ビチレブ島南部を散策・前編
ビチレブ島南部の海岸線は見どころが多い。

前半組が帰って後半組が来るまで中2日あるので一人で南部を観光した。
17回も来ているのに観光らしい観光は一度もやったことがない。フィジーの首都であるスバも一度も訪れてない。
一週間前までは連日大雨だったようだが、ここ数日は天気予報も晴れマーク。いい写真が撮れそうだ。
前半組をナンディ空港に送ったあと南部へと車を走らせた。
1時間ほど走ってシンガトカ砂丘国立公園に到着。まだ開場前で中に入ることができない。30分ほど待って入場。

入場すると簡単なレクチャーがあるが俺には何を言っているのかまるっきりわからない。
シンガトカ砂丘国立公園
南太平洋で最大級とも言われるシンガトカ砂丘は、フィジーのナショナル・トラストにより保護・管理されています。園内の案内所では、古代の集落や環境についての情報が公開されています。
この砂丘から2000年前の人骨も発見されている。
シンガトカ川の河口に約3,500年前に流れ着いたラピタ人が住みついたのが始まりとされている。このラピタ人はパプアニューギニア→ソロモン諸島→バヌアツから来た、とも言われ、ポリネシア人の祖先と言われている。
入ってもまなくマングース発見。

マングースはビチレブ島のあちこちで見かける。もともとはいなかったのだが、イギリスの植民地時代にサトウキビ栽培が始まると毒蛇から農夫を守るために移入された。今ではフィジーの人口の約半分を占めるインド人も、このころサトウキビプランテーションの労働者として大量にインドから移住させられた。このマングースの移植で多くのフィジー固有の動物が絶滅した。
鳥取砂丘のような景色を期待したのだが
こんなルートを歩いていくと

こんな砂浜に出た。

砂丘を見るというより、フィジーに一番昔から人が住み着いた場所という観点で見たほうがよさそうだね。
シンガトカ川。鉄道橋が壊れたままだった。

列車。シンガトカから西側へはまだ運航している。

シンガトカ河口から4キロほど上ったところにあるタブニ砦を目指して走っていると地元の人に手を上げられたので乗せてあげた。

2キロくらい走って降ろしたけど、こんな重いものを持って歩いているフィジーのお母さんは凄いね。基本的に南国の女性は良く働きます。逆に男性は働きません(それがサトウキビプランテーションでインド人を移植させることに繋がった)。
タブニ砦の入り口にあるオフィス。ここで入場料20ドルを50ドル札で払うがおつりがない。

タブニ砦の地図

ここに砦を築いて住み着いた人たちは18世紀の中ごろトンガから来たそうだ。

フィジーには昔人食いの習慣があった。

英雄と言われる人の家の玄関には食べた人間の頭がい骨がいっぱい飾られていたらしい。
有名なお話だが
ある牧師さんが布教で人食いの村を訪ねたとき
牧師「人を食べることはよくないことですよ」
現地人「あなたたちも食べもしないのに人を殺すのはよくないよ」
砦は小高い丘の上にあり、あたりを一望できる。

ガイドさんのお話では、ここで人を殺したらしい。

こんなふうに人を置いて、頭を切り落として食糧にしたそうだ。

高いところに偉い人(チーフ)が住んでいた。
ここは一番高いところで見張り台があったらしい。

見下ろすとシンガトカ川で漁をする人たちが見えた。捕っているのはカラス貝にそっくりな貝で地元では「カイ」と呼んでます。これは市場に行くと大量に見られる。

結局おつりはガイドさんにチップとしてあげた。どうにもならないので(笑)
南の島ではどこでも見られる火炎樹(英名フレームツリー、フランス名フランボヤン)マダガスカルが原産だとか。よくこれだけ世界中へ移植したもんだ。

そして冒頭の写真。シンガトカからパシフィックハーベーへ行く途中で見た。まだ出来立てのホヤホヤ。

先端に行くと親父が大いびきで寝てた。

日本人が大好きだとか。「チャイニーズとコリアンは嫌いだよ」と言ってました。

たぶん中国人が来たら「ジャパニーズは嫌いだよ」と言ってる?
結婚式場です。白がきれいなんで立ち寄りました。

入口にゲートがあって閉まってたけど、外から撮っていたら開けてくれた。

ヴィナカ♪
そしてパシフィックハーバーに到着。

目の前に見えるのは火渡りの儀式で有名なベンガ島です。
ガイドブックに載っていた日本人経営の「クラブ・コーラルコースト」にチェックイン。この宿は日本人だと割引があります。

全長20メートルのプールもあります。

フィジーには直線の長いプールはないので、水泳の強化選手がたまにきてここで練習しているそうです。
佐久川さんは沖縄でリタイヤ(定年)したあと2年半前からここに住んでます。物価が安くて暖かくてのんびり暮らすには最高だそうです。

フィジーの人たちはのんきで沖縄の昔とよく似ていると言ってました。
俺が泊まった部屋です。天井が高くロフトがあってベットは4つもありました。

オーナーの長谷川さんです。

ご主人の長谷川高彦氏(フィジー柔道協会会長)はフィジーに道場を建て、柔道を広めるために多大なる貢献をした人です。シドニーオリンピックにはコーチとして、アテネオリンピックには監督として参加。5年前に亡くなりました。
長谷川さんが出してくれたフルーツ「ソーサップ」

