ベトナム一人旅・その2
ハロン湾の洞窟探検です。でもいっぱいあって入ったのは一つだけです。
ダウゴー島にあるティエンクン洞に行った。時間的に日帰りツアーではここしか入れないのかも。

この洞窟は1993年に発見された。
ライトアップがとても綺麗で幻想的。
1か所だけ外から光が差し込んでいるところがあった。

この光の穴が天国に繋がっていると信じられていたことからティエンクン(天宮の意)と呼ばれたそうです。

中は高さもかなりあります。かなり長い鍾乳洞でした。

名前の付けられた鍾乳石もいっぱいあった。
「クラゲ」「鳥」「龍」「亀」「像」
そして何と「ホーチミンの顔」なんてのも
どれも無理やり名付けた感じ(笑)
そんな中で
これはよく似た石でした(^O^)

乳房です(^O^)
もちろん男性のシンボルに似た石は数えきれないほどありました(^O^)
巨大なものからお手頃サイズまで(笑)
この鍾乳洞はいつも大変混雑してるそうです。

再びハノイへ戻ります。
5月だと言うのにそろそろ収穫かな。

ハノイ市内は今夜もバイクであふれてました。

3日目
今日は一人でホーチミン巡りです。
ホテルからタクシーでホーチミンの家へ
基本的にタクシーは遠回りします。でも100円~300円の被害だから勝手に遠回りさせてます(笑)
ホーチミンさんの寝室

ホーチミンさんのオフィス

この家に1969年まで住んでいたそうです。

ここで重大な決定をしたとか。

贅沢さは微塵も感じられなかった。
以下、ウィキペディアより抜粋
ホー・チ・ミンはその一生を通じて、ベトナムの民族解放と独立を最大の政治目標としており、その姿勢はときに国際共産主義運動の中で階級闘争を軽視する「右派」的態度と批判されることがあった。インドシナ共産党時代から、党が綱領・規約においてマルクス・レーニン主義以外の基本指針を掲げることはなかった。しかし、1989年の東欧革命や1991年末のソ連崩壊によって、社会主義が没落し、アメリカナイゼーションと反共主義が世界を席巻すると(一極体制)、ベトナム共産党はマルクス・レーニン主義と並ぶ党の指針として「ホー・チ・ミン思想」を掲げるようになり、ホー・チ・ミン個人への依存を強めるようになった。
政治思想や手法には賛否両論あるが、特筆すべきは、ソ連のヨシフ・スターリンや中華人民共和国の毛沢東など、革命によって権力を握った共産党指導者が独裁的になって反対派を粛清する例が多いのに対し、ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていたことである。ホー・チ・ミンの指導下において、政策議事は徹底的な討議を前提とした非公開の全会一致制とされた。またホー・チ・ミンは自伝の類を残さずに死んだため、後継指導者層や軍人達の間でも「ホー・チ・ミンが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてほとんど語らないという伝統が生まれた。
ホーの慈愛に満ちた飄々たる風貌、また腐敗や汚職、粛清に手を染めなかった高潔な人柄は、民衆から尊崇を集め、そして愛された。晩年は南北ベトナムの両国民から「ホーおじさん」(Bác Hồ、伯胡)と呼ばれ親しまれた。一方、反共の南ベトナムからの難民が大多数を占めるベトナム系アメリカ人や他国のベトナム系移民からは憎悪の対象と見られている。例えば現ベトナム政府の要人が訪米する際には「ホー・チ・ミンは殺人者」などというプラカードを掲げられたりする。死後40年以上経過するが、ホーの評価は二極に分裂してまだ定まっていないのが現状である。
後ろに見えるのがホーチミン廟。遺体が安置されている。

ホーチミン廟。

文廟。ここに1076年にベトナムで初めて大学が開設された。
頭の良さそうな子息がいっぱい来てました。

俺の幼少の時代を見たようでした(大嘘)
次は伝説の湖「ホアン・キエム湖」へ。市民の憩いの場でもあります。
その湖に浮かぶ「玉山祠」を見学
フーテック橋を渡る

橋の上から見たホアン・キエム湖

玉山祠です。

剣を担ぐ亀

15世紀、明と戦っていたとき、この剣がベトナムに悲願の勝利をもたらせたという伝説がある。
ここには関羽、呂祖、文昌帝君、そしてベトナム史上最強と謳われるチャン・フン・ダオが祀られている。

伝説の剣は明に勝利したあと、当時のレー・ロイ王により湖に住む大亀に返された。
1968年に湖で大亀が捕獲された。もしや、その伝説の大亀ではと大騒ぎになった。
その亀の剥製が展示されていた。何と長さ210センチ、体重250キロ!

