2014/06/23

城巡り・沖縄編

俺は沖縄が大好きだ。釣りにはまったのも沖縄。そして人生で一番釣りに狂っていたのも沖縄に住んでいた3年間だ。

1983年から3年間沖縄に住んだが、釣り釣り釣りの毎日だった。車の中はいつも魚臭かった。住み始めたころは家より車の中に寝る方が多かった。しばらくすると荒磯にはまり、磯にテント(厳密にはブルーシート)を張って寝るようになった。一番長いときは磯で1か月生活した。当時のあだ名は「磯コジキ」。


今回はフラッと城巡りで出かけた。世界遺産に登録された城が沖縄本島に4つある。俺が沖縄で釣り狂っているときは世界遺産にも登録されてなかったし、俺自身が観光に目を向ける余裕なんてなかった。

沖縄観光チャンネルより抜粋

沖縄にある多くのグスク(城)及び遺跡の中から、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が第24回世界遺産委員会会議で2000年(平成12年)に世界遺産登録されました。これらの公式名称は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」といいます。


この4つの城が1400年代に次々と戦いの場となります。現在に伝えられる歴史は最後の勝者である琉球王朝の尚氏に作られたもので、多くは謎である。
※世界のほとんどの歴史は勝者が残したもの(書き換えたもの)である。事実と違うことは少しも珍しくない。基本的に参考程度にしておくべき。真実は当時の人しか知らない。

中城城址。
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護佐丸の城として有名
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護佐丸・阿麻和利の乱
http://gusuku.que.jp/episode/episode_05.html

護佐丸は阿麻和利に策略で王府に謀反の疑いをかけられる。

阿麻和利に率いられた王府軍に囲まれると

護佐丸は戦わずに自刃した。
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最後まで首里王府に反旗を翻さなかった護佐丸は、今も忠臣として語り継がれています。


勝連城跡。阿麻和利の城として有名。
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阿麻和利とは
http://www.city.uruma.lg.jp/4/3222.html
これを読むと村民には尊敬されていたようだ。


城壁が美しい。
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座喜味城跡。これも護佐丸が建てた。
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護佐丸は今帰仁城の北山王朝を滅ぼし、座喜味城を築城、そのあと中城城を築城、そして琉球王朝に滅ぼされた。
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石垣はほぼ同時代に作られたので、どれも円形で曲線が美しい。
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3つの城を見た後は残波岬へ

ここでも30年以上前に俺は何度か釣りをした。
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昔はここに小屋を建てて釣りをしている人がいた。

さすがに小屋は消えていたが、その名残は残っていた。
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歴史を感じる釣り人。挨拶しても返事はない。
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荒磯師はポイントを荒らされたくない、また知られたくないので、無口な人が多い。ただし親しい仲間ならいくらでも話してくれる。俺も泡盛でも持参すればよかった?

でもナイチャーだから警戒されるかな?
※沖縄の人は本土の人を「ヤマトンチュウ」もしくは「ナイチャー」と呼ぶ。沖縄に住んだ本土の人のことは「シマナイチャー」。そして沖縄の人を「ウチナンチュウ」と呼ぶ。


懐かしい3点張り仕掛け。いまだに現役なんだな。
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残波岬灯台。
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岬の先端の離れ岩にも釣り人がいた。
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ちょっと田中一村風に。
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田中一村
http://www.amamipark.com/isson/isson.html


そして夕食はプロショップ・ボギーのオーナー儀保君と

このお店でいただきました。
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沖縄の魚がいっぱい。ここのオーナーは釣りが大好きだそうです。
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儀保とは沖縄磯コジキ時代からの仲間です。お互い年取ったな。
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昔の話で盛り上がりました。ちなみにヨセミヤのつぐみ、ミノル兄弟、マンブーの前田船長も30年以上のお付き合いです。

店の看板が面白い。

次は履いて来るぞ(笑)
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次は被ってくるぞ(笑)
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沖縄の言葉は何か温かみをとか人情を感じる。ウチナンチュは基本的に困っている人、貧しい人に同情的。事実、俺は沖縄時代にたくさんの人にお世話になった。

でも沖縄方言を使う人は減ってきた。35~6年前にヤンバル(本島北部)に行ったときは全然言葉が理解できなくて外国に来たかと思った。


そして翌日は今帰仁城へ
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13世紀から14世紀始めにかけて北山王朝が大勢力を誇った。
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鉄壁の城だったが
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最後は味方の裏切りから一気に攻められて滅んだ。
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最近、こんな本を読んだ。