甘酸っぱく、口の中でふんわりと広がる味は格別でした。
これはソーサップとマンゴの手作りジャム。これも格別の美味しさでした。

長谷川さんにはフィジーのことをたくさん話していただき大変勉強になりました。
その2へ

前半組が帰って後半組が来るまで中2日あるので一人で南部を観光した。
17回も来ているのに観光らしい観光は一度もやったことがない。フィジーの首都であるスバも一度も訪れてない。
一週間前までは連日大雨だったようだが、ここ数日は天気予報も晴れマーク。いい写真が撮れそうだ。
前半組をナンディ空港に送ったあと南部へと車を走らせた。
1時間ほど走ってシンガトカ砂丘国立公園に到着。まだ開場前で中に入ることができない。30分ほど待って入場。

入場すると簡単なレクチャーがあるが俺には何を言っているのかまるっきりわからない。
シンガトカ砂丘国立公園
南太平洋で最大級とも言われるシンガトカ砂丘は、フィジーのナショナル・トラストにより保護・管理されています。園内の案内所では、古代の集落や環境についての情報が公開されています。
この砂丘から2000年前の人骨も発見されている。
シンガトカ川の河口に約3,500年前に流れ着いたラピタ人が住みついたのが始まりとされている。このラピタ人はパプアニューギニア→ソロモン諸島→バヌアツから来た、とも言われ、ポリネシア人の祖先と言われている。
入ってもまなくマングース発見。

マングースはビチレブ島のあちこちで見かける。もともとはいなかったのだが、イギリスの植民地時代にサトウキビ栽培が始まると毒蛇から農夫を守るために移入された。今ではフィジーの人口の約半分を占めるインド人も、このころサトウキビプランテーションの労働者として大量にインドから移住させられた。このマングースの移植で多くのフィジー固有の動物が絶滅した。
鳥取砂丘のような景色を期待したのだが
こんなルートを歩いていくと

こんな砂浜に出た。

砂丘を見るというより、フィジーに一番昔から人が住み着いた場所という観点で見たほうがよさそうだね。
シンガトカ川。鉄道橋が壊れたままだった。

列車。シンガトカから西側へはまだ運航している。

シンガトカ河口から4キロほど上ったところにあるタブニ砦を目指して走っていると地元の人に手を上げられたので乗せてあげた。

2キロくらい走って降ろしたけど、こんな重いものを持って歩いているフィジーのお母さんは凄いね。基本的に南国の女性は良く働きます。逆に男性は働きません(それがサトウキビプランテーションでインド人を移植させることに繋がった)。
タブニ砦の入り口にあるオフィス。ここで入場料20ドルを50ドル札で払うがおつりがない。

タブニ砦の地図

ここに砦を築いて住み着いた人たちは18世紀の中ごろトンガから来たそうだ。

フィジーには昔人食いの習慣があった。

英雄と言われる人の家の玄関には食べた人間の頭がい骨がいっぱい飾られていたらしい。
有名なお話だが
ある牧師さんが布教で人食いの村を訪ねたとき
牧師「人を食べることはよくないことですよ」
現地人「あなたたちも食べもしないのに人を殺すのはよくないよ」
砦は小高い丘の上にあり、あたりを一望できる。

ガイドさんのお話では、ここで人を殺したらしい。

こんなふうに人を置いて、頭を切り落として食糧にしたそうだ。

高いところに偉い人(チーフ)が住んでいた。
ここは一番高いところで見張り台があったらしい。

見下ろすとシンガトカ川で漁をする人たちが見えた。捕っているのはカラス貝にそっくりな貝で地元では「カイ」と呼んでます。これは市場に行くと大量に見られる。

結局おつりはガイドさんにチップとしてあげた。どうにもならないので(笑)
南の島ではどこでも見られる火炎樹(英名フレームツリー、フランス名フランボヤン)マダガスカルが原産だとか。よくこれだけ世界中へ移植したもんだ。

そして冒頭の写真。シンガトカからパシフィックハーベーへ行く途中で見た。まだ出来立てのホヤホヤ。

先端に行くと親父が大いびきで寝てた。

日本人が大好きだとか。「チャイニーズとコリアンは嫌いだよ」と言ってました。

たぶん中国人が来たら「ジャパニーズは嫌いだよ」と言ってる?
結婚式場です。白がきれいなんで立ち寄りました。

入口にゲートがあって閉まってたけど、外から撮っていたら開けてくれた。

ヴィナカ♪
そしてパシフィックハーバーに到着。

目の前に見えるのは火渡りの儀式で有名なベンガ島です。
ガイドブックに載っていた日本人経営の「クラブ・コーラルコースト」にチェックイン。この宿は日本人だと割引があります。

全長20メートルのプールもあります。

フィジーには直線の長いプールはないので、水泳の強化選手がたまにきてここで練習しているそうです。
佐久川さんは沖縄でリタイヤ(定年)したあと2年半前からここに住んでます。物価が安くて暖かくてのんびり暮らすには最高だそうです。

フィジーの人たちはのんきで沖縄の昔とよく似ていると言ってました。
俺が泊まった部屋です。天井が高くロフトがあってベットは4つもありました。

オーナーの長谷川さんです。

ご主人の長谷川高彦氏(フィジー柔道協会会長)はフィジーに道場を建て、柔道を広めるために多大なる貢献をした人です。シドニーオリンピックにはコーチとして、アテネオリンピックには監督として参加。5年前に亡くなりました。
長谷川さんが出してくれたフルーツ「ソーサップ」

甘酸っぱく、口の中でふんわりと広がる味は格別でした。
これはソーサップとマンゴの手作りジャム。これも格別の美味しさでした。

長谷川さんにはフィジーのことをたくさん話していただき大変勉強になりました。
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