2010/10/05

中国一人旅・北京編

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金山嶺(万里の長城)。世界遺産。


尖閣問題の真っ最中に俺は中国にいた。
滞在中に新たにフジタの社員が4人拘束されるなど、緊張が高まる中での滞在だった。

滞在中は中国人のモラルの低さ(観光客相手の詐欺まがいの商売など)、運転マナーの悪さ、不透明な国の政策(特権階級の優遇、貧富の格差拡大、インターネットの検閲)、急激な発展(道路、ビルなどの建設ラッシュ)などが強く印象に残った。急激な経済成長を続ける中国だが、不透明な部分がとにかく多い。国民が豊かになり海外へ旅行する人も急激に増えている。中国国内で子供のころから教育されていたことに疑問を感じている人も増えているはずだ。いまでも二人以上で国家の悪口などを公の場で話すと逮捕されると聞いた。インターネットは検閲が厳しくあちこち繋がらなかった(Youtube、FC2ブログ等)。このまま発展を続けていくのか、それともどこかで風船のように弾けるのか。

人口の推移から中国、そして日本の過去、未来を検証してみた。

中国は現在世界一の人口を誇る国である。2009年現在で13億5000万人。これは1860年ごろの世界人口とほぼ同じである。

世界人口と中国人口と日本人口の推移

紀元前1万年 推定400万人
紀元前3000年 推定1400万人   エジプト古代王朝誕生
紀元前1000年 推定5000万人   中国周王朝全盛時(中国の人口は推定500万人、日本の人口は推定10万人)
紀元前200年 推定2億3000万人 中国は秦王朝末期、前漢誕生(中国の人口は推定2000万人、日本の人口推定15万人)
西暦1年   推定2億5000万人 中国は前漢末期(中国の人口は約6000万人、日本の人口推定30万人)
※中国の人口は前漢末期から動乱の時代に入り、西暦50年には約2000万人まで激減した。
※中国で最初に全国的な戸籍が作られたのは、前漢の末期、平帝の元始2年(西暦2年)で、全国の人口59,594,978人、戸数12,233,062戸であった。これ以降の中国の総人口については戸籍登録人口をもとに論じることができるようになる。
西暦250年 推定2億5000万人  中国は三国時代、日本は邪馬台国(中国の人口は約1000万人、日本の人口は推定50万人)
※三国時代にさらに人口は減って1000万人を割ったという説もある。以後隋王朝が誕生する581年までほとんど人口は増えない。
西暦700年  推定2億人     中国は唐王朝全盛時、日本は奈良時代初期(中国の人口は約5200万人、日本の人口は推定約500万人)
西暦1000年 推定2億8000万人  中国は宋王朝、日本は平安時代(中国の人口は推定6000万人、日本の人口は推定700万人)
※宋の時代にようやく前漢時代の人口を追い越す。
西暦1500年 推定4億~5億人  中国は明王朝全盛時、日本は室町時代(中国の人口は約1億人、日本の人口推定900万人)
西暦1800年 推定9億人     中国は清王朝全盛時、日本は江戸時代(中国の人口は約3億人、日本の人口は約3200万人)
西暦1900年 推定16億人    中国は清王朝末期、日本は明治時代(中国の人口は約4億人、日本の人口は約4500万人)
西暦1950年 約25億人     中国は中華人民共和国、日本は昭和25年(中国の人口は約5億6000万人、日本の人口は約8380万人)
西暦2000年 約61億人     中国の人口は12億7000万人(日本の人口は1億2670万人)
※日本の人口は2004年がピークで、以後徐々に減少する。
西暦2010年 約69億人     中国の人口は13億5000万人(日本の人口は1億2750万人)
西暦2030年 予想83億人    中国の人口予想は14億6000万人でピークに達する(日本の人口予想は1億1700万人)
※2030年までには中国はインドに追い越されて世界第2位の人口となる予想。
西暦2050年 予想92億人    中国の人口予想は14億人(日本の人口予想は1億人)
西暦2100年 予想90億人    中国の人口予想は10億人(日本の人口予想は5000万人)

人口減少と総合国力に関する研究
http://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/keikaku/lifestyle/3/shiryou3-1.pdf
2050年の予想で日本は中国に大差をつけられている。

日本のGDP(国内総生産)
2007年の515兆7325億円がピークで以降減り続けている。2010年に中国に追い越され世界第3位になる予想。

日本のサラリーマンの平均年収
1997年がピークで467万円。それ以降減り続けている。

人口と国力がほぼ比例していることがわかる。中国の国力も歴史を調べれば王朝の末期は国が腐敗(貧困、飢餓等)して減少、王朝が滅びて動乱の時代は戦いなどでさらに減少、新しい王朝が誕生すると人口は増加、王朝の全盛時に人口もピークに達していることがわかる。現在の中国は過去に当てはめればまさしく新王朝が誕生してまもない時期にあたる。