「沖縄が中国になる日」
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沖縄は親日派と親中派(中国)に分かれている。そして歴代知事や歴代那覇市長などは親中派の人が多い。中国福建省の名誉市民になった那覇市長や宜野湾市長もいるのだ。また仲井眞知事と稲峰知事は中国帰化人の子孫である。

沖縄本土復帰前までは日本を批判する人はほとんどいなかった。ところが復帰前から日本を非難する声が出始め、今では「琉球王国は日本によって滅ぼされ、住民は沖縄戦に巻き込まれ、多くの住民が日本軍によって虐待された」という被抑圧史観が若年層に定着してきている。

日本に批判的なのは沖縄の2大紙「琉球新報」「沖縄タイムス」、そして「沖教組」である。親中派に都合の良い記事を大々的にあつかい、親日派、親米派に都合の良い記事はほとんど載せない。沖教組もそれにそった教育に徹底している。

メディアがよく使う「米軍基地の75パーセントが沖縄に集中する」というのも間違いである。これには三沢、佐世保、横田基地など自衛隊と共有する基地は含まれていない。三沢基地など97パーセントが米軍使用で自衛隊は3パーセントしか使用していない。自衛隊が共有しない米軍専用基地だけを対象としているのだ。これらの含まれていない基地を入れると沖縄にある米軍基地は22.9パーセントということになる。

戦後70年経っても日本政府は戦後政治の負の連鎖を断ち切ることができない。中国に対しても朝鮮半島に関しても沖縄に関しても金縛り状態である。

ちなみに2013年度の沖縄復興予算は3000億円の振興開発費、那覇空港平行滑走路建設費160億円と県の要求に対し満額回答である。全国レベルでは3921億円の減額であるにもかかわらず。

ここにも「基地反対を叫べば金が取れる」、さらには「軍用地料」。そして沖縄戦で土地台帳が焼失したために戦後「自称地主」が次々と現れたなど、たかりが当たり前のようになっている。この人たちの主張を総合すると普天間基地ははるか水平線の彼方まで突きだすそうだ。

こんなことが2年前にあった。主催者は「普天間基地から爆音をなくす訴訟団」である。基地周辺の住民へ「1万円の投資で299万円のキャッシュバック」というチラシを配布した。要するに一家に付き1万円の訴訟費用を供出すれば、国から騒音補償費として300万円が支払われるということである。この団体の副団長は日朝友好運動を押し進め「アメリカを追い出そう」という運動にもかかわっている。


俺は4年前に中国に行ったとき、日本語を話せる中国人と尖閣問題で激しく話し合った。彼は尖閣だけでなく「沖縄も中国のものだ」と言い放った。

俺は多くの沖縄の人は「沖縄は日本」と思っているだろうと考えていた。ところがこの本を読んで強い危機感を感じた。その沖縄に中国がどんどん接近している。「沖縄独立」「中国と友好関係を」という人がたくさんいるのだ。そしてあちこちで集会などを開いている。福建省には沖縄友好会館も建っている。この建設費にも補助金が使われている。さらに工事発注時は2億円だった建設費が、中国側の一方的な値上げで結果的に9億円も払わされたのだ。

この本の著者は最後をこう締めくくっている。

ところが我が国は、戦後政策で2つの重大な過失を放置してきた。それは、

①国家が大東亜戦争を総括することなく、沖縄や中国、朝鮮に謝罪を繰り返すため、それらの集団は何度も謝罪と補償を我が国に求めている。加えて、我が国の戦後世代までもが、自虐史観にとらわれており、外交上、劣勢な立ち位置にある。
②戦後、元帝国陸海軍の高級将校たちが、極東国際軍事裁判に反論することなく、あらゆる開戦責任を背負ってこの世を去っていった。
対照的にドイツは戦後、元軍人が戦争責任の是々非々を主体的なビジョンで総括した。その結果、軍人の地位は回復し、再軍備を果たした。今やドイツ軍はNATO軍の中核を占めるに至っている。
2014/06/17

2013年11月の奄美・硫黄鳥島遠征

これは昨年11月8日出発の激渋ビッグディッパーです。つい先日(6月12~15日)もビッグディッパーに乗り、19匹もGTを釣りました。いつも茂木ツアーは釣れると言われてますが、釣れないときのほうが多いです。釣れたときは目立ちます。釣れないときは目立ちません。今年の4月も3匹で終了です。ブログにアップするのも力が入りません(-_-;)


念入りに長さを計っています。鹿児島からの乗継に載らないかもと可愛いお姉さまに脅されました。
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岩手から参加の8番様です。強力な宴会要員です。
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奄美空港到着。荷物も無事到着。
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怪物邸でタックル準備。
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岩手の8番様は夜に備えてお休みです。
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ヘッドアンドテルテルにGTがヒットー!
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余裕のファイトでした。
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おめでとう!
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これが初GTだったかな?


