ジム安らかに・その1
フィジーの偉大なキャプテン兼GTアングラーが逝きました。往年77歳でした。
その人の名はジム・シアーズです。その生き方は俺の目標でした。
ジムの簡単な略歴
1936年ポーランド生まれ。
3歳の時に一家でニュージーランドに渡った。
15年くらい前までは有名なプロカメラマンでした。2002年ころまではジムの写真集は空港の免税店に並んでました。フィジー、パプアニューギニア、ニュージーランドなどなど、30冊以上の写真集を出したそうです。
俺が行く数年前にビチレブ島の北部にある町「BA」の近くに8ヘクタールの農園を所有し、サトウキビ、パイナップル、ノーニ、マンゴなどを作りはじめた。
農園はマングローブ林を経て海に面してました。
やがてマングローブ林を切り開いて水路を作り、船が入れる小さなマリーナを作った。そして船を購入して大好きだった釣りを毎日のようにやっていた。
やがてGTフィッシングを覚え、自分でルアーを作って、間に合わせのタックルでキャステイングに夢中になった。
しばらくしてジムは本格的にやってみたいと考えGT先進国の日本人を呼んでみたくなった。
そんなときだった。1999年の夏ごろ(正確には覚えてませんが)旅行会社からフィジーに釣りに行きませんかと言われた。ジムがフィジーのエージェントを通して日本の旅行会社に伝えたのだった。
そういうことでフィジーの釣りを開拓することになった。どうせ行くならとナンディ、パシフィックハーバー、そしてジム・シアーズと3か所で釣りをやることになった。
2000年2月、初めてフィジーを訪れた。
そんな中でやる気満々、あふれる情熱を持ったジムだけが飛びぬけて気に入った。
そのときジムは64歳。
俺は46歳。
ジムはベイトリールで自作ルアーをビュンビュン投げていた。
そして舵を握ればエンジン全開でサンゴ礁の超浅い海を猛スピードで走り回った。
船は24フィートくらいのセンターコンソールタイプ。エンジンは200馬力1基だった。
浅いところに強引に入って行くので何度も船底がサンゴに当たっていた(-_-;)
船もエンジンも1年後には新しくなっていた。
ジムは笑いながら言った「釣りはお金がかかる」
以来17回ジムのところに通った。
2000年2月、4月、11月
2001年11月
2002年6月、11月
2003年1月、3月、5月
2004年1月
2005年1月
2006年1月、4月
2007年1月
2008年1月
2009年1月
2012年2月
今日1日、ジムの写真を探し続けた。
2000年2月から2001年11月までの写真は時間があるときに公開します。ポジフィルムで撮ってるので探すのに少し時間がかかります。2002年ころからデジタルカメラを使い始めた。それはHDに保存してあるので簡単に取り出せます。
2002年6月は初めてヤサワ諸島に行った。ブルックシールズ主演の「青いサンゴ礁」の舞台になったところだ。
でも同行したメンバーは変態ビルダーを除いて全員屑(笑)
ジムと息子のコンラッドとカバパーティ。

マットンもヒポも若いね。

真ん中の男の子がジムの末っ子の「カジ」です。このとき6歳だったかな。ジムが60歳の時に生まれた子です。

カブトムシ隊の元気なころ(笑)

右の女の子は末娘の「アラナ」です。このとき10歳だったかな?

変態ビルダーの貴重な写真かも。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki/yasawa02_6a.htm
次に訪れたのは2002年11月
また船が新しくなっていた。なんとエンジンは200馬力2基。ジムが40ノット以上出ると言ってた。

怪物船長のお料理教室です。あまりに上手なので、俺も含めてみんなビックリ。

ジムにジギングを教えたら、すぐにGTを釣っちゃいました。

ジムは有名人なので、どこへ行っても人が集まってきた。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki/fiji02_11a.htm
そして2003年1月
このころのジムはまだまだ元気だった。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_1a.htm
2003年3月
このときのメンバーはコッド親分、ヒポ、デブ清、ハゲ久保。

毎晩カバパーティだった。

コッド親分、日本の長老を代表して宴会用の魚をゲット。

でもシガテラ毒魚と言われて泣く泣くリリース
ヤサワ諸島上陸。フィジーで一番綺麗なところ。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_3a.htm
2003年5月
ブレイクはアラナに一目ぼれ?

ジム67歳

このときのレポート。報告はブレイクです。
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_5a.htm
2004年1月
ジム68歳、まだまだ元気な船長&GTアングラー。

び~るだ~さんもGT連続キャッチ!

このころは毎日20本くらい缶ビール飲んでました。これにはジムもビックリ!
このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki04/fiji04_1a.htm
2005年1月はバヌアレブ島へ
初めてフライブリッジ付きの船がデビュー

ジムが設計した船でした。

重心が高いせいか安定性が悪く、横揺れがやたらと大きかった。
ジム「これは失敗だ」
エンジントラブル。南の島では珍しいことではない。このときは漁師さんが泳いで引っ張った。

ジム「1ホースパワー」
どんなトラブルが起きても、いつもユーモアたっぷりの人だった。
昼は竿頭、夜はビール頭の人(笑)

