生クロマグロ水揚げ日本一の境港を訪れて
まき網といえば鳥取県の境港。
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境港は全国に13しかない特定第3種漁港に指定されている。
2010年(平成22年)7月1日現在、日本国内には2,914の漁港があり、そのうち「特三」は13港と、全体の0.45%を占めるに過ぎないが、漁獲高は全体の約30%を占める。
鳥取県の経済に大きく貢献している漁港なのである。
漁獲が多いということは、それだけ資源への影響も大きいということである。特にまき網漁業は一度に大量に漁獲できるので効率は良いが、船上での処理がほとんどできないため市場での単価は延縄や定置、一本釣りなどに比べて安い。また大量に水揚げするので値崩れすることも多い。クロマグロなどは一網で100トンも獲れてしまうことがある。これは日本全国の釣り人、遊漁が釣る総量の6倍以上にもなるのだ。それだけにしっかりと規制しないと日本の海はどんどん魚が減ってしまう。事実、まき網の漁獲が増えだした1970年ごろから、我が国の水産資源は急激に減少していった。
そんな境港の資源管理への取り組みをこの目で見るために7月3日に訪れた。
訪れるにあたり、ニッスイ本社とさくら総合法律事務所に協和水産株式会社、境港関係団体にアポと取材許可をお願いした。
境港関係者の返事は予想よりもずっと紳士的だった。すべてOKで、しかも境港水産振興協会の白須会長(共和水産社長、山陰巻き網漁業組合長)に応対していただけることになった。ニッスイ前で「産卵期のマグロを獲るな!」と大声で吠えたことがよかったのか?
まずは一番気になるクロマグロの卵である。100キロのマグロだと1000万個の卵を産むらしい。それを毎年産卵期に獲っているわけだが、その卵の総量は境港だけで10トンにもなるらしい。もちろん孵化はしない。
7月に入り、各まき網船団は競ってクロマグロを探した。これは6月の枠分を25日までに取りきり、新たな7月の枠をオリンピック方式で開始したからである。そのため1日は今年最高の漁獲を記録した。港には3船団(たいよう、源福、輪島)から合計270トンの速報が入った。境港での1日の処理能力(解体など)は80トン前後である。翌日の2日から5日まで4日間かけて処理することになった。当然単価は安くなる。
解体されたマグロが並ぶ。口と鰓が開いているのは解体処理のときになる。内臓などを抜くために大きく開くからである。
これは3日の昼頃。この日は最安値キロ200円だった。翌日のある船団は平均単価300円台だった。あまりにも安い。
サイズと単価からわかったことは大きくても小さくてもさほど単価は変わらない。単価は水揚げの量で決まる。多ければ安くなり、少なければ高くなる。これもオリンピック方式だから起こることだ。6月初めと7月初めは期間を決めてオリンピック(自由競争)で獲らせた。その結果、スタート直後に漁獲が集中した。オリンピック方式の期間が終わると個別割り当て(IQ方式)で獲らせた。個別に割り当てられたので各社慌てて獲る必要はなかった。その結果、各社サイズを慎重に選び、集中しないように獲った。その結果、安値が大幅に上がった。
4日には今年最大の300キロが並んでいた。内臓と鰓を抜いた重量なので、これに1.25をかけたのが正式な報告となる。なんと375キロだ。
県の水産試験場の係員が1匹1匹体長を測る。水揚げされたマグロはすぐに体長、重量を測り、本数とともに水産庁に報告される。
競りが始まった。専門用語が多く、我々にはまったくわからない。
競り落とされたマグロは次々と運ばれていく。
クロマグロを水揚げするときはあちこちに立ち入り禁止の看板が立つ。
翌4日は白須会長自ら案内していただいた。
これがまき網である。直径は250メートルくらいらしい。
立ち入り禁止の場所にも堂々と入れていただいた。
