2009/11/24

タヒチ・ウアフカ島のGT



21_2.jpg

20_5.jpg
タヒチ(フランス領ポリネシア)は広い。タヒチ島のあるソサイエティ諸島、ランギロア環礁のあるツアモツ諸島、ムルロア環礁のあるガンビア諸島、そしてマルケサス諸島、オーストラル諸島の5つの諸島からなる。

その海洋面積はヨーロッパがすっぽり入ってしまうくらい広い。ただし陸地面積は埼玉県ほどしかない。タヒチに人が住み始めたのは紀元後300年頃のマルケサス諸島から始まる。ポリネシア人のルーツはモンゴロイドである。東南アジアを南下してカヌーを使って南太平洋の島々に移り住んでいった。サモア、トンガには紀元前1000年頃から住み始めた。アウトリガー付きのカヌーを発明したことによりポリネシア人は南太平洋の島々を次々と発見して移住していった。
21_4.jpg

マルケサスに移住したあとさらにイースター島(400年頃)、ハワイ(500年頃)、ソサイエティ諸島(600年頃)、ニュージーランド(800年頃)と移動していった。ニュージーランドのマオリもハワイアンも祖先は同じなのである。共通していることは体が大きいことである。とても日本人と同じモンゴロイドを祖先とする民族とは思えない。

そして16世紀になってスペインに発見されるとタヒチの文化、宗教、暮らしが大きく変わっていった。18世紀にはフランスとイギリスが大きな影響力を持つようになり、長く続いた伝統文化もほとんど消えていく。各地で戦闘も勃発し多くの現地人が犠牲となった。また白人が持ち込んだ病気に免疫のないタヒチの人々は次々と感染して多くの人が命を失った。
19世紀にフランスの植民地となり、20世紀にようやく自治権を与えられた。

我々が今回訪れたのはマルケサス諸島のウアフカ島である。数あるタヒチの島々の中で一番古くから人が住み始めた島らしい。島には小さな博物館があり、その歴史の一部を見ることができる。この島も最盛期には6000人以上が住んでいたらしい(マルケサス諸島全体で6万人も住んでいた)。今ではウアフカ島は500人くらいしか住んでいない。マルケサス諸島全体でも8000人くらいである。
16_4.jpg

17_4.jpg

17_5.jpg

18_7.jpg

島の暮らしは見た目には悪くない。道路も島の一部しか開通してないのに自動車の所有率はかなり高い。しかも日本製の新車が目立つ。産業と言えばコプラとノニくらいしかないように見えたのだが。リーフが少なく切り立った断崖ばかりの形状からして観光開発はまずありえないし、観光客もほとんど訪れていない。パペーテに戻り、現地ツアー会社に勤める人に聞いたら「タヒチの人は見栄っ張りで車にお金をかけるんですよ」という返事だった。そういえば400万以上する車に乗っているのに我々の釣り道具の値段を聞いてかなり驚いていた。趣味や遊びには回すお金はほとんどないのだろう。物価が高いのにも驚いた。空港で缶ビールが1本600パシフィックフラン(約720円)。ウアフカの民宿での食事は3食で約8000円(アルコールは含まず)だった。南太平洋の島の中ではかなり高所得だが、物価がやたらと高いので人々の生活は楽ではないらしい。また貯金はほとんどやらないで収入はすぐに使い切ってしまうそうだ。これは南国の島はすべて共通かもしれない。
15_1.jpg


ウアフカは小さな島なので島民が一つの家族のようにも感じた。船は午前午後と2回に分けて出したのだが、船長はコロコロ変わった。あるときは島の山羊撃ちの名人。あるときは博物館の職員だった。宿での送迎も交代制なのか毎日別の人が迎えに来た。陽気で親切な人ばかりで大きな問題はないのだが船と船長に関しては最低基準にも達してない。釣り客も来ないし、魚は港の目の前で釣れるので今後も進展はないだろう。
19_6.jpg

20_1.jpg

釣りあげた魚は原則的にほとんどキープである。そして持ち帰った魚は港ですぐに捌いていた。その日の船長に所有権があるらしく、それが船長がコロコロ変わる理由なのだろう。ようするに魚を欲しい人が船長をするのである。捌いた魚の頭や内臓はその場で海に放り投げるのだが、それを狙って小型のサメが大群で集まってくる。島民はそれを手釣りで簡単に釣っていた。もちろん食用でその場で手際良く一瞬で解体されていた。

船は20フィートくらいの木造船で90馬力の船外機が付いていた。魚探もGPSも海図もない。中には山立てで沖のポイントに船を付ける船長もいたが、ほとんどの人はわかっていないらしかった。中には我々に「どこへ行く?」と聞いてくる者もいた。GTは現地ではウルワと呼ぶ。これはハワイと同じである。シイラもマヒマヒと呼んでいた。

マルケサス諸島は寒流の影響が強いためサンゴ礁は少ない。海底の形状はいきなり10メートルくらいになってからなだらかに深くなっていき、100メートルくらいから急激に深くなっているようだった。GTは岩の近くの浅いところがポイントらしいのだがヒットは少なかった。その合間にライトタックルでジギングをすると面白いようにヒットした。カスミアジ、ホシカイワリ、ハタ、センネンダイ、アオチビキが多かった。たまに大型が来るのだがショックリーダー50ポンドでもどうにも止められず、すべて根ずれでラインブレイクした。おそらくGTだろう。表層で群れを作るグルクンなどが見えなかった。おそらくGTはたくさんいるのだが、そのような理由でトップにはなかなか反応しないのだろう。
20_9.jpg


そんな島に挑んだのは4人のおじさんだった。オオサンショウウオさん60歳、び~るだ~さん57歳、七夕さん57歳、俺がなんと最年少で55歳である。10年くらい前まではGTフィッシングは若者の釣りと思っていた。ところが55歳になった今でもなんの問題もなくチャレンジできる。自分が思っていたよりもはるかに50代は体力があることがわかった。俺自身50歳を過ぎてから次々と自己記録を更新している。オオサンショウウオさんを見ていると70歳くらいまでできるような気になってくる。
18_1.jpg

18_2.jpg


いつかはそのときが訪れるのだろうが、その日までずっと続けたい釣りGTフィッシングである。
18_5b.jpg

19_3.jpg

16_3.jpg

17_1.jpg


あと何年できるのだろうか?

タヒチでは老人4人でそんな話ばかりしていたような気がします(笑)

PS.GTは全員釣れました。事前に調べた情報では全員坊主も覚悟してましたが。今後も釣果を考慮しない海外遠征を組んでいきます。初めて訪れる島、国、自然、文化に興味がある人だけ参加してください。
20_3.jpg