遅くまで投げましたが・・・
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お疲れ様っす。
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名瀬に入港♪


まずは焼き鳥~
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そして2次会へ

いや~楽しそう(^O^)
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真中の二人だけ泣いてますけど・・・

どったの?

はあ、ドンペリ2本ね。

ご馳走様~(^O^)



そして2日目

飲みすぎですか?
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3時間くらい走ったかな?
寝てたんで・・・

着いた島は

硫黄鳥島っす。
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なんでもちょっと前にみっぴがここでGT釣ったらしい。

女に釣れるなら、俺たちは楽勝だぜ!


気合入ってます!
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あれ~
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あれ~2
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あれれ~3
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おかしいなあ・・・
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どうしたの・・・
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・・・
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船上はどんどん静かになって行きました・・・



ちなみに硫黄鳥島を上空から見ると
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この島には14世紀後半に人が住み始めたらしい。1903年当時は人口676人。その後、小中学校、診療所、役場も設置された。1959年の噴火で全島民は那覇などに移住。1967年に採掘員が撤退して完全に無人島になった。

硫黄鳥島上陸記No.4
http://www.tokunosima.com/tida111029.html

徳之島の西沖にあるけど、沖縄県に属します。こうなった理由はリンク先に説明されてます。当時は薩摩藩がやりたい放題でした。でも琉球王国が中国領にならなくて良かった。そのころは明の末期でそんな余裕もなかったのかな?


そんなわけで硫黄鳥島で惨敗。

みっぴを舐めてはいけません。


古仁屋に入港

お祭りの真っ最中でした。
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今夜は焼き肉です。
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反省
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そして早くも最終日


ゴリの顔が・・・
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メチャ暗い・・・


クンペイも臭い奴でした。
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帰港~~~


岩手の8番様だけガッツポーズ!
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何か収穫あったのかな?

昼は完敗でしたけど・・・

夜は毎晩行方不明でした(笑)



終わり




2014/06/10

湖底に沈む前に

俺の故郷に大きなダムが建てられる。

「八ツ場ダム」(これでヤンバダムと読む)

この計画が始まったのは60年以上も前のこと。昭和27年だから俺が生まれる2年前である。長年のダム建設反対運動、そして強酸性のため当時(1960年ごろ)の技術では建設は無理など、二転三転して、最初の工事着手は1994年まで遅れた。工事が始まって15年後の2009年に当時の前原国土交通省大臣が建設中止を表明。2年間工事は止まり、2011年に再び工事再開。完成予定はどんどん遅れて、現時点では2020年となっている。なんと計画から67年も経つことになる。始皇帝の兵馬俑やクフ王の世界最大ピラミッドより長い(笑)



実家(中之条)を早朝に出て、暮坂峠を抜けて、まずは野反湖へ
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連日の大雨で観光客は一人もいなかった。


帰りは長野原を回り、川原湯温泉へ

高いところに橋がいくつも架けられていた。
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これはダムが建てられると道路が湖に沈むので新たに高いところに建設されたのだ。


この下の橋は湖底に沈む。
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上空から撮った建設地。
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この古い鉄橋も道路も沈む。
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新たに建てられた不動大橋からの眺め。下の道路も鉄道も水田も5年後に沈む。
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不動大橋から上流方向を見る。この景色も5年後には大きく変わる。
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そして沈む温泉街へ

川原湯温泉。源頼朝が発見したという長い歴史を持つ温泉。
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すぐ上に橋が建設中。橋の名前はまだない。現在は仮称「湖面1号線」
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川原湯温泉は高いところに移転して「新川原湯温泉」となる。


そして旧川原湯温泉で最後まで営業しているのはこの1軒だけ。
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湯の名称は「王湯」源頼朝にちなんで命名?
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壁には、源頼朝の家紋である「ササリンドウ」。


300円払って露天風呂へ
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実は俺は10歳くらいの時に祖父に連れられて、この温泉に入っている。人生で最初に入った温泉なのだ。


温泉には親子3人が入っていた。

俺「写真を撮っていいですか」

お父さん「どうぞどうぞ、私も撮りたかったんです」

二人でカシャカシャ撮りました。
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俺が入った時も、この子供たちくらいの年齢。この子供もこのお風呂に入ったのはずっと記憶に残るだろう。