ただし全盛もやがてピークを迎えて国力は下り坂へと入る。最後は農民の反乱、各部族の反乱で多くの王朝が滅んでいる。王朝の最後は一族惨殺、多くの奴隷、民族の大量殺戮などその残忍さは日本の比ではない。

日本は歴史上、農民の反乱や外部からの民族の侵入で滅んだ朝廷、幕府は無い。そして日本は天皇制が2000年近くも続いている。大きな変化がなかった日本と、何度も農民の反乱で滅んだり、少数民族(主に北方民族)に何度も支配された中国とでは国家存亡を語る上で大きな違いがある。

日本の人口予想は今後100年以上減り続けることになる。すでにピークを越えて国力は年々低下している。100年後に国が存続しているかどうか?


尖閣の領土問題を北京で知り合った中国人と話し合ったが、最後は激しい口論となった。彼は尖閣だけでなく「沖縄も中国の領土だ」と言いきっていた。中国は清王朝後期の時代にイギリス、フランス、ドイツ、日本などに攻められて国力が著しく弱体化した。その時代に沖縄(中国人は琉球と呼ぶ)を日本に奪われたと話していた。確かに日本の歴史を調べると明治政府は1872年(明治5年)、琉球王国を強制廃止して日本国の琉球藩として設置したとある。これに清は猛反発してやがて日清戦争となり、負けた清は日本の主張を認めざるを得なくなった。沖縄は江戸時代に薩摩藩の支配下に置かれているが琉球王国という国家の存続は認められている。

領土問題は世界のあちこちで発生している。イスラエルなどは2000年以上も続く領土問題である。東アジアでは南沙諸島も大きな領土問題で6カ国が領土を主張していて軍事衝突が何度も繰り返されている。尖閣の問題もこれからずっと続くであろうし、日本が弱腰外交を続ければ沖縄まで返せと言ってくるだろう。昔、領土は戦って奪い合ってきた。今の時代は外交が戦いなのである。そして勝つためには強い国力が必要不可欠なのである。北方領土も1990年ごろは返還の期待が持てたが、国力の落ちた現在ではほとんど期待できなくなった。

ただ1960年代には中国政府発行の地図でさえ尖閣は日本の領土になっていた。しかも尖閣はかつて有人島でピーク時には250人もの日本人が住んでいた。
2010年9月16日発行のワシントンタイムズ誌にもその地図が記載されている。
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/100917-191757.html
それが1969年および70年に国連が行った海洋調査で、推定1095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告されると台湾と中国はそれまでの立場を逆転させてきた。1971年6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張したのである。そして日本の領土とされていた地図の回収までも始めたのである。

ほんとに中国人はせこい!

中国を旅している時も、そのせこさに何度も俺は憤慨していた。タクシー、食堂、観光地、果物屋、空港などでせこい中国人に何度も会った。俺は先進国と発展途上国の違いは国民のモラルの高さで判断しているが、中国は間違いなく発展途上国である。まあ日本もそう考えると先進国とは言い難いが・・・

今回の尖閣問題も昔から主張していたのならともかく、海底油田が発見されてから手のひらをひっくり返して主張してきたのだから当然納得できない。



中国は秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清初期の時代は世界最強の国の一つと言われていた(漢の時代、世界最強は東に漢、西にローマと言われた)。ただし隋(鮮卑族)、唐(鮮卑族)、元(モンゴル族)、清(満州族)は漢民族の王朝ではない。宋の時代に北京を占領した遼は契丹族、金は女真族とすべて北方の民族である。人口の9割以上を占める漢民族だが、戦争は決して強くない民族のようである。しかしこのまま成長していくと20~30年後に再び世界最強の国となる。

中国の王朝は一度国を統一するとまもなく贅沢三昧に浸ることが歴史で証明されている。皇帝の女が住む後宮などは多いときは1万人もいたそうだ。そして去勢されたたくさんの宦官が仕えていた。皇帝が死ぬと後宮の女たちは全員お寺に送られて尼となり、一生を皇帝に捧げた(もちろん強制的に)。日本には宦官は存在しなかったし、後宮にあたる大奥(江戸時代)だが規模も小さく女の数も比較にならないほど少ない。その中国の王朝と後宮の歴史を調べると権力者の陰謀、一族親族の醜い争い、理不尽で卑劣、凄絶な拷問などなど日本の朝廷、幕府がとんでもなく優しく感じてしまうほどである。

