2012/09/12

インドネシア・スラバヤ編その2

スラバヤでセミナーを終えた翌日はブロモ山観光へ
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一番高い山がRaung山です。高さ3332メートルの​火山です。その手前はArgopuro山の南の頂、その​手前がLamongan山です。なんとも不思議な景色でした。


早朝の3時ころです。このホテル(Lavaビューロッジ)前からブロモ山へジープで行きます。
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俺たちが乗ったジープは超古いランクルでした。
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真っ暗な道を走る。
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プナンジャカン山頂(海抜2770メートル)の展望台から見た日の出
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展望台は人でいっぱい。良い場所へはなかなか入れません(入りましたけど)
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ブロモ全景。一番高い山がスメル山(3676メートル)。ジャワ島で一番高い山です。
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ブロモ山の火口。
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Argopuro山の山頂。3088メートル。
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同じくArgopuro山。
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Penanggungan山(1653メートル)
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同行の3人(ジョン、アチュン、カディック)
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展望台にある小さな食堂で朝食を
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朝食はインスタントラーメン
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展望台を下りながらブロモ山を撮る
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アリのように見えるのは全部ランクル。
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カルデラ内を走るランクル。
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ブロモ山の登山口にはたくさんのランクルが。
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これから登ります。
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この馬(ポニー)で。
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ガイドに引かれて登ります。
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飲み物を売るテングル族のおばさん。ミネラルウオーターが50000ルピア!ぼったくりじゃん。
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下ってきたときは10000ルピアに値下がりしてました(笑)


階段も手すりも壊れたままの階段を上る。火山灰がすごいのでマスクが必要。
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ブロモ山の火口です。たくさんの人がお供えの花(造花)を投げ込んでました。
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その花を回収する人です。インドネシアにはいろんなお仕事があります(笑)
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お花は50000ルピアで売ってます。約420円です。俺は420円で火口を降りるのは嫌です。


ブロモ山の隣の山です。名前は忘れました。
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Lavaビューロッジに戻って、そこからブロモ山を望む。
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帰りはテングル族の部落を抜けながらスラバヤへ
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テングル族はインドネシアでは数少ないヒンズー教徒です。インドネシアは9世紀までは仏教、10世紀からヒンズー教、そして16世紀からはイスラム教が勢力を伸ばしてきた。テングル族はヒンズー教を捨てきれず山奥へと逃げ、ここに定住したそうです。他のヒンズー教徒はバリへ逃げて、バリヒンズーとなった。

■テンゲル族
ブロモ山中に住むテンゲル族は、体格が小柄で、14世紀に東部ジャワに繁栄したモジョパイト王朝最後のヒンズー文化の流を受け継ぐ部族と言われている。 24部落から構成されるテンゲル族の中でも、トサリ部落、ガディサリ部落は一般に名が知られている。 とりわけ、ガディサリ部落は、一説によると、13世紀に東部ジャワへ襲来した元軍の敗残兵士の子孫であると言われている。 現在のテンゲル族は、山の傾斜地にキャベツなどの数々の野菜を栽培して生計を立てている。ブロモ山周辺の傾斜地は急勾配で、勤勉さがなければなしえない野菜栽培である。

■ 民話 「生贄儀式(カソド)」
昔々、ブロモ山麓に子供のいない夫婦が、平和な自然の中で幸福に暮らしていた。 夫婦は、いつしか年をかさねている中に寂しさを感じはじめた。 日増しに子供が欲しいと思うようになった。 思いあまった夫婦は、ある日ブロモ山に棲む創造神に祈願した。
くる日もくる日も二人は真心をこめて祈願を続けた。これ知った創造神ブラフマは、二人の願いを叶えてやることにした。妻が祈願の最中に創造神からのお告げを聞く。
「最初の子供さえ生贄として献げるのなら、汝ら夫婦に25人の子供を授けよう。」
「はい、約束します。」と妻は思わずと答えてしまった。
時が経つと、ブラフマのお告げが事実となった。妻は身ごもり、男子を出産した。 夫婦は、大いに喜び、男の子を大事に育てた。
男子の誕生してからというもの、夫婦の生活には昔のような幸せと明るさがもどってきた。 男子は、クスマと命名され、日増しにたくましく成長していった。 それから、妻は次から次へと産み続け、25人の子供を出産した。その息子たちはすくすくと成長した。
夫婦は、あまりの幸福な生活にブラフマ神との約束を忘れていた。
それまで静寂を保っていたブロモ山が、突然として地響きを立て噴煙を吹き上げた。 夫婦に警告を発してきたのだ。夫婦はブラフマとの約束を思い出した。悲しみがこみ上げてきた。 どうしてあんなに可愛い長男を噴火口に投げ入れることができようか。 
夫婦は、出来ることなら長男の身代わりに自らが投身しようと願うのですが、神は剛健で若いクスマを望むことに変わりはなかった。
ブロモ山は噴火を止めようとせずに、火口から溶岩が吹き出し、日ごとにその激しさをましてきた。
こうしたある夜に、夫婦は神のお告げを聞いた。
「約束を守れ。もし、クスマを献げることをためらうなら、長男ばかりでなく残る24人の息子も全て召し上げてしまうぞ」と。
夫婦は気が動転し、心臓が激しく鼓動した。 クスマは、母が悲しむ様を見て、その原因を尋ねたが、口を開いてくれなかった。
しかし、執拗にたずねるクスマに、母は根負けして遂に打ち明けてしまう。 母の話を全て聞き終えると、クスマは口を開いた。
「母さん、もういいです。 私は、父さん、母さん、弟たちの幸福とテンゲル族のために望んで生贄になります。」
数日後、クスマは生贄として火口へ運ばれ、大勢の住民が見まもる中、クスマの体は火口へ投げ込まれた。 生贄は、神に受け入れられ、ブロモ山の噴火が止み、地響きが鳴りやんだ。 そして、ブロモ山周辺一帯には平和が再び訪れた。 
農夫は安心して畑で働きはじめた。老夫婦も24人の息子達と幸福な暮らしを続けという。
(原典:「Asal Mulanya Upacara Korban di Gunung Bromo, 『Cerita Rakyat IV』, 1972年 文部省編纂 Balai Pustaka 出版 」

伝説中の生き残った24人の息子は、現存するテンゲル族の24部族を意味するという。 
今日、儀式の生贄になるものは、農作物や鶏・羊が火口へ投げ入れられるという。 テンゲル族の山岳信仰はヒンズー教へ変わり、毎年バリ島から僧侶を呼んでバトック山麓の寺院で儀式が行われている。

参照ブログ
http://tamanbudaya.jp/jawa4.html



しばらく走ってシドアルジョに到着。ここでは道路を横断する手助けをする人達がいました。ほんといろんなお仕事があります。
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即席でできた竹の階段を上る。
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泥の大地です。
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2006年5月に天然ガスを試掘中に泥とガスが大量に吹き出し、2008年6月までに8つの村が埋まってしまった。
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この工事をやっていた会社の経営者が次期大統領の有力候補だとか。この惨事も自然災害として片付けようとしているとか。インドネシアは賄賂で固められた国だからね。
ジャカルタの国際空港もスラバヤとマドゥーラ島を結ぶスラマドゥ大橋も多額の賄賂が使われたそうな。それは実際の建設費より多いというお話です。


高さ15メートルの土手を築き、泥水を川に流すようにして、ようやく被害の拡大は防げた。
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埋まってしまった8つの村はやがて地図からも消えていくんだろうな。
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次回はジャカルタ編です。