カナダで超レアな魚「マスキー」を釣る・その2
初日にいきなり46インチを釣った後、トップで狙ったら何と9バイトもあった。そのうち2匹は全身を水面から出してジャンプした。ルアーはガンマ140に1バイト、ブルーフィッシュ100に8バイトだった。シングルフックバーブレスでやったのが原因なのか、すべてフッキングできなかったり、すぐにフックアウトしてしまった。
それにしてもマスキー用のルアーは馬鹿デカい。
一番上のワームは2ポンド(900グラム)です。すぐ下のルアーはGT-ガンマ140です。

一番上のルアーは長さ36センチです。ガンマ140が子供に見えます(-_-;)

釣り2日目
今日もいくつもの島(岩?)の間を通り抜けてポイントへ

今日は博士とコンビです。アマゾンに12回(だったかな?)行っている秘境アングラーです。俺とは15年前にタンガニーカ湖へ行ったのが初めての出会いです。

白頭鷲とハウスです。両脇が親で真中が子供かな?

俺と博士は撃沈でした。
でも
バクが
なんと!
50インチ(127センチ)を釣ってました!

ファイティングタイム3秒だそうです。ヒットしたのが船べり50センチで差し出したネットに自分から飛び込んできたそうです(笑)
俺「どんな引きだった?」
バク「わかりません」
レイクオブザウッズの地図です。毎日どこをどう走ったのかチンプンカンプンです。

釣り3日目
メジ1号と博士チームです。

結果は聞かなくてもわかりました(笑)
俺はバクとコンビです。

パイクが釣れた。メチャ臭い魚でした。

ちなみに親戚のマスキーは臭くないです。
ペリカンはいっぱいいました。ここのペリカンは白いです。

ちなみにニューオーリンズのペリカンは黒っぽかったです。
宿には毎朝鹿が現れます。

釣り4日目(最終日)
実績一番のスピナーだけど、今回は不発でした。とにかく引くのが重くて一番疲れるルアーです。

俺もちょこっと投げました。
トップで釣れちゃった。

40インチ(102センチ)ジャストです。

ロッド:カーペンターBLC70/18
リール:13ステラ6000HG
ライン:PE3号
リーダー:ナイロン80ポンド+先糸フロロ50号40センチ
ルアー:カーペンター・ブルーフィッシュ60
日本製で釣れて良かった。しかもライトなタックルで体に優しいです(^O^)
マスキーは雨が降ると活性が上がるそうです。。雷のことを「マスキーミュージック」(マスキーが好きな音楽)と言うそうです(^O^)
4人で4日間釣りをして3匹でした。でも3匹ともメーターオーバーでした。下手くそ2人が釣れて達人2人は坊主でした。釣りはわかりませんね(^O^)
ケノーラにある巨大マスキーのレプリカ。

昔はこんなのがいたそうです。
嘘です(笑)
冬は2メートルの氷の世界です。アイスフィッシング真っ盛りになります。氷に穴を開けてワカサギみたいのやレイクトラウトなどを狙います。
ウイニペグは典型的な大陸性気候です。夏の最高気温はときに40度を超します。真冬はマイナス50度になることもあるそうです。高低差90℃です(*_*)
ウイニペグに戻り、バイソン見たさに「Fort Whyte Alive」へ
ここにはバイソンの他に先住民族の家やインディアンのテントが展示されている。
開拓の時代はこんな家に住んでいた。

インディアンのテント

テントの中

バイソン

白人が現れる前は6000万頭もいたそうだ。
バイソン(ウイキペディアより)
白人が現れる前のアメリカバイソンの生息数は、アメリカ・カナダの平原部の、「バイソン・ベルト」に約六千万頭だったと推定される[1]。ネイティブ・アメリカンは弓や、群れを崖から追い落とすなど伝統的な手法によりバイソンの狩猟を行っていた。特にスー族など平原インディアンは農耕文化を持たず、衣食住の全てをバイソンに依存していた。18世紀に白人による、主に皮革を目的とする猟銃を使った狩猟が行われるようになると、バイソンの生息数は狩猟圧で急激に減少する。当時のアメリカ政府はインディアンへの飢餓作戦のため、彼らの主要な食料であったアメリカバイソンを保護せずむしろ積極的に殺していき、多くのバイソンが単に射殺されたまま利用されず放置された。この作戦のため、白人支配に抵抗していたインディアン諸部族は食糧源を失い、徐々に飢えていった。彼らは、アメリカ政府の配給する食料に頼る生活を受け入れざるを得なくなり、これまで抵抗していた白人の行政機構に組み入れられていった。また、狩猟ができなくなり、不慣れな農耕に従事せざるを得なくなった彼らの伝統文化は破壊された。バイソン駆除の背景には牛の放牧地を増やす目的もあったとされ、バイソンが姿を消すと牛の数は急速に増えていった。
この結果、19世紀末にはバイソンの数は約750頭にまで減少した。現在では保護策で、バイソンの頭数は北米全域で約36万頭にまで回復している。
ウイニペグにはカベラスがあった。

特大ルアーを買いました。

メジ1号と博士はリベンジかな?
次は寿司屋へ

サムライとは、いかにも怪しい。
でも味はまずまずでした。

1泊して、翌日帰途へ
俺より5時間以上早い便で帰るはずの3人がまだ空港に残っていた。

07:20発のユナイテッド航空がフライトキャンセルになり、11:55発のアメリカン航空に変更になったそうだ。
俺も12:23発のユナイテッドだったが、13:30発になっていた。

俺はシカゴでの乗り継ぎに間に合ったけど、3人は間に合わないのでデルタ航空のミネアポリス経由に変更したそうだ。
ほんと、ユナイテットは問題あり過ぎ。世界で一番あてにならない航空会社ですわ。
PS.3人は当初の予定より1時間遅れで成田に着きました。
それにしてもマスキー用のルアーは馬鹿デカい。
一番上のワームは2ポンド(900グラム)です。すぐ下のルアーはGT-ガンマ140です。

一番上のルアーは長さ36センチです。ガンマ140が子供に見えます(-_-;)

釣り2日目
今日もいくつもの島(岩?)の間を通り抜けてポイントへ

今日は博士とコンビです。アマゾンに12回(だったかな?)行っている秘境アングラーです。俺とは15年前にタンガニーカ湖へ行ったのが初めての出会いです。

白頭鷲とハウスです。両脇が親で真中が子供かな?