正式名はシャンハイハナスッポン

現在世界中で生息が確認されているのは、たったの4匹(ベトナムに2匹、中国の動物園に2匹)だけ。そのうちの1匹が今でもこの湖で生きている。
4匹のうちメスは1匹だけで、しかも80歳以上の高齢。絶滅はほぼ確実。
かつては名前の通り中国にいっぱい生息していたが、片っ端から捕えて食べたり、漢方薬の材料にしてしまったそうな。さすが中国です。アフリカ象も中国人の象牙信仰のために密猟が増えてます。
現在も生き続けている大亀。2007年の撮影。

2011年4月3日には治療のため捕獲されて健康状態などを調べた後に湖に戻された。

推定年齢100歳以上、体重は推定200キロ。
あと数年で絶滅かな?
5月だというのに40度を超す暑さ
歩くだけで汗びっしょりです。
歩き疲れたのでベトナム名物の人力車シクロに。

料金メーターがないので、ちゃんと交渉してから乗っても降りるときふっかけられます。一番トラブルの多い乗り物なんで乗らないのが賢明です。
でも乗っちゃいました(笑)

100円くらいぼられたような・・・
シクロは客が前に乗るので、けっこうスリリングな写真が撮れます。
何度も正面衝突のスリルを味わえます。

ベトナムの路上はさながら戦争です。譲ったら負けです。

帽子屋さん。ここでホーチミンさんがかぶっていたのと同じ帽子購入。

最後はフットマッサージ

暑い1日でした。
そしてベトナム人の逞しさを感じる1日でした。
その3へ
ダウゴー島にあるティエンクン洞に行った。時間的に日帰りツアーではここしか入れないのかも。

この洞窟は1993年に発見された。
ライトアップがとても綺麗で幻想的。
1か所だけ外から光が差し込んでいるところがあった。

この光の穴が天国に繋がっていると信じられていたことからティエンクン(天宮の意)と呼ばれたそうです。

中は高さもかなりあります。かなり長い鍾乳洞でした。

名前の付けられた鍾乳石もいっぱいあった。
「クラゲ」「鳥」「龍」「亀」「像」
そして何と「ホーチミンの顔」なんてのも
どれも無理やり名付けた感じ(笑)
そんな中で
これはよく似た石でした(^O^)

乳房です(^O^)
もちろん男性のシンボルに似た石は数えきれないほどありました(^O^)
巨大なものからお手頃サイズまで(笑)
この鍾乳洞はいつも大変混雑してるそうです。

再びハノイへ戻ります。
5月だと言うのにそろそろ収穫かな。

ハノイ市内は今夜もバイクであふれてました。

3日目
今日は一人でホーチミン巡りです。
ホテルからタクシーでホーチミンの家へ
基本的にタクシーは遠回りします。でも100円~300円の被害だから勝手に遠回りさせてます(笑)
ホーチミンさんの寝室

