寒ブリ狙いの玄海灘その1
玄海灘活性高し(サンライズ田代船長撮影)

八丸組が帰ってサンライズ組が来るまで2日あるので足腰の鍛錬に山寺(神社含む)、山城登りをすることにした。
昨夜、熊爺から勧められた宝珠山へ向かった。
カーナビにセットして出かけたのだが大宰府からはかなり離れている。昨夜熊爺は大宰府のちょっと先と言ってたような?
そこは大分県との県境だった。
こんな橋をいくつも見ながら目的地へ

宝珠山の麓に到着。
雪が積もっていた。
かなりの急な坂道だけど、一気に突進する。
ツルツルツル
雪でタイヤが空回りした。
そして滑りながら車はズルズルと後退。ハンドルはぜんぜん言うことを聞かない。
あと20センチで側溝に落ちるところだった(大汗)
これがスリップした跡です。

通りかかった地元の人に押していただき、さらにチェーンを付けて脱出成功。
ありがとうございました。

そして遠回りをして岩屋神社の入口に到着。看板を見ると山全体が神社です。かなりの運動になりそうです。しかも雪が積もってるし(汗)。

トレッキングスタイルで入口から入る。

小さな洞門をくぐり抜けます。この辺りは修験者の修業の場。この洞門も修験者が一人で掘ったとか。

石段の両側にはたくさんのお地蔵さんが。

岩屋神社の本殿です。
(昭和63年国指定重要文化財)

本殿の真上には大きなスズメバチの巣があった。

これは針の耳。親不孝者が通ると上から石が落ちてくるんだとか。

親不孝者の俺が通ったけど落ちてこなかった。お腹がギリギリでしたけど(^^;;;
さらに急な坂道を上ると断崖に小さな神社が見えた。

熊野神社(国指定重要文化財)
こんなところに神社を建てるなんて、昔の人は凄いね。
さらに先はあるんだけど。

雪が深いのでやめました。というのは言い訳です。日ごろの運動不足でくたばりました。
帰り際に水城を見学。

日本書紀にはこのように書かれているそうだ。
当時称制を執っていた中大兄皇子は、唐・新羅が博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、万一の場合に備えて翌664年に水城を築かせた。
663年に日本は百済と連合軍を組んで朝鮮半島の白村江で大敗している。そのときの敵だった唐・新羅の連合軍がよほど強かったらしく、その恐怖と侵攻に備えて665年には九州、長門方面にいくつもの山城を作っている。俺が2年前に登った対馬の金田城もそのころ作られた。
水城から博多に向かう途中、熊爺に電話をする。
俺「登ってきたよ」
熊爺「宝満山はきれいだったでしょ」
えっ、俺が登ったのは宝珠山なんだけど(爆)
夕方、空港で後半組を出迎えて、またまたいつものもつ鍋屋へ

娘が生まれたばかりのアブデルです。

冬のお勧めはサバです。

2か月の間に5回も食べたもつ鍋。このときは見るだけでゲップが。

でも2か月経ったらまた食べたくなった。
そして翌朝はサンライズ
おっ、エアーマットが

でもすでにパンクしていてただのマットだった。
武蔵艇にはペンペンとゴリが乗ってた。二人でチャーターだそうだ。

何かが食いついた。

イカでした。

アブデル

中村プロ

水面にサンマが跳ね、それを海鳥が狙う。

おっ!

仲間の鳥に横取り(横鳥か)されないように一瞬で飲み込む。3~5秒くらい。

トリプルヒット!

2匹まとめてランディング

丸々としたワラサが3匹

ワラサ3兄弟でっか。

その2へ

八丸組が帰ってサンライズ組が来るまで2日あるので足腰の鍛錬に山寺(神社含む)、山城登りをすることにした。
昨夜、熊爺から勧められた宝珠山へ向かった。
カーナビにセットして出かけたのだが大宰府からはかなり離れている。昨夜熊爺は大宰府のちょっと先と言ってたような?
そこは大分県との県境だった。
こんな橋をいくつも見ながら目的地へ

宝珠山の麓に到着。
雪が積もっていた。
かなりの急な坂道だけど、一気に突進する。
ツルツルツル
雪でタイヤが空回りした。
そして滑りながら車はズルズルと後退。ハンドルはぜんぜん言うことを聞かない。
あと20センチで側溝に落ちるところだった(大汗)
これがスリップした跡です。

通りかかった地元の人に押していただき、さらにチェーンを付けて脱出成功。
ありがとうございました。

そして遠回りをして岩屋神社の入口に到着。看板を見ると山全体が神社です。かなりの運動になりそうです。しかも雪が積もってるし(汗)。

トレッキングスタイルで入口から入る。

小さな洞門をくぐり抜けます。この辺りは修験者の修業の場。この洞門も修験者が一人で掘ったとか。

石段の両側にはたくさんのお地蔵さんが。

岩屋神社の本殿です。
(昭和63年国指定重要文化財)

本殿の真上には大きなスズメバチの巣があった。

これは針の耳。親不孝者が通ると上から石が落ちてくるんだとか。

親不孝者の俺が通ったけど落ちてこなかった。お腹がギリギリでしたけど(^^;;;
さらに急な坂道を上ると断崖に小さな神社が見えた。

熊野神社(国指定重要文化財)
こんなところに神社を建てるなんて、昔の人は凄いね。
さらに先はあるんだけど。

雪が深いのでやめました。というのは言い訳です。日ごろの運動不足でくたばりました。
帰り際に水城を見学。

日本書紀にはこのように書かれているそうだ。
当時称制を執っていた中大兄皇子は、唐・新羅が博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、万一の場合に備えて翌664年に水城を築かせた。
663年に日本は百済と連合軍を組んで朝鮮半島の白村江で大敗している。そのときの敵だった唐・新羅の連合軍がよほど強かったらしく、その恐怖と侵攻に備えて665年には九州、長門方面にいくつもの山城を作っている。俺が2年前に登った対馬の金田城もそのころ作られた。
水城から博多に向かう途中、熊爺に電話をする。
俺「登ってきたよ」
熊爺「宝満山はきれいだったでしょ」
えっ、俺が登ったのは宝珠山なんだけど(爆)
夕方、空港で後半組を出迎えて、またまたいつものもつ鍋屋へ

娘が生まれたばかりのアブデルです。

冬のお勧めはサバです。

2か月の間に5回も食べたもつ鍋。このときは見るだけでゲップが。

でも2か月経ったらまた食べたくなった。
そして翌朝はサンライズ
おっ、エアーマットが

でもすでにパンクしていてただのマットだった。
武蔵艇にはペンペンとゴリが乗ってた。二人でチャーターだそうだ。

何かが食いついた。

イカでした。

アブデル

中村プロ

水面にサンマが跳ね、それを海鳥が狙う。

おっ!

仲間の鳥に横取り(横鳥か)されないように一瞬で飲み込む。3~5秒くらい。

トリプルヒット!

2匹まとめてランディング

丸々としたワラサが3匹

ワラサ3兄弟でっか。

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