4年連続挑んだ巨大クロマグロ総集編3

8月10日
まだ暗い4時頃に前半組をクライストチャーチ空港まで送ってからホテルに戻り5時間ほど睡眠を取って再び空港に行って11時過ぎに到着する後半組を待った。後半組は2年連続の八丸船長とカーペンターの小西、それと初参加の黒ベンとドンパリである。八丸船長は昨年8時間50分もファイトしてリーダーブレイクだった。ドラグは26キロだった。それで8時間50分もファイトしてリーダーをぶち切っていった化け物はいったい何キロ?小西は今年スピニングで挑む。しかも8フィートのキャスティングロッドである。俺が見ても無謀に見えるが・・・
南半球にクロマグロがいるということはほんの数年前までは日本の研究者、本業のマグロ漁師でさえほとんど知らなかった。
それが6年前頃からアメリカの学者(ジョージ・シリンガー)がニュージーランドを訪れDNA鑑定、そして毎年30本以上のアーカイバルタグを打ってその生態が明らかにされた。5年前にオーストラリアの友人に「茂木さん、ニュージーランドで日本と同じクロマグロが釣れたよ」と聞かされた。その友人はDNA鑑定で証明されたことも知っていた。もちろん5年前にニュージーランドから来たチャーリーも知っていた。知らなかったのはそのクロマグロを一番食べている多くの日本人だった。日本人は食べることには強い関心を示すが、その生態にはほとんど興味を示さない。それがクロマグロ激減へと繋がったのだ。資源、生態にもう少し興味を持ったなら、今の危機的状況になる前に何らかの動きがあったと思う。
この太平洋クロマグロに関しては今年になってようやく大きな動きがあった。それは次回のブログで公表する。
このレンタカーを18日間借りた。みんなの荷物を積んで5人乗ると後部座席の3人は缶詰状態だった。

約4時間でウエストポートに到着。すぐに出港となった。天気は持って明後日の朝までらしい。
出番を待つ5台のケンマツとカーペンターBB54B(うち2本はプロト)。

トップバッターはドンパリだ。普段はトカラ、石垣などでGT、それと玄界灘でマグロを狙っている。壊れ度はAクラスである。
ヒットは11日の午後7時55分だった。始めのうちはサメかなと思った。モタモタしていて中々一気に持っていかないのだ。そんな状態が1分以上続いたが、突然気が付いたかのように一気に猛スピードで走り出した。最初のうちは釣られていることに気が付いてなかったようだ。大型漁にはよくあるケースだ(笑)。

高校時代水球で全国的に鳴らした男なので基礎体力は充分だった。安定したファイトで55分でクルーがリーダーを掴んだ。リーダーシステムは八丸式である。ザイロンノットでショックアブソーバー用のナイロンリーダーと先端のフロロを結んである。フロロの部分が8メートルでフックとは八丸ノットで結合。
しかしクルーがアルバイトの18歳なので中々船べりまで寄せられない。見かねた八丸船長がリーダーを掴んだらすぐにマグロは船べりに浮いてきた。ただしマグロの抵抗はかなり強いので素人はリーダーを掴まないほうがいいと八丸船長は言っていた。


船長推定280キロでファイティングタイムは55分だった。ドンパリは初挑戦でキャッチである。

俺「簡単に釣るなよ。もっと苦しんで釣らないと見てて面白くないから」
これって全然アドバイスになってない・・・か
その後ヒットはなく、12日の深夜に沖あがりとなった。港には12日の朝8時頃到着した。
クライストチャーチに戻って前半組が釣ったマグロを食べることになった。あのマグロはとにかく美味いのでみんなに食べさせたかった。
途中、いつもは通り過ぎる温泉に寄った。日本人が経営しているらしく、日本風の作りらしい。

しかし湯はぬるいし、汚いし、脱衣所は超寒いしで全然体は暖まらなかった。2度と来ることはないだろう。
午後3時頃クライストチャーチに到着した。
いつものレストラン(倉敷)には夕刻7時頃に行った。

やはり激美味のマグロだった。
13日の夕方ウエストポートに戻った。いつものモーテルに泊まった。
14日、9時頃ポー船長に電話をすると11時に出港するという返事だった。
2番手は黒ベンである。国内ではクロマグロを追いかけて玄界灘、青森に頻繁に現れる。ついには船まで購入して青森の小泊に置いてある。カナダのバンクーバーで学生時代を過ごし、アイスホッケーに夢中になり、気が付いたらカナダの大男と体当たりの繰り返しで体がガタガタになっていたらしい。松方弘樹さんとも親しい仲である。
ヒットは夜の11時15分ごろだった。本命のクロマグロだったが25分でフックアウトだった。本来のルールなら3分以上ファイトしたら次の者と代わるのだが、松方さんに是非見ていただきたいので引き続きチャレンジさせることにした。
その後パッタリと当たりが無く、船は大移動となった。どうやら3時間くらいのところでニュージーランドのホキ船(大型底引き網漁船)が漁をしているらしい。
9時ごろホキ船に接近する。何度か仕掛けを投入するがヒットはない。ホキ船から30分後に網を上げるから、そのときにもう一度来いと言われた。