ちなみにこの「王湯」の営業は今月いっぱいです。移転先で7月から営業再開だそうです。


この郵便局も沈みます。
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川原湯温泉駅。この駅も沈みます。いま、高いところに「新川原湯温泉駅」を建設中。
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ちょうど列車が来た。鉄道マニアらしい人が2人、写真を撮ってました。
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沈む国道145号線を走ってダム建設予定地へ

この鉄橋も道路も沈みます。
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ここがダム建設予定地。名勝「吾妻渓谷」の上流側です。狭い谷のところです。
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建設中の湖面1号線大橋(仮称)と移転先の新川原湯温泉。工事を急ピッチでやってました。
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すでにいくつかの旅館は移転先で営業してました。創業352年の山木館は昨年9月に新装オープンしています。

山木館
http://yamakikan.jp/


中之条に戻って「Tumuji」へ
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最近建てられたおしゃれな空間です。

Tumuji
http://tsu-mu-ji.com/

つむじとは(サイトから抜粋)

「ぐるぐるぐるぐる、頭の真ん中、つむじはアイデアの出るところ。
みんなのつむじが集まって、大きなつむじ風をまきおこす。

つくる が集まる場所「つむじ」には、であう、つながる、うまれる、つたえる、が体験できるコンテンツが盛りだくさん。

中之条の文化やものづくりが体験できるワークショップをはじめ、地域の方々が持ち寄った新鮮野菜や珍しい品々が並ぶ「ぷらっと青空市」など、「つむじ」のイベントはみんなが参加してくれることでもっとおもしろくなります。
四万の温泉を気軽に愉しめる足湯「ゆさんだむしぇ」や、芝生の「お祭り広場」は、みんなの出会いがうまれる場所。

ぷらっと寄って、集まって、みんなで「つむじ」をたのしもう!!」


こんな建物です。
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ここのカフェでランチタイム。「豆入りキーマカレー」をいただいた。とっても美味しかったです。
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中之条では2007年から2年に1回、大きなイベントが開催されている。これはそのイベントを写真集にしたもの。
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イベントの名称は「中之条ビエンナーレ」

100人以上のアーティストが集まり、中之条の古い民家や木造校舎、温泉街、Tumujiなど、町全体が美術館のようになるイベント。若者からお年寄りまでたくさんの人がボランティアとして手伝います。

2007年の第1回は48000人の来場者、2013年の第4回は33万人が訪れたそうです。人口17000人の町が一気に賑やかになります。

中之条ビエンナーレ公式サイト
http://nakanojo-biennale.com/

2015年は9月12日から1か月間開催されます。


Tumujiの中を歩く
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鳥追い祭り。なんと400年以上も続いている伝統行事。
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Tumujiの中心部。ここでコンサートなどが開催される。
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俺の出た小学校。建物は変わってるけど、来年で廃校になります。
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明治6年創立だから142歳です。俺が通っていたころは全校生徒数は400人以上いました。今は76人です。1年生は7人しかいません。寂しいけど、これが現実です。どんどん小さくなる日本・・・


俺の実家に建つ樹齢250年(俺が子供のころ200歳以上と教えられた)のシダレザクラ
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変わってないのはこのシダレザクラと山々の景色かな。


毎月送られてくる俺の従兄が編集している会報「月刊敬道いとこ会」
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これは今年の1月の会報です。

俺の実家がチームを結成して「中之条まちなか5時間リレーマラソン」に参加して209チーム中59位になったというお知らせです。

中之条まちなか5時間リレーマラソン
http://www.town.nakanojo.gunma.jp/machi5/



編集人の従兄が言うには

「会報を送って返事が一度もないのは陽一だけだ!」

と言ってるそうです(-_-;)
2014/06/08

インドネシア秘境?パプア遠征その4

このレポートは昨年11月のパプア遠征その④です。今は自宅にいます。3日前にアメリカから帰国しました。


最終日はアユちゃんとドクちゃんと3人で釣り竿を持たずにカメラを持ってでかけました。
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切り立った岩。最近崩れたような形跡も。
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ベトナムのハロン湾に似てる。
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アユちゃんはニコン派です。最近は釣りよりもカメラが好き。いえいえ昔からあまり釣りは好きじゃないみたい(笑)
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海が長年かけて削った形跡。何百万年かな?
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まさにミニ・ハロン湾です。
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本物のハロン湾はこちら
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-entry-343.html


せっかくの秘境に来たのだから、こんなのんびりした時間もいいもんです。
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3時間ほど回ってマザーシップに戻った。
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これは釣りに行ったグループが撮影。無人島上陸?
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途中から大雨になったので無人島?に緊急避難。
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とっても楽しそうなドッジです。しかし足が短い(笑)
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そして楽しかった釣りも終わってカイマナの港へ戻ります。
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明日から仕事か・・・
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俺「ちゃんと働け」


この日が一番天気良かった。
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豪華な大型クルーザーでの船中泊より、こんな船での生活の方が楽しいのはなぜ?
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磯コジキの時代が長かったからかな?