まき網でのマグロ漁、そして処理、冷却方法などを聞いた。やはり最後は網の中で暴れ、冷蔵室の中で苦しんで死んでいくらしい。
水揚げ後に解体される。そのため完全な血抜きは無理で体内にかなりの血が残る。それが血栓、色変わりの原因となる。またヤケも多く、鮮度の劣化も早い。
これが卵である。オスとメスの比率は7対3くらいでオスが多い。40キロ前後のメスだとだいたい卵を持っている。日本海では3歳で80パーセントが成熟すると言われている。
上が卵(卵巣)。下が白子(精巣)。9割がミールにして養殖の餌。1割が食品として販売してるらしい。捨ててはいないと断言していた。
これは5日の水揚げ。26キロから33キロの間だった。ほぼ初めての産卵である。一度も子供を産まないで安売りされる。
昼食はクロマグロを食べた。色も少し変わっているし、トロ部分もあっさりしすぎて味がない。おいしい時期(9月以降、3月まで)のマグロとはあまりにも違う。安いから売れはするのだが。
4日の10時からまき網関係者、境港関係者、水産試験場、水産事務所の方々などと意見交換をやった。
左は白須会長。右は同行の神田弁護士(さくら総合法律事務所代表)。
出席は約20名。真剣な話し合いができた。俺自身、知らないことが多く、大変勉強になった。
話し合いの一部。
俺「なぜ、昨年7月末に境港はのマグロの水揚げのページから突然船名を削除したのか」
まき網側「個人情報保護法にひっかかるので削除した」
俺「水産資源はまき網会社のものではない、国民の財産である。隠さず公開すべきだ」
産卵期のまき網について
まき網側「日本海は産卵期以外は獲れない。産卵後は高速で移動してしまい、まき網での漁獲は無理。」
俺「太平洋側は産卵後の個体を獲っている。地中海も産卵後にまき網で獲っている。」
マグロは減っているか?
まき網側「マグロはいっぱいいる」「温暖化で壱岐や対馬の周りに大きなマグロはいなくなっている」「新潟や山形なら海岸から20キロも行けばマグロがいっぱいいる」
俺「釣りをしていていっぱいいるという確認ができない」「日本海西部は乱獲で減ったのではないか」「八里はすでにマグロはほとんどいない。まき網船がつぶしたと聞いている」
付加価値を高めるために船上で血抜きをやったらどうか。
まき網側「まき網で獲った魚を船上で血抜き処理をするのは人員的に無理」
俺「船上でしっかり処理して、単価が3倍に上がれば漁獲は3分の1でいいのではないか。燃料代と時間が大幅に削減できるし、資源の回復も早くなるだろう」
※これに関しては研究をしているようです。
地中海などは必ずまき網船にオブザーバーが乗るが。
まき網側「オブザーバー監視は船員登録しなければ日本の法律では乗船できない」
俺「それはおかしい。それが事実なら法律を変えるべきだ」「来年は俺がまき網船に乗りたい」
まき網側「共和水産に入社してください」
俺「では来年2か月(6、7月)だけ入社します」
卵はどのくらいの量が抜かれて、どのように処理しているのか。
まき網側「7対3でオスのほうが多い」「メスの体重の2パーセントくらいが卵ではないか」「1割は加工して食品として販売。9割はミールにして養殖の餌」「捨ててはいない」
まき網側「釣り人もマグロは1匹1匹重さや体長を測って報告するなど、ちゃんと資源管理しているのか」
俺「北部九州遊漁船連絡協議会加盟の25隻は6月と7月の産卵期を自粛している。それに伴いかなりの釣り人が自粛している」「俺が代表を務めるSFPCのメンバーは2011年から、6、7月の産卵期は自粛している」「釣り人は年に15トンくらいしか獲らない」「まき網とくらべて人口が多すぎて個別に管理は無理」「基本的にはアメリカやニュージーランドのようにレギュレーションを国や県が取り入れるべきだ」「そのために厳しい罰則が釣り人にも必要」「飲酒運転は罰金を上げたら急激に減った。釣りも厳しい罰則を設けなければ、レギュレーションの効果は期待できない」
