キューバ伝説

中学から高校へ通っていたころ、俺はチェ・ゲバラの大ファンだった。ゲバラがボリビアの山中で捕えられ銃殺されたとき俺は13歳だった。その頃は革命に強い関心があった。
あれから40年以上が経ち、キューバに釣りに行くことになった。忘れかけていたゲバラだったが、出発が近づくにつれ釣りよりもゲバラ、そしてヘミングウエイに関心が移っていった。そして飛行機の乗り継ぎが悪くハバナに3泊(行き2泊、帰り1泊)すると聞いて大喜びしていた。本来ならガックリするところなのだが。偶然にもキューバ出発1週間前に外房の山正丸でJ・アントニオさんと同船した。お父さんはあのアントニオ古賀さんである。ラテン歌手であるアントニオさんはキューバも行っていてやたらと詳しい。そこでオールドハバナに行ったらボディキータというレストランで黒豆の焼き飯。コヒマルに行ったらヘミングウエイが通ったレストラン「テラサ」でパパダイキリを飲んでくださいなどなどいろいろと教えていただいた。
ハバナに着くなり初日のディナーはボディキータでディナー。そして翌日は世界遺産でもあるオールドハバナの要塞群(ブンタ、カバーニャ、モロ)を見て回ったあとコヒマルへ向かった。



コヒマルは小さな入り江がありヘミングウエイが船を係留しておいた場所でもある。そして老人と海の舞台となった港でもある。テラサの前には大型観光バスが止まっていた。みんなレストランの前で写真を撮っていた。中に入ると大きな絵が飾られていた。40年くらい昔の風景を描いた絵だが、今とそんなに変わらない風景だった。さらに奥に入るとヘミングウエイが座ったテーブルがあった。海に面した場所でロープで仕切られていた。壁にはたくさんの写真が飾られている。その中にはカストロと一緒に写っているのもあった。



しばらくコヒマルの海岸を歩いた後、ハバナ郊外にあるヘミングウエイの住んでいた家にいった。今では博物館となっているが、ヘミングウエイは人生の約3分の1にあたる22年間をキューバで過ごした。大きな家で庭も広くプールもあった。書斎や応接室、食堂など昔のままに保存されていた。プールの隣には愛艇PILAR号も展示されていた。




自殺未遂を繰り返したヘミングウェイは、1961年にアイダホ州の自宅で猟銃自殺を遂げる。その知らせを受けたコヒマルの漁師たちが、ヘミングウェイを悼み、自分たちの舟の碇を溶かしてこの胸像を作った。

そしてオールドハバナにある革命博物館に行った。そこに展示されているグランマ号は全長18メートル。どう見ても定員20名がいいところの船である。カストロとゲバラはこの船に乗ってメキシコからキューバへ来たのだ。なんと82名も乗りこんで。ところが上陸の情報はすでに政府軍に流れており、最初の戦闘でほとんどが戦死、生き残ったのはたったの17名(12名と言う説もある)だった。そのときカストロはこう言ったそうである。「俺たちは17人も生き残った。これでバティスタの野郎の命運は尽きたも同然だ!」戦車や戦闘機で武装した2万人の政府軍に対して、軽武装の17名の革命軍でどうやって戦うのか。さすがのゲバラも、カストロが悲嘆のあまり発狂したのではないかと真剣に心配したという。

銃痕が生々しい。

カバーニャ要塞の中にあるゲバラの執務室。

愛用のカメラはニコンだった。

ゲバラに関しては言うまでもなく、壮絶な生き方をした男である。革命成功の後、しばらくキューバの要職にあった。給料は自ら半額に減らし、サトウキビの収穫や、工場の仕事など、人々と一緒になって働いていた。そして革命から6年後の1965年4月忽然とキューバから消える。新たなる帝国主義からの解放を目指して渡った場所はコンゴだった。その後コンゴでの活動に限界を感じ一度はキューバに戻ったが1966年11月にボリビアに入国。しかし苦しいゲリラ活動が続き1967年10月8日足を撃たれたあと捕えられ、翌9日に銃殺された。39歳だった。
捕えられたときのゲバラ。かなり疲れきっていたようだ。

革命革命にあけくれた人生。なんでそこまでという残念な思いもある。
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ!”と」(チェ・ゲバラ)
ゲバラの遺体を埋めた場所は長い間公表されなかった。当時の政権が米国寄りでゲバラの墓が反政府運動の聖地となることを恐れたからだ。それが30年後の1997年に遺体を埋めるときに立ち会った当時の将校が「このまま黙っていたら永久にわからなくなる」と自分の人生が終わる前に公表したのだ。そして時代は反米を唱える国家になっていた。今ではボリビアの観光名所となっている。遺骨はすぐにキューバに送られてサンタクララに埋められ国葬となった。
英雄ゲバラの追悼演説をするカストロ

カストロ「戻ってきてくれたことに感謝します」
サンタクララ墓地に建てられたゲバラの銅像

ゲバラのボリビアの墓地はここを見てください。イゲラ村で政府軍に捕らえられ翌日銃殺された。遺体は晒されたあと埋められた。
世界一周旅行記 ゆめぽろEarth
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カストロに関しては独裁主義者と言われているが、長年の米国の経済封鎖にも関わらず国内に悲壮感がない。また国内を見渡しカストロの肖像や写真がほとんど飾られてないのに気がつく。ゲバラの写真はどこでも見かけるのだが。これはカストロ自身が個人崇拝を否定しているからである。毛沢東、金日成とは大きな違いである。国民に聞いても「あいつはよくやっているよ」というような答えだった。貧しいのは誰が見ても明白である。それなのに悲壮感はほとんど感じられなかった。治安も他の中南米諸国に比べて安全である。
CIAは独裁者カストロの個人資産を調査したが、あまりに少なくて驚いたという。独裁者といえば巨額の資産、海外送金、そして亡命というケースがお決まりなのだが。
●主な国家元首の年収(日刊ゲンダイ07/11/2)
シンガポール・リー首相…2億4600万円
アメリカ・ブッシュ大統領…4500万円
日本・福田首相…4000万円
英国・ブラウン首相…4000万円
ドイツ・メルケル首相…3800万円
韓国・盧武鉉(前)大統領…2400万円
フランス・サルコジ大統領…1680万円
ロシア・プーチン大統領…850万円
タイ・スラユット首相…480万円
中国・胡錦濤国家主席…53万円
キューバ・カストロ国家評議会議長…4万円(!)
カストロってすごいと思うのだがゲバラに比べて人気がかなり低い。長年指導者の立場にあるとどうしても人気は下がっていく。
英雄って長生きしてはいけないのだろう。ゲバラと並んでキューバの英雄と言われるホセ・マルティも42歳で戦死している。日本なら坂本竜馬、源義経だろうか。
カストロも革命直後に死んでいればとんでもない英雄だっただろう。
コヒマルの海岸で老夫婦に5ペソ払ってゲバラを偲ぶ歌をお願いした。悲しい歌である。

Hasta siempre comandante Che Guevara