俺と博士は撃沈でした。
でも
バクが
なんと!
50インチ(127センチ)を釣ってました!

ファイティングタイム3秒だそうです。ヒットしたのが船べり50センチで差し出したネットに自分から飛び込んできたそうです(笑)
俺「どんな引きだった?」
バク「わかりません」
レイクオブザウッズの地図です。毎日どこをどう走ったのかチンプンカンプンです。

釣り3日目
メジ1号と博士チームです。

結果は聞かなくてもわかりました(笑)
俺はバクとコンビです。

パイクが釣れた。メチャ臭い魚でした。

ちなみに親戚のマスキーは臭くないです。
ペリカンはいっぱいいました。ここのペリカンは白いです。

ちなみにニューオーリンズのペリカンは黒っぽかったです。
宿には毎朝鹿が現れます。

釣り4日目(最終日)
実績一番のスピナーだけど、今回は不発でした。とにかく引くのが重くて一番疲れるルアーです。

俺もちょこっと投げました。
トップで釣れちゃった。

40インチ(102センチ)ジャストです。

ロッド:カーペンターBLC70/18
リール:13ステラ6000HG
ライン:PE3号
リーダー:ナイロン80ポンド+先糸フロロ50号40センチ
ルアー:カーペンター・ブルーフィッシュ60
日本製で釣れて良かった。しかもライトなタックルで体に優しいです(^O^)
マスキーは雨が降ると活性が上がるそうです。。雷のことを「マスキーミュージック」(マスキーが好きな音楽)と言うそうです(^O^)
4人で4日間釣りをして3匹でした。でも3匹ともメーターオーバーでした。下手くそ2人が釣れて達人2人は坊主でした。釣りはわかりませんね(^O^)
ケノーラにある巨大マスキーのレプリカ。

昔はこんなのがいたそうです。
嘘です(笑)
冬は2メートルの氷の世界です。アイスフィッシング真っ盛りになります。氷に穴を開けてワカサギみたいのやレイクトラウトなどを狙います。
ウイニペグは典型的な大陸性気候です。夏の最高気温はときに40度を超します。真冬はマイナス50度になることもあるそうです。高低差90℃です(*_*)
ウイニペグに戻り、バイソン見たさに「Fort Whyte Alive」へ
ここにはバイソンの他に先住民族の家やインディアンのテントが展示されている。
開拓の時代はこんな家に住んでいた。

インディアンのテント

テントの中

バイソン

白人が現れる前は6000万頭もいたそうだ。
バイソン(ウイキペディアより)
白人が現れる前のアメリカバイソンの生息数は、アメリカ・カナダの平原部の、「バイソン・ベルト」に約六千万頭だったと推定される[1]。ネイティブ・アメリカンは弓や、群れを崖から追い落とすなど伝統的な手法によりバイソンの狩猟を行っていた。特にスー族など平原インディアンは農耕文化を持たず、衣食住の全てをバイソンに依存していた。18世紀に白人による、主に皮革を目的とする猟銃を使った狩猟が行われるようになると、バイソンの生息数は狩猟圧で急激に減少する。当時のアメリカ政府はインディアンへの飢餓作戦のため、彼らの主要な食料であったアメリカバイソンを保護せずむしろ積極的に殺していき、多くのバイソンが単に射殺されたまま利用されず放置された。この作戦のため、白人支配に抵抗していたインディアン諸部族は食糧源を失い、徐々に飢えていった。彼らは、アメリカ政府の配給する食料に頼る生活を受け入れざるを得なくなり、これまで抵抗していた白人の行政機構に組み入れられていった。また、狩猟ができなくなり、不慣れな農耕に従事せざるを得なくなった彼らの伝統文化は破壊された。バイソン駆除の背景には牛の放牧地を増やす目的もあったとされ、バイソンが姿を消すと牛の数は急速に増えていった。
この結果、19世紀末にはバイソンの数は約750頭にまで減少した。現在では保護策で、バイソンの頭数は北米全域で約36万頭にまで回復している。
ウイニペグにはカベラスがあった。

特大ルアーを買いました。

メジ1号と博士はリベンジかな?
次は寿司屋へ

サムライとは、いかにも怪しい。
でも味はまずまずでした。

1泊して、翌日帰途へ
俺より5時間以上早い便で帰るはずの3人がまだ空港に残っていた。

07:20発のユナイテッド航空がフライトキャンセルになり、11:55発のアメリカン航空に変更になったそうだ。
俺も12:23発のユナイテッドだったが、13:30発になっていた。

俺はシカゴでの乗り継ぎに間に合ったけど、3人は間に合わないのでデルタ航空のミネアポリス経由に変更したそうだ。
ほんと、ユナイテットは問題あり過ぎ。世界で一番あてにならない航空会社ですわ。
PS.3人は当初の予定より1時間遅れで成田に着きました。