俺「まき網は兵器に例えれば大量殺人兵器。しっかり規制しないと水産資源はマグロに限らず多くの魚種で危機的になる」「まき網の漁獲が1970年以降に急激に増えた。それと反比例して水産資源は激減した」
まき網側「EEZによって世界中の漁場から締め出された」「そのため国内の魚を獲らなければ会社を維持できなかった」
まき網側「6月は太平洋側と日本海側で漁獲枠が決められ、日本海側は6月25日に枠に達してしまい、そのあとはマグロがいるのに休漁した。7月に残りの枠を獲るが、中旬までには枠に到達するだろう。」「現行の1800トンの規制を続けていけば資源は回復する」
親魚資源量の下方修正に関しては「水産庁は後追いだから」「調査しきれてない」
境港側「6月7月は夏枯れのときで、他に獲る魚がいない。他の魚も獲れなくなっていて、このままでは経営が厳しい」
俺「それは境港の都合だ。まき網がたくさん獲るから、離島や沿岸の漁師などが魚が獲れなくなり、どんどん廃業している」「俺は境港をつぶすとか、まき網をつぶすとか、そんなことは一度も言ったことがない」「資源を回復させることが最優先だ」「このままではまき網も境港も苦しくなる。」
まき網側「根こそぎ獲るという言葉には抵抗がある」「海に出ればわかるが、根こそぎ獲るなんて無理だ。」「網を10回入れても、8~9回は空で終わる」「群れを探すのに1週間かかることもある」
俺「大西洋は厳しい漁獲規制と、産卵期を禁漁にすることで一気に資源が回復した」「資源が増えれば無駄は減り効率の良い漁獲ができるはずだ。」
話し合いは2時間をオーバーした。未成魚(30キロ未満)の漁獲が少ない理由も聞いた。成魚を枠ギリギリ獲るために未成魚をあえて狙わないそうだ。混獲があるとすぐに成魚の枠をオーバーしてしまう。それを避けるために日本海は未成魚をほとんど狙ってないそうだ。昨年はまき網の未成魚枠2000トンに対して923トンしか漁獲がなかった。獲らなければ資源の回復は早くなる。
また白須会長は「海が大きく変わってきている」と言ってました。また中国がサバやサンマを大量に獲り始めたことに危機感を持ってました。餌のサバやサンマがいなくなればクロマグロにも影響が出てきます。それと増え続けるクロマグロの養殖も危惧してました。餌が自然界の魚(主にサバ)だからです。マグロを1キロ育てるのに15キロのサバが必要なのです。このまま養殖が増え続ければ自然界のサバがいなくなります。
会議室には卵や内臓の利用方法のパネルが置かれていた。これは4枚のパネルのうちの1枚。卵の利用方法である。
白洲会長「この卵巣をなんとか美味しく食べられる方法を考えてます」
俺「考えなくていいですよ。産卵期に獲らなければいいんです」
聞く耳を持つ白須会長、このときは苦笑いしてました。
境港は数年後に新しくなります。すでに工事は始まってました。
7月は水産業界の2大新聞の一つ「みなと新聞」にデモと境港の記事を寄稿した。
釣り人の声を水産関係者や漁業者に聞いていただきたいからである。
釣り人だけが動いても効果は少ない。広く知っていただくことが釣り人の地位向上にも繋がる。
向き合って話し合うことで大きく前進する。
値崩れ、売れ残りの記事。まったく資源の無駄使いである。
そして最後に乱獲の歴史を紹介する。俺は環境(温暖化など)が資源に影響していることは否定しないが、それに責任を擦り付けていたら未来永劫資源は回復しないと考えている。水産先進国のほとんどが漁獲を規制する、もしくは禁漁にしたことで多くの魚種で資源の回復に成功した。それは事実である。以下は明らかに乱獲と思われることばかりである。
マグロの釧路か釧路のマグロか
釧路でクロマグロの流し網漁が始まったのは1906年ごろである。その後、動力船化もあって、1920年代に最盛期を迎える。流し網漁船は250隻を超え、1929年にはなんと水揚げ11000トンを記録する。これは現在の日本のクロマグロ総水揚げの2倍近い量である。しかし乱獲で1930年ごろから次第に獲れなくなり衰退していった。代わってマイワシ漁が盛んになったが、それも数年で獲れなくなりマダラ、スケトウダラが増加した。ある魚種を獲りつくすと次の魚種、そしてそれも獲りつくすと次の魚種。そうやって釧路の漁業は衰退していった。
