北海道の離島を訪れて
俺は日本の離島をすべて訪れることを人生の目標の一つとしている。
残るのはあと10島くらいである(内海と無人島を除く)。
今回は北海道の離島4島を訪れた。
焼尻、天売、礼文、利尻である。
島はウニ漁最盛期だった。

北海道の離島の主な海産物は、ウニ、コンブ、ナマコ、そして魚である。1950年代半ばころまではどの島もニシンで賑わった。1955年ころからニシンがパッタリと来なくなった。島の人口も経済も一気に落ち込んでいった。
6月下旬、旭川に到着。
旭川には叔父夫婦が住んでいる。もう叔父は84歳、叔母は77歳。
この老夫婦は農園を持っていて、春から秋まで毎日農園に行って野菜や果樹の手入れで大忙しだそうだ。

ジャガイモ、トマト、リンゴ、ブドウ、トウモロコシ、ナス、ネギ、そして桃やゴウヤまで作っていた。ゴウヤって沖縄が産地だったような・・・?
収穫が楽しくて仕方ないそうだ。元々は群馬の山村の百姓の倅である。
とにかく昔とまったく変わらず元気だった。この調子じゃ俺のほうが先に逝くかも(-_-;)
翌日は旭川から苫前~羽幌、そこからフェリーで焼尻島に行った。
焼尻には知り合いの漁師がいる。地元の漁業、そして北海道の漁業の未来を危惧して、日本全国を駆け巡っている漁師だ。
高松幸彦の物語(朝日GLOBE)
http://globe.asahi.com/feature/side/2015050100026.html
高松さんのご自宅で息子さんと3人で夕食。

ウニを山盛りいただきました。痛風の俺には最高のご馳走です(笑)
ウニとナマコのお話。昔いっぱい釣れた大型クロマグロの話。いっぱい聞かせていただいた。
高松さんは翌日には都内で開催される築地の生田さん主催の「あなほけサミット」に出席するため焼尻からフェリー、車、飛行機と乗り継いで出かけて行きました。焼尻から東京に行くのは日本からオーストラリアに行くくらい時間がかかります。
焼尻2日目は早朝の5時半に港に行った。93歳の現役漁師に会うためだ。
そんな早い時間に行ったのに、すでに刺し網漁は終えて、港で収穫の出荷作業をやっていた。

野越 左市さん93歳。刺し網漁は弟さん(87歳)と一緒に行く。二人で180歳である。その弟さんは次の漁にでかけてすでにいなかった。
俺「いっぱい獲れましたね」
野越さん「勝手に網に刺さってたさー」
まだ1円も年金に手を付けてないそうだ。
完全な現役漁師。
とにかく元気な方でした。
昼は焼尻島内観光をやって、午後のフェリーで天売島に向かった。
ここでは天売一の漁師さんにお世話になった。北るもい漁業協同組合の理事である奈良清志さん。
まず、夕方のウトウ(渡り鳥)の帰巣に案内していただいた。
そのあと真夜中10時の出漁に同船させていただいた。
10時半ごろポイントに到着。目印のブイを回収して刺し網を上げる。
刺し網の長さは何と4キロである。
アイナメ、シマゾイ、カスベ、ヒラメ、などなど次から次と上がってきた。

これは一番多かったカスベ。合計で400キロくらい獲れた。煮付けや唐揚げなどで食べる。

これは14.5キロの水ダコ。合計6匹獲れた。

この日の漁獲は、シマゾイ約150匹、ヒラメ約50匹、アイナメ、マゾイなどが数匹だった。
俺は途中から海鳥の撮影に夢中だった。
ウミネコ、オオセグロカモメが船の回りにいっぱい集まってきた。
船の灯に寄せられて水面に浮上してくるサンマを狙っているのだ。
次々とサンマを捕まえるウミネコ。すぐに他の鳥が横取りに来る。早く飲み込まないとせっかくの獲物を獲られてしまう。飲み込むまで5秒以内。早い!

