年前?)まで日本海では操業していなかったマグロの巻き網船団が数年前から次々と現れるようになった。昔は北海道東方沖が巻き網の主な漁場だったが、マグロがパッタリ獲れなくなり日本海へと漁場を変えたのだ。しかも産卵期に集まるマグロを狙ってである。一網打尽にする巻き網はマグロが集結しているときを狙うのが効率が良いのだ。

かつては宮城県の塩釜港がクロマグロの水揚げ日本一と言われたが、近年はほとんど水揚げされてない。塩釜港全体の水揚げは昭和57年がピークで約500億円。平成21年には83億円まで落ち込んだ。

代わりに伸びてきたのが境漁港である。毎年産卵期の6月から7月に卵を持ったマグロが大量に水揚げされる。

産卵期のマグロを獲り続ければマグロがいなくなるのは誰にもわかることである。それが原因でかつては一本釣りでマグロがたくさん取れた山口県萩沖の八里ヶ瀬はほとんどマグロが釣れなくなってしまった。

七里は勝本の漁師さんが農林水産省に出向いたり、七里を常に監視したりして、巻き網船が入ることを防いでいる。そのおかげで多くのルアー船、そして釣り人がマグロを狙うことができるのである。

ほとんどの遊漁の船長はよくわかっていて、七里のルールを守っているが、ときおりプレジャーが問題を起こす。

今年の1月にもプレジャーが漁師さんの仕掛けの上を横切って切るということがあった。七里で釣りを楽しみたかったら漁師さんとトラブルを起こすのは絶対にやってはならない。漁師さん同士でもルールを守っているのだ。



2年前に都内で開かれたマグロシンポジウムに五郎丸船長も出席してスピーチをやった。

マグロシンポジウム
http://itacim.blogspot.jp/2010/08/envngo2010.html

松尾五郎さん(長崎県勝本町漁協)「壱岐のマグロ一本釣りの現場から(1)」

高卒後、父のあとを継いでマグロ一本釣り漁業につき、14年め。同世代はほとんど親子乗り。8年目に父逝去、以来ひとりで一本釣りで格闘。32歳。
本当に魚が少なかったことを実感。マグロは数も少なくなったが、小さいマグロが本当に少なくなった。
産卵期に集まる習性を利用して巻き網で取り尽くしてしまうのだから、減るのは当然。
一本釣り、これからも続けたい。
漁協のマグロ研究会で築地を訪れたとき、「やけ」たマグロを初めて食べて、呑み込めなかった。(やけ:釣り上げるときマグロの体温が上昇するが、それが十分下がらず、血抜きなどの処理も不十分だと、酸味が入ってしまって味が落ちる。そうした状態を「やける」「やけた」と言う。)

大久保 晃さん(同じく勝本町漁協)「壱岐のマグロ一本釣りの現場から(2)」

漁師の父の背中をみて育った。中卒後、漁師に。40代。
昔は、多くのマグロがジャンプする様子を毎日見ていた。もう今は見られない。
勝本漁協では、漁場監視船をつくるなどして、資源管理型の漁業を試みている。しかし、次の世代に魚を残せるか心配。息子は「お父さんと一緒に海で漁をしたい」と言うが、それが実現できるか本当に心配。
これからの漁業がどうあるべきか、漁師で話し合い、試行錯誤している。現状のままでは、とても駄目。勝本の漁師だけでは勝本の海を守れなくなっている。


勝本の漁師さんと話をして、考えていることはほとんど同じなんだなと思った。

このままでは近い将来、マグロは姿を消してしまうだろう。

一本釣りの漁師さんに頼らないで、我々釣り人も遊漁船も団結して動く時である。

打倒巻き網!
巻き網に規制をかけなければ多くの魚が消えていくぞ!

行政は何を考えているのだ!
何も動いてないのではないか!

学者も資源の飢渇をもっと強く訴えろ!
一部に頑張っている学者もいるが、現状を打破できてないのは事実。


その2へ続く
2012/06/16

初挑戦で初GT@奄美

センネンダイの姿造り
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激美味でした!


今回はGT初挑戦が2名。国内GT初挑戦が1名います。

GTやらない方も1名います(笑)


6月1日強風波浪雷注意報の奄美に到着。

俺「3日間とも観光だな」
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船はウッキー艇です。

東側と北側はあきらめて西側の赤木名港から出発して南へと下る

加計呂麻あたりまで行くと海はかなり穏やか

釣りを開始するとGT初挑戦のゴリにヒット!

でも上がってきたのは外道でし。
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その日はサメで終了

加計呂麻に上陸していつものペンション「リキ」に泊まった。

ここの料理はいつも最高です。マスター自ら美味しい魚やエビなどを潜って捕ってきます。
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今回はセンネンダイとアオチビキの姿造りでした。


2日目

開始早々にGTが釣れた!
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社会人2年目クンペイの人生初GTは28キロ!
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ロッドはBLC83/40、ルアーはパンドラ155でした。

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続いて長井君にヒット!
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ちょっとお腹にダメージが
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満面の笑顔です(^^)
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ロッドはDJ83MH、ルアーはパンドラ155でした。

GT初挑戦のゴリは夕食のおかずを!
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デカ!8キロもあった。

国内GT初挑戦の紺野さんも美味しそうなスマガツオをゲット!
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クンペイ1匹追加!
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若いから上達が早い!

2日目はマリンステイション奄美に宿泊

五右衛門風呂?
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昭和生まれの五右衛門です。
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眼下に見えるのは瀬戸内海峡です。対岸は加計呂麻島です。
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写真と動画を見ながらの宴会は最高です。
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さあ明日は最終日頑張ろう!
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GTやらない人が一番飲んでましたが(笑)

この日のメニューはスマづくしでした。

無理やり作らせたスマのカルパッチョ
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スマの刺身も大量です。
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美味しさに全員感激!


そして最終日

ゴリについに本命がヒット!
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ニュージーでヒラマサ、アメリカでマグロをたくさん釣っているだけあって実に安定したファイトでし。

2分でキャッチ!
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ロッドはBLC80/35、ルアーはパンドラです。




以下は種子島と奄美の間に行った鹿児島市内観光です。


城山展望台から見た桜島。
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西郷隆盛が自決した場所。
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「晋どん、もうここらでよか」
腰と大腿部を2発の銃弾で撃ち抜かれ、ここを死に場所と決めて東を向き、皇居に伏し拝む西郷に別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされた。


城山公園にある西郷隆盛像。
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上野の西郷さんとは別人みたいです。
隆盛の弟の従道が母を連れて上野の西郷像を見たとき、母は「似てない」と言ったそうです。



「おはんらにやった命」(挙兵の前に教え子たちへ放った一言)

ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが
      なすがままに 果てし君かな   勝海舟


今の世の中で一番必要なタイプの人だと思うよ。