釧路魚河岸物語
http://www.kushiro-ct.ac.jp/keikan/history/uogasi.html
天売島漁師の話
かつては北海道の天売島沖でもたくさん大きなクロマグロが獲れた。昨年7月に天売島を訪れたとき、漁師の奈良さんから貴重なお話をたくさん聞かせていただいた。その中の一言「1990年ごろは大きなマグロがいっぱい釣れた。1日に250キロクラスを6匹釣ったことがある。1日の水揚げは600万円を超えた。それが1995年ころからパッタリと釣れなくなった。」
これは天売や焼尻の漁師が獲りすぎたという問題ではないだろう。カタクチイワシやイカナゴなどが減少したことが大きいかもしれない。クロマグロだけを守っても資源は増えない。同時にエサとなる魚の資源も考えなければならない。
温暖化で漁場が北に移っているというなら、釧路でも天売島でもたくさん魚が獲れてよいと思うのが、そのような話を聞かない。俺は温暖化なら漁期が早くなるのではと考える。事実、今年の南西諸島でのクロマグロの産卵は早かった。5月下旬までにほとんど産卵は終えていたらしい。その産卵後のマグロが東北の太平洋側に6月上旬から現れ、例年より早い時期から漁獲が始まった。水温が多少変化してもマグロの回遊コースはほとんど変わらない。移動が早くなるか遅くなるかだけと考えている。最近は日本海東側(新潟以東)がまき網の好漁場だが、これは数年前までは西側でしか獲ってなかっただけのこと。西側を獲りつくし、東側に新たな漁場を発見したことが好漁に繋がっている。これもこのまま獲り続ければ数年で獲れなくなるだろう。
ちなみに釧路沖の水温を調べてみたが、マグロがいっぱい獲れた1920年代は今よりかなり低水温であった。温暖化は関係ないようである。
http://www.data.jma.go.jp/kaiyou/data/shindan/a_1/japan_warm/cfig/warm_area.html?area=J#title
1965年以降の釧路の水揚げ。1920年代まではクロマグロが一番だった。そのあとマイワシ、スケトウダラ、そしてマイワシと獲り続け、ほとんどの魚が獲れなくなった。
かつて(1982年)の山陰沖も素晴らしいクロマグロの漁場だった。こんな狭い漁場、しかも3週間という短期間で1637トンも水揚げしたのだ。しかもアベレージサイズは121キロ。現在は40キロ前後だから約3倍の大きさである。現在ここでクロマグロはほとんど見られない。
1981年から1982にかけてクロマグロを大量に漁獲したまき網船の漁労長の話(朝日GLOBEより)
場所は壱岐と対馬の間。その後、壱岐の一本釣り漁師たちがクロマグロを釣るようになった海域だ。群れを巻き、うまく揚げることができた。100キロから300キロのクロマグロが660本。水揚げ1億円。
翌年から6、7月はクロマグロばかりを狙うようになる。
「マグロの群れを見つけるときは、まず鳥を探す。接近すると、ちょこっと分かるですもんね、マグロのひれがね。それを今度はソナー(魚群探知機)で捉えて、群れの動きを見て網を打ち回す。95%は獲れる」
ソナーでマグロの動きを見るが、動かない群れもあった。
「動かないのは産卵。それが一番獲りやすいんですよね。1800本巻いたときは産卵中だったと思う」
その1800本を巻いたのは84年の五島沖。100キロ級のマグロだった。続いて五島沖で200キロ級を400本、対馬海峡で100~300キロを700本獲る。獲りすぎで品質は落ちたが、それでも1キロ1千円になった。合計水揚げ額、実に3億数千万円。
詳細はここを見てください。
第2弾!産卵期のマグロを守れ!
