大分観光とグルメ②
臼杵ふぐ!
激美味!!!
大分からいったん博多に戻り、後半組を出迎えて再び大分へ
今度こそ臼杵ふぐを食べるぞ
(釣りのこと全然考えてません)
耶馬溪から中津へ抜けるルートをカーナビにお任せしたら、やたらと細い道路で対向車が来ない。
この道で中津に抜けられるのかなと全員心配になってきた。
そこで出会ったのが抜け穴・・・
じゃなかった洞窟
なんと後藤又兵衛が隠れていた洞窟だそうだ。

ちなみに近くに後藤又兵衛の墓もありました。
後藤又兵衛って、確か大坂夏の陣で討ち死にしたはず・・・
ところが、生きていて中津に戻ってきたんだそうな。
話せば長くなるので、続きはここを
http://www.city-nakatsu.jp/docs/2011082900858/
耶馬溪は紅葉のシーズンに再び来たいね。

今回は半月遅かったです。
そして路上に温泉の看板を発見

まだ営業しているのか?
とっても不安だけど、行ってみることに。
狭い道路を6キロも走った。
着いた。
まだ営業してました。しかもなかなかの温泉です。

露天もあった。

地鶏料理も美味かった。

合格です!
とろろ乃湯
http://mitene.x0.com/tororo-no-yu/
青の洞門

今から約250年前にノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたんだそうな。
禅海和尚です。不屈の精神に勇気をいただきました。

耶馬溪橋

日本最長の石造アーチ橋。大正12年に竣工。
中津に入った。
中津城。

豊臣秀吉の側近、黒田孝高が築いた。
そしてすぐ近くの福沢諭吉記念館へ
土蔵の2階が諭吉の勉強部屋だった。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
諭吉に大きな影響を与えたのはお母さんでした。
お父さんは諭吉が1歳6か月の時に亡くなった。
そしていよいよフグです。
ここでの予約はすべて大分在住のゴリにお願いしました。
大分市内の「味ふく」へ

臼杵ふぐの天然物です。
ふぐ刺身

ふぐの肝

白子焼き

ふぐちり

他に皮和え、唐揚げ、ふぐ寿司(2個)、雑炊、デザート
美味しさに全員感激してました。
味ふく
http://websp01.com/ajifuku/
翌日は高崎山へ。すぐそばには水族館「うみたなご」もあります。
元気なやつは徒歩で登り、元気ない奴はこれに乗りました。

俺は当然これに乗りました(^^;;;
すげえポーズだ。

全部で1300匹以上いるそうです。

サルの世界はボス猿がハーレムと思っていた。
ところが全然違うんだね。
ボス猿というのは存在しない。
サル学の現在
http://www008.upp.so-net.ne.jp/pulse/sarugaku.html
C群には800匹も猿がいるのに、大人のオスは10匹くらいしかいない。発情期になるとオスもメスも顔やお尻が赤くなる。オスは相手してくれるメスを探し回ってます。
オスの世界には序列があって、群れに古くからいる順番が序列です。たとえケンカが強くて大きな猿でも序列は守らないといけない。ナンバー5の猿の前に餌を投げても、すぐそばにナンバー3の猿がいれば、餌に手を付けないです。3の猿が横取りしていきます。
でも3のオスがメスを横取りすることはできません。選ぶ権利はメスにあります。メスが5を気に入れば、それで決まりです。群れで生まれたオス猿は持てません。別の群れから入ってきたオスは持てます。これは本能的に近親相姦を避けているらしいです。
オス猿がしつこくメス猿を追いかけまわすと、婦人会が出動します。何十匹というメスがオスに襲いかかります。オスはひとたまりもなく逃げ出します。ここではメスのほうが強いのです。オスはどんなに強くても10倍以上もいるメスには勝てません。
メスがオスを選ぶのです。
そしてオスが少ない理由は生存率です。ほとんどのオスは大きくなると群れから離れます。別の群れを探すのだけど、多くは途中で死んでしまいます。事故、餓死、いろいろあるようです。
日本猿の生態、かなり勉強になったよ。
俺の身近にもそっくりな人がいます(^^)

次はちょっと移動して滝廉太郎の「荒城の月」のモデルと言われる岡城へ
岡城下にあるレストランで大分名物のだんご汁を

だんごでもうどんでもなくて、すいとんのような味でした。

岡城

石垣はかなり立派でした。荒城の月のモデルだから、荒れ果てたままにしておくのかも。
伝承では、文治元年(1185年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが初めであるという。
そして明日は出船という連絡を受けて、阿蘇回りで唐津へ
山頂の「お願い地蔵さん」に「明日は釣りさせてください」とお願いした(笑)