ホーチミンさんのオフィス

この家に1969年まで住んでいたそうです。

ここで重大な決定をしたとか。

贅沢さは微塵も感じられなかった。
以下、ウィキペディアより抜粋
ホー・チ・ミンはその一生を通じて、ベトナムの民族解放と独立を最大の政治目標としており、その姿勢はときに国際共産主義運動の中で階級闘争を軽視する「右派」的態度と批判されることがあった。インドシナ共産党時代から、党が綱領・規約においてマルクス・レーニン主義以外の基本指針を掲げることはなかった。しかし、1989年の東欧革命や1991年末のソ連崩壊によって、社会主義が没落し、アメリカナイゼーションと反共主義が世界を席巻すると(一極体制)、ベトナム共産党はマルクス・レーニン主義と並ぶ党の指針として「ホー・チ・ミン思想」を掲げるようになり、ホー・チ・ミン個人への依存を強めるようになった。
政治思想や手法には賛否両論あるが、特筆すべきは、ソ連のヨシフ・スターリンや中華人民共和国の毛沢東など、革命によって権力を握った共産党指導者が独裁的になって反対派を粛清する例が多いのに対し、ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていたことである。ホー・チ・ミンの指導下において、政策議事は徹底的な討議を前提とした非公開の全会一致制とされた。またホー・チ・ミンは自伝の類を残さずに死んだため、後継指導者層や軍人達の間でも「ホー・チ・ミンが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてほとんど語らないという伝統が生まれた。
ホーの慈愛に満ちた飄々たる風貌、また腐敗や汚職、粛清に手を染めなかった高潔な人柄は、民衆から尊崇を集め、そして愛された。晩年は南北ベトナムの両国民から「ホーおじさん」(Bác Hồ、伯胡)と呼ばれ親しまれた。一方、反共の南ベトナムからの難民が大多数を占めるベトナム系アメリカ人や他国のベトナム系移民からは憎悪の対象と見られている。例えば現ベトナム政府の要人が訪米する際には「ホー・チ・ミンは殺人者」などというプラカードを掲げられたりする。死後40年以上経過するが、ホーの評価は二極に分裂してまだ定まっていないのが現状である。
後ろに見えるのがホーチミン廟。遺体が安置されている。

ホーチミン廟。

文廟。ここに1076年にベトナムで初めて大学が開設された。
頭の良さそうな子息がいっぱい来てました。

俺の幼少の時代を見たようでした(大嘘)
次は伝説の湖「ホアン・キエム湖」へ。市民の憩いの場でもあります。
その湖に浮かぶ「玉山祠」を見学
フーテック橋を渡る

橋の上から見たホアン・キエム湖

玉山祠です。

剣を担ぐ亀

15世紀、明と戦っていたとき、この剣がベトナムに悲願の勝利をもたらせたという伝説がある。
ここには関羽、呂祖、文昌帝君、そしてベトナム史上最強と謳われるチャン・フン・ダオが祀られている。

伝説の剣は明に勝利したあと、当時のレー・ロイ王により湖に住む大亀に返された。
1968年に湖で大亀が捕獲された。もしや、その伝説の大亀ではと大騒ぎになった。
その亀の剥製が展示されていた。何と長さ210センチ、体重250キロ!

正式名はシャンハイハナスッポン

現在世界中で生息が確認されているのは、たったの4匹(ベトナムに2匹、中国の動物園に2匹)だけ。そのうちの1匹が今でもこの湖で生きている。
4匹のうちメスは1匹だけで、しかも80歳以上の高齢。絶滅はほぼ確実。
かつては名前の通り中国にいっぱい生息していたが、片っ端から捕えて食べたり、漢方薬の材料にしてしまったそうな。さすが中国です。アフリカ象も中国人の象牙信仰のために密猟が増えてます。
現在も生き続けている大亀。2007年の撮影。

2011年4月3日には治療のため捕獲されて健康状態などを調べた後に湖に戻された。

推定年齢100歳以上、体重は推定200キロ。
あと数年で絶滅かな?
5月だというのに40度を超す暑さ
歩くだけで汗びっしょりです。
歩き疲れたのでベトナム名物の人力車シクロに。

料金メーターがないので、ちゃんと交渉してから乗っても降りるときふっかけられます。一番トラブルの多い乗り物なんで乗らないのが賢明です。
でも乗っちゃいました(笑)

100円くらいぼられたような・・・
シクロは客が前に乗るので、けっこうスリリングな写真が撮れます。
何度も正面衝突のスリルを味わえます。

ベトナムの路上はさながら戦争です。譲ったら負けです。

帽子屋さん。ここでホーチミンさんがかぶっていたのと同じ帽子購入。

最後はフットマッサージ

暑い1日でした。
そしてベトナム人の逞しさを感じる1日でした。
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