30分後に再び近づくと水面に網が姿を見せていた。その周りでマグロが水しぶきを上げて網からこぼれたホキに襲い掛かっていた。すぐに網に向かってホキを付けた仕掛けを投入する。

すぐにヒットした。

日中のヒットなので勢いよく猛スピードでラインを出していく。
ラインは500メートル以上出た。
そこから反撃に転じる。でも一度では寄せきれない。何度も繰り返し走られた。
そして1時間10分後にマグロは観念したかのように浮上した。船はバックで一気にマグロに近づく。
日中なのでマグロの姿がはっきりと見えた。逃げ惑うマグロだが、すでに高速で泳ぐパワーは残ってないようだった。
クルーがリーダーを掴んで船べりに寄せる。

もう一人がタグを打った。

そしてリーダーをナイフでカットしてリリースした。

ファイティングタイムは1時間15分。最後までスタンドアップでもちろん単独ファイトである。ドラグをチェックすると28キロだった。
松方さんに見ていただく最高の動画が撮れた(^^)
そして後半組3番手の八丸船長となった。昨年は1匹釣ったあとに2匹目はドラグ26キロで8時間50分の壮絶なファイトだった。最後は無念のリーダーブレイク。クルー3人がかりでリーダーを掴んだら切れてしまった。おそらく300キロをはるかに上回るマグロだっただろう。
今回はケンマツのテスト用のカーボン製スプールを持ってきていた。持ってみると実に軽い。スタンドアップでやる以上、軽いのは大歓迎である。
日が沈んで7時から8時頃は最高にヒット率が高い時間である。なのに船は夕食タイムとなった。明日は天気が崩れる。今夜が最後のチャンスである。俺は「ベストタイム!」と言って夕食を拒否して自分で仕掛けを投入して釣りを始めた。やがてクルーが出てきて交代した。彼ら雇われ船長とアルバイトのお兄ちゃんにずっとやる気を感じられなかった。前半組のときも最終日にガツンと活を入れたが、この日も入れることになった。ランスがいればこんなことはないのだが・・・

ヒットは8時15分だった。やはりのんきに夕飯を食べている時間ではない。

ところがリールが最初からおかしかった。ドラグがスムーズでないのである。ジッ、ジッ、ジッとラインが出て行く。これでは怖くてファイティングポジションまでドラグを上げられない。そしてアングラーの負担はかなり大きい。体が断続的に引かれるのだから。
そんなリールを何とか使いこなし2時間後にクルーがリーダーを掴んだ。そしてしばらくバトルが続いた後、リーダーを離してしまった。その間にタグを打つチャンスは何度もあったが・・・

その数分後についにスプールがロックしてしまった。ハンドルは回るのだが、スプールがビクともしない。
その状態が数分続いた。船で引っ張って浮かそうとしたらPE10号がプチッと切れてしまった。
これはキャッチと言ってもいいだろう。リーダーを掴んでタグを打つチャンスは何度もあったが、クルー二人がリーダーを掴んでいるので打てなかった。今思えば俺が撮影を中断してタグを打てばよかったと後悔しきりである。マグロのサイズは300キロ前後だった。
そして4番手の小西となった。でも残り時間が少ない。明日早朝には引き返さないと海は大荒れとなるそうだ。
何とか小西にスピニングタックルで挑んでもらいたかった。そこで俺が食わせ係りをやった。しかし一番ヒット率の高い時間は過ぎてしまい、静かな時間だけが過ぎていった。
クルーの手は傷だらけだった。アルバイトとしては危険すぎる仕事かもしれない。

小西はずっと待機のまま朝が来てしまった。

終了である。結局前後半でファイトできなかったのは小西だけだった。
それでも一言も愚痴をこぼさず小西はみんなにありがとうございましたと挨拶をしていた。偉い奴である。
4年間で28匹のマグロを釣ってこの挑戦は幕を閉じた。
1年目 2匹キャッチ
2年目 10匹キャッチ(7匹リリース)
3年目 11匹キャッチ(9匹リリース)
4年目 5匹キャッチ(3匹リリース)
合計 28匹キャッチ(19匹リリース)
スタンドアップ 26匹
チェアー 1匹
スピニングでハーネスなし 1匹
200キロオーバー 26匹
最大陸上実測 322キロ
最大推定 400キロオーバー
最長ファイティングタイム 10時間50分
交代 0
4年間巨大クロマグロにお付き合いしてくれた多くの仲間
ありがとう。
来年からはアメリカの巨大クロマグロにキャスティングで挑みます。
スタンドアップで挑む巨大クロマグロは来年からはカナダへと移ります。
引き続き応援をお願いします。