カナダでも真昼間にカモメやカツオドリがニシンを捕まえて飲み込むのを数えきれないほど目撃した。そっちは3秒以内だった。
カナダでは日中に海鳥は漁をする。日本では真夜中に漁をする。鳥は本来昼行動する生き物である。
ウトウは潜水の名手でほとんど潜っているが、時折水面に浮かんでくる。ウトウはサンマは大きすぎて獲ってないようだった。

網の回収は3時間半かかった。

それから30分かけて帰港。港では奥さんとパートのおばさんたちが待っていた。網から魚を外したり、カスベを処理したり、帰港後の仕事も3時間くらいかかった。
そして朝になればウニ漁に出かけ、午後には再び刺し網を仕掛ける。そして真夜中に回収。
これが奈良さんの1日である。天売一の水揚げは努力なしには達成できないのだ。
そんな奈良さんに昔のクロマグロ漁の話を聞いた。
なんと1990年頃には1日で250キロクラスのクロマグロを6匹獲ったことがあるそうだ。その1日の水揚げは600万円。奈良さんが一番稼いだ1日だった。そんないっぱいいたクロマグロは1995年からパッタリと来なくなった。
天売島はウミガラス(オロロン鳥)とウミスズメの国内唯一の繁殖地。
そしてケイマフリは国内最大の繁殖地です。またウトウは約80万羽が生息する、世界最大の繁殖地。
この穴はウトウの巣。日が沈むとウトウが餌を咥えて一斉に戻ってくる。その餌を奪おうとウミネコとオオセグロカモメが待機。

次々と巣に向かって飛び出したウトウ。飛ぶスピードはカモメの3倍くらい速いので、カモメは空中でウトウの餌を奪うことはできない。

巣の近くに立っていると頭にウトウが激突することもあるそうだ。とにかく危険。
昨年はたいへんなことが起きた。
「ウトウが子育てを放棄」
https://www.facebook.com/JapanNatureWatch/posts/278458209016448
ところが、今年は雛が誕生し始める6月に入っても、帰巣するウトウの数が少ないだけでなく、帰巣する時間が遅くなり夕方8時近くになっています。さらに、帰巣したウトウの大半は魚をくわえていません。ウトウの1日の移動距離は100km以上にもなるそうなので、天売島近海だけではなく、北海道の日本海側で、ウトウの主な餌となるカタクチイワシ・イカナゴが激減しているようです。そのため、なかなか魚を捕まえられなくて帰りが遅くなっているようです。中には、餌をとるのを諦めてしまい、巣に帰ることなく天売島近海の海上で浮遊している親もいます。餌が取れないので、子育てを放棄してしまったようです。
すべてのウトウが子育てを放棄して、いつもより早い時期に北へ飛び立ってしまったそうだ。そして推定20万羽の雛が死んだ。
そんなウトウの大群が夕暮れ時にオホーツク海側から天売に向かって移動しているのを見た。目撃した場所は稚内の北にあるノシャップ岬である。おそらく日本海側に餌がいないので、オホーツク海まで飛んで行くのだろう。往復で200キロ以上である。

こんなに遠くまで毎日餌を獲りに行くウトウがとにかく哀れに見えた。
日中は忙しい合間を縫って奈良さんがバードウオッチングにボートを出してくれた。
合計で100万羽の海鳥が生息するという天売島。とにかくその鳥の多さは驚きである。
これはケイマフリ。現地の人はアカアシと呼んでいる。

絶滅危惧II類(VU)。3000羽から500羽に減少したそうだが、もっと多いように感じた。生息数は増えているのかもしれない。
そのケイマフリを撮影中に一回り大きな鳥を発見した。
オロロン鳥だ!!!

真中を飛んでいるのがオロロン鳥である。
オロロン鳥(ウミガラス)
ごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高い、絶滅危惧IA類(CR)
1938年に「天売島の海鳥群集」が国の天然記念物に指定を受けたときには4万羽がいたそうだ。1963年には8000羽、1980年に533羽、1995年には20羽、2002年7月18日の観測では5つがい13羽、そして2003年には3つがいと、つがい数は減ったものの19羽となってしまったらしい。
オロロン鳥が減ってしまった理由
http://www.ne.jp/asahi/tomodachi/museum/page/ororon2.html
巣から飛びたつ、オロロン鳥。回りの鳥は右側の2羽を除いてすべて模型です。

その後、フェリーで羽幌に戻り、稚内で2泊した。宗谷岬、浜頓別、ノシャップ岬などをまわった。
そして礼文島へ。
ここでは天気が悪く、アザラシの写真くらいしか撮れなかった。トップのウニ漁の写真は礼文である。宿の窓から撮った。
そして礼文や利尻の郷土資料館、帰り際に札幌の北海道博物館に行った。アイヌの悲惨な歴史に日本人の残酷な一面を見た。
これは江戸時代のニシン漁の絵