夕方7時過ぎに唐津に到着
予算オーバーの翌日は「牧のうどん」です。

430円也
次は久しぶりの釣りレポートです。

大分からいったん博多に戻り、後半組を出迎えて再び大分へ
今度こそ臼杵ふぐを食べるぞ
(釣りのこと全然考えてません)
耶馬溪から中津へ抜けるルートをカーナビにお任せしたら、やたらと細い道路で対向車が来ない。
この道で中津に抜けられるのかなと全員心配になってきた。
そこで出会ったのが抜け穴・・・
じゃなかった洞窟
なんと後藤又兵衛が隠れていた洞窟だそうだ。

ちなみに近くに後藤又兵衛の墓もありました。
後藤又兵衛って、確か大坂夏の陣で討ち死にしたはず・・・
ところが、生きていて中津に戻ってきたんだそうな。
話せば長くなるので、続きはここを
http://www.city-nakatsu.jp/docs/2011082900858/
耶馬溪は紅葉のシーズンに再び来たいね。

今回は半月遅かったです。
そして路上に温泉の看板を発見

まだ営業しているのか?
とっても不安だけど、行ってみることに。
狭い道路を6キロも走った。
着いた。
まだ営業してました。しかもなかなかの温泉です。

露天もあった。

地鶏料理も美味かった。

合格です!
とろろ乃湯
http://mitene.x0.com/tororo-no-yu/
青の洞門

今から約250年前にノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたんだそうな。
禅海和尚です。不屈の精神に勇気をいただきました。

耶馬溪橋

日本最長の石造アーチ橋。大正12年に竣工。
中津に入った。
中津城。

豊臣秀吉の側近、黒田孝高が築いた。
そしてすぐ近くの福沢諭吉記念館へ
土蔵の2階が諭吉の勉強部屋だった。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
諭吉に大きな影響を与えたのはお母さんでした。

そしていよいよフグです。
ここでの予約はすべて大分在住のゴリにお願いしました。
大分市内の「味ふく」へ

臼杵ふぐの天然物です。
ふぐ刺身

ふぐの肝

白子焼き

ふぐちり

他に皮和え、唐揚げ、ふぐ寿司(2個)、雑炊、デザート
美味しさに全員感激してました。
味ふく
http://websp01.com/ajifuku/
翌日は高崎山へ。すぐそばには水族館「うみたなご」もあります。
元気なやつは徒歩で登り、元気ない奴はこれに乗りました。

俺は当然これに乗りました(^^;;;
すげえポーズだ。

全部で1300匹以上いるそうです。

サルの世界はボス猿がハーレムと思っていた。
ところが全然違うんだね。
ボス猿というのは存在しない。
サル学の現在
http://www008.upp.so-net.ne.jp/pulse/sarugaku.html
C群には800匹も猿がいるのに、大人のオスは10匹くらいしかいない。発情期になるとオスもメスも顔やお尻が赤くなる。オスは相手してくれるメスを探し回ってます。
オスの世界には序列があって、群れに古くからいる順番が序列です。たとえケンカが強くて大きな猿でも序列は守らないといけない。ナンバー5の猿の前に餌を投げても、すぐそばにナンバー3の猿がいれば、餌に手を付けないです。3の猿が横取りしていきます。
でも3のオスがメスを横取りすることはできません。選ぶ権利はメスにあります。メスが5を気に入れば、それで決まりです。群れで生まれたオス猿は持てません。別の群れから入ってきたオスは持てます。これは本能的に近親相姦を避けているらしいです。
オス猿がしつこくメス猿を追いかけまわすと、婦人会が出動します。何十匹というメスがオスに襲いかかります。オスはひとたまりもなく逃げ出します。ここではメスのほうが強いのです。オスはどんなに強くても10倍以上もいるメスには勝てません。
メスがオスを選ぶのです。
そしてオスが少ない理由は生存率です。ほとんどのオスは大きくなると群れから離れます。別の群れを探すのだけど、多くは途中で死んでしまいます。事故、餓死、いろいろあるようです。
日本猿の生態、かなり勉強になったよ。
俺の身近にもそっくりな人がいます(^^)

次はちょっと移動して滝廉太郎の「荒城の月」のモデルと言われる岡城へ
岡城下にあるレストランで大分名物のだんご汁を

だんごでもうどんでもなくて、すいとんのような味でした。

岡城

石垣はかなり立派でした。荒城の月のモデルだから、荒れ果てたままにしておくのかも。
伝承では、文治元年(1185年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが初めであるという。
そして明日は出船という連絡を受けて、阿蘇回りで唐津へ
山頂の「お願い地蔵さん」に「明日は釣りさせてください」とお願いした(笑)

夕方7時過ぎに唐津に到着
予算オーバーの翌日は「牧のうどん」です。

430円也
次は久しぶりの釣りレポートです。