カイマナが見えてきた。左はキリスト教の教会。右はイスラム教のモスク。
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インドネシアではときどきこの二つがケンカします。


港に戻ると子供たちが飛び込んで遊んでました。いろいろな島でよく見る光景です。
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お疲れ様。今回の参加者とスタッフです。
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ここで1泊。
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ディナーは野外レストランへ
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久しぶりの陸地に宴会も盛り上がった。
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いろんな焼き魚をいただきました。
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退役軍人に現地愛人?
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夜になると賑やかな通り。
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子供は笑顔が一番。
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登校かな。
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上流家庭のご子息かな。
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カイマナの歴史を伝えるモニュメントらしい。
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昔、こんな船で人間が遠くからやってきたそうです。
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そして西(スタートは台湾もしくはマレー半島からというのが近年の有力な説)から来た人々はさらに東へ渡って、多くの島に住み着きました。ポリネシア人のルーツです。
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ポリネシア人の誕生
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/special/050602/


教会
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モスク
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山羊?
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POLISIとは警察(POLICE)のことです。
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この人力車に乗って早朝の街を回りました。いくら払ったか覚えてません。
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パプア遠征終了。ちなみにGTは60匹以上釣れました。これは過去最低の釣果らしいです。いつも100匹以上釣れるそうです。

でも皆さん楽しかったそうです。

俺は咳がひどくて体長最悪でしたが(帰国後すぐに治りました)。

昔は歩くワクチンなんて言われて、どこに行っても、何を食べても平気でしたが、数年前から普通の体になったようです(笑)


終わり


2014/06/04

インドネシア秘境?パプア遠征その3

昨年11月のレポートです。もう半年以上も遅れちゃった(-_-;)

更新はテキサスのダラスでやってます。アリゲーターガー釣りました。小さいですが。この報告はいつになるやら・・・


インドネシア遠征のときはいつもお世話になっているヨンさんです。プロショップMのオーナーです。似たような名前の店が横浜にもありますが。
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これは船のスタッフが暇な時に釣った食用です。1日のうちほとんどが暇なようです。
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みんながボートで釣りに出かけているときに、俺がコーチしました。
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ほとんど初心者レベルのコーチでしたけど(-_-;)


釣っていただきました。「ありがとうございます」と感謝されちゃいました。
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アンソニーさんだったっけ?このツアーのボスです。なかなかのテクニシャンでしたよ。
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スロースタイルの釣りでイソマグロをキャッチ!お見事でした!
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船中泊なので24時間釣りができます。でも1時間もやればみんな飽きて寝てます(笑)
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これは水タンク。ここからバケツ1杯の水をいただいて体を洗います。
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これがエンジン。船の大きさに対してかなり小さい。
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そろそろ寝る時間です。
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翌日マザーシップは水を補給に出かけてました。
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小さなマグロがあちこちで跳ねてました。
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ドクちゃん&馬並艇が出動です。
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でも予想通り釣れませんでした(笑)


ヤシの木のぼりの達人登場
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同じ人類とは思えない早業でした。
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この方も同じ人類とは思えない。
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ニックネームは退役軍人だけど、元軍人ではありません。大きな電信電話会社OBです。


このとき66歳です。毎年40キロオーバーを釣ってます。今回も全員脱帽です。
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アユちゃん。この方はマイペース派です。釣れても釣れなくてもニコニコです。
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退役軍人に命令されて付いてきてます(笑)


馬並部長も大物キャッチ!
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お仕事は某省です。小物は釣るなと教えて上げました。


ドクちゃんは2年連続パプア挑戦です。最近ガラパゴスの海を潜ってきました。
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来年はいよいよノースのマグロに挑みます。


ドクちゃん、数は一番でした。
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ヨンさん、たまにしか釣りしないけど、簡単にすぐ釣ってました。
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インドネシアを代表するGTアングラーの1人です。
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いつも世話役です。いろいろとありがとう。
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川島君は俺のマッサージ担当です(^O^)
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インドネシアが大好きでサーフィン時代からもう20回以上来てます。
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大きなグルーパー(ヤイトハタかな)キャッチ!
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そして最終日に


ドッジが今回最大魚をキャッチ!
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実測44キロでした。

やっぱり年がら年中釣りばかりしてる奴は違いますね(笑)


さてパプアはあと1回。

そして

6月中にいっぱい更新する予定???