北海道は江戸時代からニシン漁で栄えた。

1938年の利尻の港。ニシン漁の船でいっぱいである。

さらに古いと思われる写真。どの船もニシンで満杯。

ピーク時は利尻島だけで10万トン以上獲れた。

焼尻も1930年代は毎年2万トンくらい獲ってたそうだ。
現在は北海道全域の漁獲を合せても3000トン前後である。
1955年にニシンがパッタリと来なくなるとどんどん人口が減っていった。

2万人以上いたのが、現在は5000人を切っている。
焼尻は2500人から250人に。天売は2000人から300人に減少した。
北海道のニシンの水揚げ。ピークは約100万トン。一度減ってしまうと回復はほぼ不可能。稚魚放流などいろいろと資源回復を試みたがことごとく失敗に終わっている。

俺は資源がある程度回復するまで全面禁漁にしたらと思う。そういう考えはないのだろうか?
利尻では工藤さんにお世話になった。今はウニ漁の真っ最中。ここでも山盛りウニをいただいた。

ここでも昔のクロマグロ漁の話しで盛り上がった。
そして俺のパソコンに入っているカナダの動画を見せた。
巨大クロマグロが次々と船べりに現れるのに驚いている様子である。
しかし、1995年頃まではこの海にも巨大クロマグロはいっぱい回遊してきた。
昔の文献を調べたら1936年には樺太(現サハリン)沿岸までクロマグロが大漁だったらしい。そのころはニシンがいっぱいいた。今のカナダ・プリンスエドワード島のようにニシンを食べに巨大クロマグロが北上していたのだろう。
北海道北部に1995年ころから大型のクロマグロが回遊してこなくなった原因はいくつかあるが、南方海域でのまき網の乱獲、餌のイワシ、イカナゴの減少が大きな原因ではないかと。
次回のブログでは、どうしてクロマグロがこんなに減ったのか、どうして産卵期のまき網にこだわるのか、利権の構造もふまえて俺の答えをアップします。
残るのはあと10島くらいである(内海と無人島を除く)。
今回は北海道の離島4島を訪れた。
焼尻、天売、礼文、利尻である。
島はウニ漁最盛期だった。

北海道の離島の主な海産物は、ウニ、コンブ、ナマコ、そして魚である。1950年代半ばころまではどの島もニシンで賑わった。1955年ころからニシンがパッタリと来なくなった。島の人口も経済も一気に落ち込んでいった。
6月下旬、旭川に到着。
旭川には叔父夫婦が住んでいる。もう叔父は84歳、叔母は77歳。
この老夫婦は農園を持っていて、春から秋まで毎日農園に行って野菜や果樹の手入れで大忙しだそうだ。

ジャガイモ、トマト、リンゴ、ブドウ、トウモロコシ、ナス、ネギ、そして桃やゴウヤまで作っていた。ゴウヤって沖縄が産地だったような・・・?
収穫が楽しくて仕方ないそうだ。元々は群馬の山村の百姓の倅である。
とにかく昔とまったく変わらず元気だった。この調子じゃ俺のほうが先に逝くかも(-_-;)
翌日は旭川から苫前~羽幌、そこからフェリーで焼尻島に行った。
焼尻には知り合いの漁師がいる。地元の漁業、そして北海道の漁業の未来を危惧して、日本全国を駆け巡っている漁師だ。
高松幸彦の物語(朝日GLOBE)
http://globe.asahi.com/feature/side/2015050100026.html
高松さんのご自宅で息子さんと3人で夕食。

ウニを山盛りいただきました。痛風の俺には最高のご馳走です(笑)
ウニとナマコのお話。昔いっぱい釣れた大型クロマグロの話。いっぱい聞かせていただいた。
高松さんは翌日には都内で開催される築地の生田さん主催の「あなほけサミット」に出席するため焼尻からフェリー、車、飛行機と乗り継いで出かけて行きました。焼尻から東京に行くのは日本からオーストラリアに行くくらい時間がかかります。
焼尻2日目は早朝の5時半に港に行った。93歳の現役漁師に会うためだ。
そんな早い時間に行ったのに、すでに刺し網漁は終えて、港で収穫の出荷作業をやっていた。

