2012/03/30

ビチレブ島南部を散策・後編

スバ近郊で。ポーズをとってくれました(笑)
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クラブコーラルコーストの朝が来た。

昨日いただいたソーサップの実です。まだ2個残ってました。
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これは昨年12月いっぱいで閉めてしまったサクラレストラン。2000年4月にここで食事したことがあります。
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長谷川さんお勧めのアーツビレッジに行った。

ツアーを盛り上げる若者です。
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しかしツアーは俺一人しかいないので中止になった。ツアーはカヌーに乗ってコースを回り、フィジーの昔の生活を見ることができるそうです。
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この店でお土産を購入。このおじさんが持っている2つを購入しました。大きいので船便で送っていただくことに。
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1か月半以上経ちますが、いまだに届いてません(^^;;;

1時間くらい走って首都のスバに到着。ここはバスターミナルです。
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まずは市場へ
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このおばあちゃんからバナナを買った。
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ここもイモがいっぱいです。
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車は道路に止めて、ここに1ドル入れると1時間OKです。
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5年くらい前にラウトカ市内でお金を入れないで止めておくと駐車違反のシールが貼られてました。罰金は2ドルでした。シールを持って帰るとジムがくちゃくちゃにしてゴミ箱に捨てちゃいました(笑)。

大衆レストランで朝食を
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海沿いの通り。
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行政府。そんなに古くないんだけど痛みがひどい。
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行政府の前に立っている銅像はラツ・スクナ(1888-1958)。フィジーの偉大な父としてフィジー人のシンボル的な人です。

銅像に抱きつく女性。敬意を表しているのだろうね。
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面白い顔をしているので何枚も撮ってしまった。フィジーではどこでも見かける鳥です。
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大統領官邸の門番です。この暑い中で身動きしないで立ってます。真似できません。
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大統領官邸。
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フィジーでは俺が行くようになった12年間で2回政治クーデター(無血)があった。そんなことも日本人観光客の減少につながったようです。クーデターの原因はもともと住んでいるフィジアンと移植させられてきたインド人の争いです。イギリスがやった身勝手なことが100年以上経ってから争いを起こしてます。

スバ評議会
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フィジー博物館
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博物館の中には大きなカヌーがたくさん展示してあった。
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フィジー、タヒチ、ハワイなど、ポリネシア人は安定性の良いアウトリガー付きのカヌーを発明して、南太平洋の島々に次々と住み着いていきました。フィジーはメラネシア圏内と言われてるけど、あきらかにポリネシアと混血です。

戦いの武器です。叩いたり、首を折ったりしたようです。
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疑似餌(ルアー)です。こんな針で釣れるほど魚はいっぱいいたんでしょう。
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シンガトカ砂丘での発掘風景です。
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そこで発見された2000年前の人骨。
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ヤンバルクイナに似てます。マングローブの移植後絶滅したそうです。
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他にもダチョウのような飛べない大きな鳥がいたが、人がこの島に入ってきて、まもなく絶滅したそうです。

これは特大カミキリムシ。15センチ以上あります。
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噛まれたら痛いだろうな(^^;;;


スバからの帰りに橋の脇で釣りをする人を発見。
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家族のようです。サビキで小魚を釣ってました。
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フィジーの人たちはフレンドです。「ブラッ」(こんにちは)と声をかけてカメラを向けるとみんな笑顔で応じてくれます。
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ルアー発見。ここにもルアーマンがいる?
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シンガトカからナンディに行く途中にあるモミの要塞。
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実は道を間違えて、ジャングルのような道を1時間も迷ってしまった。こんなこともあるので予備のタイヤと工具は絶対に積んであることを確認です。それとガソリンもまめに給油を。

この大砲は第2次世界大戦のときに作られた。仮想敵国は日本です。
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結局、日本はここまで攻めてこなかったので大砲が火を噴くことはありませんでした。


フィジー観光終了

ナンディに戻ってホテルに泊まり、明日は後半組を出迎えます。