http://uminchumogi.blog111.fc2.com/blog-entry-430.html
この五島や対馬、壱岐近海もクロマグロの漁獲は激減した。壱岐は2005年は352トンの水揚げがあったが、2014年には23トンに激減した。2015年からは6月7月の成魚(30キロ以上)を向こう3年間禁漁と決めている。五島近海で大型魚の漁獲は全く聞かなくなった。
かつて生クロマグロ水揚げ日本一は宮城県の塩釜港だった。1990年代は毎年4000トン前後の水揚げがあったが、2000年代に入って次第に獲れなくなり、2008年は0トンとなった。比較的水温が低いときに獲れて、温暖化に伴い漁獲が減っていったのである。
ところがしばらく獲らなかったことと、福島原発の事故以降に餌となるマサバが急激に増えたことなどにより昨年からクロマグロの漁獲が増え始めている。これも獲らなかったことで資源が回復したという実例。しかし、再び乱獲すれば元に戻ってしまうことは歴史が証明している。
三陸沖の水温
http://www.data.jma.go.jp/kaiyou/data/shindan/a_1/japan_warm/cfig/warm_area.html?area=K#title
昭和31年から35年まで遠洋延縄船の乗組員だった人の話。
※レッコとは海に捨てること。レッツゴーの略。
「キハダ、トンボ、カジキ、メカ、後はレッコ。通信士は、無線で連絡すると、他の船もキハダは毎日150トンレッコ。カジキと同じぐらいのサワラがいたが全部レッコ。
水揚げは、1日300トンではきかない。大西洋の延縄は魚が食い過ぎるから、浮き球を二つにした。縄が重すぎて、500Wのドラムがうなる。今朝打った縄を上げるのに、翌日の朝の10時までかかる。魚が食っているから、水揚げに時間がかかる。その後は次の日の朝まで、一日休み。乗組員は縄を打つ量を半分にしたいと思う。船頭は、量がないと一航海で首だから、出来るだけとろうとする。一番の船は三浦三崎。
大西洋は5年で魚がいなくなったので、カリブ海にいったらマグロがいなかったから、芭蕉カジキを捕った。車エビを食べているから、旨い。」
こんなことをやっていたら大西洋から締め出されても仕方ないだろう。今の中国よりひどい。
最後にこの図をしっかりと見ていただきたい。水産庁の資源管理が、いかに自画自賛なのか、よくわかると思います。水産業の未来予測はほぼ日本の一人負けなのです。
境港を訪れて強く感じたことは、資源管理は国がしっかりやることなんだと。漁業者に任せたのではほとんど効果がない。それは釣りも同じ。一部の人が個人的に規制を設けても、他の多くの人が根こそぎ釣るようなことをしていたらほとんど効果はない。
資源の減少の責任は一番に水産庁にある。
天下りの言いなりになっている限り、我が国の水産業の未来はない。
大手水産会社もCSRをもっと強化すべきだ。今のままではランキング下位から抜け出せないだろう。
そして政治家はもっと現状を知り、負の連鎖を断ち切るために動くべきだ。「我が国の水産業を取り巻く環境は厳しく・・・」なんて同じ言葉を40年以上も前から農林水産大臣は就任のあいさつに使っているらしい。なんとも進歩のない話である。