野越 左市さん93歳。刺し網漁は弟さん(87歳)と一緒に行く。二人で180歳である。その弟さんは次の漁にでかけてすでにいなかった。
俺「いっぱい獲れましたね」
野越さん「勝手に網に刺さってたさー」
まだ1円も年金に手を付けてないそうだ。
完全な現役漁師。
とにかく元気な方でした。
昼は焼尻島内観光をやって、午後のフェリーで天売島に向かった。
ここでは天売一の漁師さんにお世話になった。北るもい漁業協同組合の理事である奈良清志さん。
まず、夕方のウトウ(渡り鳥)の帰巣に案内していただいた。
そのあと真夜中10時の出漁に同船させていただいた。
10時半ごろポイントに到着。目印のブイを回収して刺し網を上げる。
刺し網の長さは何と4キロである。
アイナメ、シマゾイ、カスベ、ヒラメ、などなど次から次と上がってきた。

これは一番多かったカスベ。合計で400キロくらい獲れた。煮付けや唐揚げなどで食べる。

これは14.5キロの水ダコ。合計6匹獲れた。

この日の漁獲は、シマゾイ約150匹、ヒラメ約50匹、アイナメ、マゾイなどが数匹だった。
俺は途中から海鳥の撮影に夢中だった。
ウミネコ、オオセグロカモメが船の回りにいっぱい集まってきた。
船の灯に寄せられて水面に浮上してくるサンマを狙っているのだ。
次々とサンマを捕まえるウミネコ。すぐに他の鳥が横取りに来る。早く飲み込まないとせっかくの獲物を獲られてしまう。飲み込むまで5秒以内。早い!

カナダでも真昼間にカモメやカツオドリがニシンを捕まえて飲み込むのを数えきれないほど目撃した。そっちは3秒以内だった。
カナダでは日中に海鳥は漁をする。日本では真夜中に漁をする。鳥は本来昼行動する生き物である。
ウトウは潜水の名手でほとんど潜っているが、時折水面に浮かんでくる。ウトウはサンマは大きすぎて獲ってないようだった。

網の回収は3時間半かかった。

それから30分かけて帰港。港では奥さんとパートのおばさんたちが待っていた。網から魚を外したり、カスベを処理したり、帰港後の仕事も3時間くらいかかった。
そして朝になればウニ漁に出かけ、午後には再び刺し網を仕掛ける。そして真夜中に回収。
これが奈良さんの1日である。天売一の水揚げは努力なしには達成できないのだ。
そんな奈良さんに昔のクロマグロ漁の話を聞いた。
なんと1990年頃には1日で250キロクラスのクロマグロを6匹獲ったことがあるそうだ。その1日の水揚げは600万円。奈良さんが一番稼いだ1日だった。そんないっぱいいたクロマグロは1995年からパッタリと来なくなった。
天売島はウミガラス(オロロン鳥)とウミスズメの国内唯一の繁殖地。
そしてケイマフリは国内最大の繁殖地です。またウトウは約80万羽が生息する、世界最大の繁殖地。
この穴はウトウの巣。日が沈むとウトウが餌を咥えて一斉に戻ってくる。その餌を奪おうとウミネコとオオセグロカモメが待機。

次々と巣に向かって飛び出したウトウ。飛ぶスピードはカモメの3倍くらい速いので、カモメは空中でウトウの餌を奪うことはできない。

巣の近くに立っていると頭にウトウが激突することもあるそうだ。とにかく危険。
昨年はたいへんなことが起きた。
「ウトウが子育てを放棄」
https://www.facebook.com/JapanNatureWatch/posts/278458209016448
ところが、今年は雛が誕生し始める6月に入っても、帰巣するウトウの数が少ないだけでなく、帰巣する時間が遅くなり夕方8時近くになっています。さらに、帰巣したウトウの大半は魚をくわえていません。ウトウの1日の移動距離は100km以上にもなるそうなので、天売島近海だけではなく、北海道の日本海側で、ウトウの主な餌となるカタクチイワシ・イカナゴが激減しているようです。そのため、なかなか魚を捕まえられなくて帰りが遅くなっているようです。中には、餌をとるのを諦めてしまい、巣に帰ることなく天売島近海の海上で浮遊している親もいます。餌が取れないので、子育てを放棄してしまったようです。
すべてのウトウが子育てを放棄して、いつもより早い時期に北へ飛び立ってしまったそうだ。そして推定20万羽の雛が死んだ。
そんなウトウの大群が夕暮れ時にオホーツク海側から天売に向かって移動しているのを見た。目撃した場所は稚内の北にあるノシャップ岬である。おそらく日本海側に餌がいないので、オホーツク海まで飛んで行くのだろう。往復で200キロ以上である。

こんなに遠くまで毎日餌を獲りに行くウトウがとにかく哀れに見えた。
日中は忙しい合間を縫って奈良さんがバードウオッチングにボートを出してくれた。
合計で100万羽の海鳥が生息するという天売島。とにかくその鳥の多さは驚きである。
これはケイマフリ。現地の人はアカアシと呼んでいる。

絶滅危惧II類(VU)。3000羽から500羽に減少したそうだが、もっと多いように感じた。生息数は増えているのかもしれない。
そのケイマフリを撮影中に一回り大きな鳥を発見した。
オロロン鳥だ!!!