バヌアレブの宿は普通の民家でした。毎晩3回は停電でした。

そんなことがあったほうが旅は楽しい。
この年、ジム69歳、俺51歳。
このときのレポート
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki05_a/fiji05_1a.htm
たくさんある中から100枚だけ写真を選んだ。100枚に絞るのに1時間くらい悩んだ。そのくらい思い出の詰まった写真ばかりだった。
その2、その3と続く
その人の名はジム・シアーズです。その生き方は俺の目標でした。
ジムの簡単な略歴
1936年ポーランド生まれ。
3歳の時に一家でニュージーランドに渡った。
15年くらい前までは有名なプロカメラマンでした。2002年ころまではジムの写真集は空港の免税店に並んでました。フィジー、パプアニューギニア、ニュージーランドなどなど、30冊以上の写真集を出したそうです。
俺が行く数年前にビチレブ島の北部にある町「BA」の近くに8ヘクタールの農園を所有し、サトウキビ、パイナップル、ノーニ、マンゴなどを作りはじめた。
農園はマングローブ林を経て海に面してました。
やがてマングローブ林を切り開いて水路を作り、船が入れる小さなマリーナを作った。そして船を購入して大好きだった釣りを毎日のようにやっていた。
やがてGTフィッシングを覚え、自分でルアーを作って、間に合わせのタックルでキャステイングに夢中になった。
しばらくしてジムは本格的にやってみたいと考えGT先進国の日本人を呼んでみたくなった。
そんなときだった。1999年の夏ごろ(正確には覚えてませんが)旅行会社からフィジーに釣りに行きませんかと言われた。ジムがフィジーのエージェントを通して日本の旅行会社に伝えたのだった。
そういうことでフィジーの釣りを開拓することになった。どうせ行くならとナンディ、パシフィックハーバー、そしてジム・シアーズと3か所で釣りをやることになった。
2000年2月、初めてフィジーを訪れた。
そんな中でやる気満々、あふれる情熱を持ったジムだけが飛びぬけて気に入った。
そのときジムは64歳。
俺は46歳。
ジムはベイトリールで自作ルアーをビュンビュン投げていた。
そして舵を握ればエンジン全開でサンゴ礁の超浅い海を猛スピードで走り回った。
船は24フィートくらいのセンターコンソールタイプ。エンジンは200馬力1基だった。
浅いところに強引に入って行くので何度も船底がサンゴに当たっていた(-_-;)
船もエンジンも1年後には新しくなっていた。
ジムは笑いながら言った「釣りはお金がかかる」
以来17回ジムのところに通った。
2000年2月、4月、11月
2001年11月
2002年6月、11月
2003年1月、3月、5月
2004年1月
2005年1月
2006年1月、4月
2007年1月
2008年1月
2009年1月
2012年2月
今日1日、ジムの写真を探し続けた。
2000年2月から2001年11月までの写真は時間があるときに公開します。ポジフィルムで撮ってるので探すのに少し時間がかかります。2002年ころからデジタルカメラを使い始めた。それはHDに保存してあるので簡単に取り出せます。
2002年6月は初めてヤサワ諸島に行った。ブルックシールズ主演の「青いサンゴ礁」の舞台になったところだ。
でも同行したメンバーは変態ビルダーを除いて全員屑(笑)
ジムと息子のコンラッドとカバパーティ。

マットンもヒポも若いね。

真ん中の男の子がジムの末っ子の「カジ」です。このとき6歳だったかな。ジムが60歳の時に生まれた子です。

カブトムシ隊の元気なころ(笑)

右の女の子は末娘の「アラナ」です。このとき10歳だったかな?

変態ビルダーの貴重な写真かも。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki/yasawa02_6a.htm
次に訪れたのは2002年11月
また船が新しくなっていた。なんとエンジンは200馬力2基。ジムが40ノット以上出ると言ってた。

怪物船長のお料理教室です。あまりに上手なので、俺も含めてみんなビックリ。

ジムにジギングを教えたら、すぐにGTを釣っちゃいました。

ジムは有名人なので、どこへ行っても人が集まってきた。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki/fiji02_11a.htm
そして2003年1月
このころのジムはまだまだ元気だった。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_1a.htm
2003年3月
このときのメンバーはコッド親分、ヒポ、デブ清、ハゲ久保。

毎晩カバパーティだった。

コッド親分、日本の長老を代表して宴会用の魚をゲット。

でもシガテラ毒魚と言われて泣く泣くリリース
ヤサワ諸島上陸。フィジーで一番綺麗なところ。

このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_3a.htm
2003年5月
ブレイクはアラナに一目ぼれ?

ジム67歳

このときのレポート。報告はブレイクです。
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki03/fiji03_5a.htm
2004年1月
ジム68歳、まだまだ元気な船長&GTアングラー。

び~るだ~さんもGT連続キャッチ!

このころは毎日20本くらい缶ビール飲んでました。これにはジムもビックリ!
このときのレポート
http://www.interq.or.jp/boss/uminchu/chokoki04/fiji04_1a.htm
2005年1月はバヌアレブ島へ
初めてフライブリッジ付きの船がデビュー

ジムが設計した船でした。

重心が高いせいか安定性が悪く、横揺れがやたらと大きかった。
ジム「これは失敗だ」
エンジントラブル。南の島では珍しいことではない。このときは漁師さんが泳いで引っ張った。

ジム「1ホースパワー」
どんなトラブルが起きても、いつもユーモアたっぷりの人だった。
昼は竿頭、夜はビール頭の人(笑)

バヌアレブの宿は普通の民家でした。毎晩3回は停電でした。

そんなことがあったほうが旅は楽しい。
この年、ジム69歳、俺51歳。
このときのレポート
http://www.uminchu-mogi.com/chokoki05_a/fiji05_1a.htm
たくさんある中から100枚だけ写真を選んだ。100枚に絞るのに1時間くらい悩んだ。そのくらい思い出の詰まった写真ばかりだった。
その2、その3と続く
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