トルコ一人旅・その3

早くもトルコ最終日が来た。言葉通じないけど、毎日がほんとに楽しい。
さて今日はレンタカーで黒海へ釣りである。
朝7時にレンタカー屋に到着
スタッフA「まあ、お茶でも」
俺「腹も減ってるんだ」(朝飯食わずに来たから)
紅茶とパンが出た。

お互いが苦手な英語で話し続けた。
スタッフBが真剣にパソコンを見ている。

何じゃこれ!

アルファベットで「Nyotaimori」

次にスタッフCがほざいた。
スタッフC「俺の叔父さんはボスポラスで一番の漁師さ」
そして叔父さんが新聞に載った自慢の写真を見せてくれた。
2メートルもないサメだった。
続いて俺のホームページを見せてやった。

全員しばらく無言だった。
俺が黒海に行く道を知りたいので地図を貸してくれと言うと、
めっちゃアバウトな地図をくれた。
都内の一般道を首都高しか載ってない地図で走るようなもんである。
俺「えっ、もっと詳細な地図ないの?」
スタッフA、B、C「ない!」
でも小さなカーナビ貸してくれた。
行き先と帰りをセットしてもらって出発。
まず空港周囲の道が新しくなっているので、空港を3周した(爆)
しばらく走ると高速道路になった。
料金所があるけど、全部無人機なので無視して通過(爆)

1時間ほど走る。
出口に来た。さすがに金払わないと逮捕され鞭打ちの刑かも・・・
右側にいたオジサンに
俺「レンタカーなんだよ。金払い方がわからねんだよ」(全部日本語)
オジサンが指で指示した。
「そのまま出ろ」と言ってると解釈。
高速代が無料になった(^^)
しかし抜ける直前に青ランプがオレンジになって警報機がけたたましく鳴った(^^;
さらに1時間ほど走ると沼地に出た。小さな貸しボートらしいのが3艇あった。
少年に5TL(300円)渡して沼で釣り開始。

あっちゃこっちゃ漕いで回ってくれたけど
小さなワームに引っかかった1匹で終わった。

さらに黒海へ向けて10分ほど走ると本格的な釣り人を発見。
タックルボックスを覗くと
ルアーがいっぱいである。

しかしとってもくつろいでいた。ロッドは立てたままで一度も投げることも触ることもなかった。

ヒマワリの種をご馳走になり、しばらく釣り談義となった。
「今日はお腹がいっぱいなので釣れないのさ」
どこの国も言うことは同じなんだ(^^)
トコトコと、どこからともなく親子が近づいてきた。
デブ親父が俺のタックルに興味ありありだった。

その後10分くらいキャストを繰り返していた。軽くてよく飛ぶと感心していた。
最後に「何で日本人なのにロッドはガルシアなんだ?」と聞かれた。
理由は九州の某釣具屋親父しか知らないのだ・・・
さらに20分ほど走って黒海に面した小さな町「Yalikoy」に着いた。

とうとう黒海に来た。

水は透明度が高くてきれいだった。

しかし釣り人も魚も発見できなかった。
後から調べてわかったことだが、1990年代に漁業資源はほとんど壊滅したそうだ。
あるサイトから抜粋。
「かって漁業資源の宝庫で風光明美な海であった黒海は1990年には深刻な環境問題に直面していた。
それに先立つ30年の間に、環境、水質、漁業資源等の総てが劣化してしまった。漁業資源はほとんど壊滅し、黒海は汚染物資のゴミ捨て場になってしまった。
黒海周辺の17カ国すべてが汚染に関係あるが、その影響を最も受けたのがブルガリア、ジョージア、ルーマニア、ロシア、トルコ、ウクライナの沿岸6カ国である。
1992年に黒海の重要性、汚染の深刻化に直面した6カ国は、汚染から黒海を守るブカレスト会議を開き、黒海汚染防止議定書に署名した。そしてその実施機関として黒海を汚染から守る委員会が設置されたが(1996年)未だ一部の国が拠出金を支払っていないため、その活動は遅れている。」
http://www.todayszaman.com/news-224535-black-sea-contamination-still-at-alarming-levels.html
でも海はきれいだった。いつか魚が増えて昔の黒海に戻ってくれるかもしれない。
Yalikoyは黒海が豊かな頃は繁栄していたことを感じさせる街並みだった。
今はビーチに面したレストランはほとんど閉店していて廃墟といってもいいような風景になっている。
町の中心部に小さな食堂を発見して入った。

ハムを挟んでパンを軽く焼いた料理が出た。
それとコーラを3缶買った。8TL(約500円)だった。
お金を払って出ようとすると店の主人が止めた。
向かいの店に紅茶を頼んだから飲んでいきなさいと・・・
いい親父だった。

先ほどヒマワリの種をご馳走になった二人組にコーラをお返しと思って戻ったが、すでに帰ったあとだった。
黒海での釣りを諦めて、反対側(地中海側)のマルマラ海へ向かった。
道路にはいろんな者が現れる。どれも共通しているのはどいてくれないことだ。まあ、のんびり走れと言う事だろう。


2時間ほど走ってマルマラ海に出た。
いつのまにかカーナビも使えるようになっていた。
ここは夕日が見えるので人気のあるレストランだそうだ。

うん小魚はいっぱいいる。

釣り人もいた。

しかし、すぐに宴会となった。
大きなビンに入ったジュース?を出された。
俺「○○中だから」
親父A「○杯くらい平気さ」

親父A「あとで写真を俺の住所に送ってくれるか」
俺「メールで送るよ。メールアドレス教えて」
親父が教えてくれたのは手書きの自宅住所だった。トルコ文字なのでチンプンカンプンである。

親父B「もう釣れないから落ち着いて○めよ」

さらに親父が増えて4人になっていた。
辺りは完全にナイトである。

空港に着いたのは夜の8時を過ぎていた。

あっという間の一人旅だったが、ほんとに楽しく、そしてトルコの人々の親切に会えて嬉しかった。
また行きたいな・・・
さて親父への手紙だが、この住所に送るのである。

そのままコピーして封筒に貼り付けて出したが、届くだろうか?