真中を飛んでいるのがオロロン鳥である。
オロロン鳥(ウミガラス)
ごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高い、絶滅危惧IA類(CR)
1938年に「天売島の海鳥群集」が国の天然記念物に指定を受けたときには4万羽がいたそうだ。1963年には8000羽、1980年に533羽、1995年には20羽、2002年7月18日の観測では5つがい13羽、そして2003年には3つがいと、つがい数は減ったものの19羽となってしまったらしい。
オロロン鳥が減ってしまった理由
http://www.ne.jp/asahi/tomodachi/museum/page/ororon2.html
巣から飛びたつ、オロロン鳥。回りの鳥は右側の2羽を除いてすべて模型です。

その後、フェリーで羽幌に戻り、稚内で2泊した。宗谷岬、浜頓別、ノシャップ岬などをまわった。
そして礼文島へ。
ここでは天気が悪く、アザラシの写真くらいしか撮れなかった。トップのウニ漁の写真は礼文である。宿の窓から撮った。
そして礼文や利尻の郷土資料館、帰り際に札幌の北海道博物館に行った。アイヌの悲惨な歴史に日本人の残酷な一面を見た。
これは江戸時代のニシン漁の絵

北海道は江戸時代からニシン漁で栄えた。

1938年の利尻の港。ニシン漁の船でいっぱいである。

さらに古いと思われる写真。どの船もニシンで満杯。

ピーク時は利尻島だけで10万トン以上獲れた。

焼尻も1930年代は毎年2万トンくらい獲ってたそうだ。
現在は北海道全域の漁獲を合せても3000トン前後である。
1955年にニシンがパッタリと来なくなるとどんどん人口が減っていった。

2万人以上いたのが、現在は5000人を切っている。
焼尻は2500人から250人に。天売は2000人から300人に減少した。
北海道のニシンの水揚げ。ピークは約100万トン。一度減ってしまうと回復はほぼ不可能。稚魚放流などいろいろと資源回復を試みたがことごとく失敗に終わっている。

俺は資源がある程度回復するまで全面禁漁にしたらと思う。そういう考えはないのだろうか?
利尻では工藤さんにお世話になった。今はウニ漁の真っ最中。ここでも山盛りウニをいただいた。

ここでも昔のクロマグロ漁の話しで盛り上がった。
そして俺のパソコンに入っているカナダの動画を見せた。
巨大クロマグロが次々と船べりに現れるのに驚いている様子である。
しかし、1995年頃まではこの海にも巨大クロマグロはいっぱい回遊してきた。
昔の文献を調べたら1936年には樺太(現サハリン)沿岸までクロマグロが大漁だったらしい。そのころはニシンがいっぱいいた。今のカナダ・プリンスエドワード島のようにニシンを食べに巨大クロマグロが北上していたのだろう。
北海道北部に1995年ころから大型のクロマグロが回遊してこなくなった原因はいくつかあるが、南方海域でのまき網の乱獲、餌のイワシ、イカナゴの減少が大きな原因ではないかと。
次回のブログでは、どうしてクロマグロがこんなに減ったのか、どうして産卵期のまき網にこだわるのか、利権の構造もふまえて俺の答えをアップします。
コメント
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2015-07-15 03:58 編集
Re: 初めまして
> こんにちは、初めまして以前からファイスブックでは見ておりました 築地で加工品の仲卸をしてます 田代といいます よろしくお願いします B@gus大庫さんや釣りの仲間です 生田さんとも何回か会っております 築地でね 礼文は親父の田舎で昔はニシンの網元をしてました ニシンが取れなくなり旅館もやってました 蔵があり昔は干し数の子を入れたと聞いてました 今は親戚しか居りませんが 西上泊で売店をしてます 私も数回行きました 素晴らしい島です 昔鮪はとれていた話は聞いてました 寝かさず食べて 不味いと 言われれたようです 巻き網船の乱獲 本当に止めさせなくてはいけませんね 賛同します
> これからもよろしくお願いします
2015-07-21 05:19 茂木陽一 URL 編集