尖閣問題で日本政府は簡単に折れたが、中国政府は日本が折れた後も次々と日本を叩き続けた。それは島国で太平洋戦争まで一度も占領されたことがない日本民族(単民族)と、何度も奪い、奪われなど凄絶な歴史を持つ中国民族(多民族)との違いなのかもしれない。中国を旅していると日本人は温室育ち、中国人は雑草に感じる。

多民族、広大な国土、領土問題、経済摩擦、為替、水不足、人口増加、食料自給率など中国は大国ゆえに多くの問題を抱えている。ちょっとでも行く先を間違えると大暴動となるかもしれない。一触即発、それが中国政府の一番恐れるところだろう。そして安定が続けば腐敗がはびこる。

中国では1960年代後半から1970年代前半の暴力を伴う大権力闘争「文化大革命」が全国で大々的に展開され多くの人が弾圧された。犠牲者数は推計で約数百万人から約1000万人以上といわれている。

さらに1989年には民主化を求めた学生が天安門広場に集結。最初は1万人程度の規模だったが、徐々に増えていき軍が介入するころには100万人規模になっていた。軍の弾圧で犠牲者は3000人とも、数万人とも言われている。この事件に関しては政府が大がかりな隠遁工作を行ったので多くの国民は真実を知らされていない。その隠遁工作は20年を過ぎた現在でも続いている。

つい最近、服役中の民主活動家・劉暁波(りゅうぎょうは)にノーベル平和賞が授与されることになった。それに関して中国政府はノルウエーに圧力をかけたり、そして国内では一切報道させないなど、相変わらずの姿勢を見せている。

北京で話し合った人は甘い汁を吸う特権階級と貧富の格差(人口13億のうち12億は貧乏で1億が金持ちといったところ)を語っていた。急激に成長している中国だが、不満を持つ国民は確実に増えている。


以下は中国4000年の偉大な歴史の写真です。


北京空港到着、びっくりするほど最新で大きな空港だ。
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北京市内の高層ビル群
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観光は紫禁城(故宮博物院)のすぐ北にある景山公園からスタート。

これは明の最後の皇帝が首を吊ったところ
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景山公園から見た紫禁城。世界遺産。
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大和殿
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頤和園の中にある石でできた船。西大后の朝食はここ。一食が庶民の2年半分だったそうだ。
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※西太后:中国3大悪女の一人、清の時代に贅沢三昧の生活をして清の軍事力を著しく弱体化させた。

昆明湖と頤和園。世界遺産。
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八達嶺(万里の長城)は北京から近いので観光客でいっぱい。万里の長城の全長は現在確認されているところで8851キロメートル。未確認も含めると3万キロもあるらしい。世界遺産。
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定陵(明の14代皇帝、万暦帝)の地下宮殿。世界遺産。
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世界遺産の祈年殿(天壇)
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ぼったくり三輪タクシー。300元と請求されたが10元しか払わなかった(笑)
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空港でも怪しい偽係員に案内されて100元請求されたが1元しか払わなかった(爆)


金山嶺(万里の長城)。世界遺産。
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金山嶺(万里の長城)。写真を撮るならここが良い。観光客が少なく景色は最高。世界遺産。
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金山嶺ののろし台。のろし台は現在5723ヵ所が確認されている。
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今年の2月9日に花火を上げたら燃えてしまった中国中央テレビ(CCTV)の新ビル。
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北京オリンピックの前はドアの無いトイレがほとんどだったらしい。
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正陽門(前門)。現在はほとんど残ってないが紫禁城を中心とした内城を囲む城壁に造られた9つの門のひとつ。内城の正門にあたる。内城を囲む城壁は全長が22キロもあった。1953年から1969年にかけてほとんどの門と城壁が取り壊された。
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天安門。紫禁城の南端にある正門。この南側が天安門広場。700~800メートル南に正陽門がある。
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ここで撮影中に公安に何度も注意された。追いかけられたりも(^^;

人民大会堂(日本の国会議事堂にあたる)
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雍和宮の法輪殿。北京最大のチベット仏教寺院。
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多くの北京人は雍和宮を最も霊験あらたかな寺院としている。雍和宮は焼香する人が他の寺院とは比較にならないほど多い。
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798芸術区は工場の跡地を再利用した一大芸術区。
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中国らしい芸術だ。
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これも。
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北京での宿泊はレッドウオールホテル。3星だが1泊3,000円前後とリーズナブル。
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西安観光へと続く